第百五十三幕 日和(ひより)
それは、もう年末の休みが終わろうと言う連休の日。
陽炎の様な揺らめきを背負った、血管だらけの顔をした桃色髪の女が大路の店の前にたっていた。
そう、女神エノだ。
約束通りの年始の挨拶に、かなり遅れてやってきた。
「大路、済まないな。年末は大変世話になった、今年も宜しく頼む」
六度洗濯をし、八回丁寧に確認して干した座布団をそっと置き急須から緑茶を注ぐ。
「なんのなんの、貴女様からの依頼であればさもありなん。一向に構いませぬよ、まぁワシ個人としては貴女以外の神を崇めるイベントなどあまり好きではありませんが」
それにのぅと、続けながら大路の顔が闇の一族の長老らしく邪悪に染まる。
「ワシは、調味料屋の仕事よりも。金融や、何処かの国や人を痛めつけて来いというような要望であれば、より嬉々として取り組みましょうぞ」
エノは、その時がくればそれも頼むやもしれんなと苦笑した。
「ボーナスは、期待していい」短くいう、エノに大路は好々爺の様に微笑む。
「なに、ワシの崇める神は貴女様だけじゃ。貴女が来るだけでも、ワシには十分なボーナスと言える。ただでも良いものに高値がつけば、商売人としてはこんなに嬉しい事は無い」
そうか…、とエノは言った。
「何でも、御申しつけ下され。いつでも、御申しつけ下され。いつも、お支払いさえして頂けるならワシも闇の一族全員一丸となって事に当たりますとも」
そういえば、とエノが思い出す様に言った。
「お前の、鍋にそえるタレシリーズのゴマダレは素晴らしかった」
大路は、輝く笑顔になって笑う。
「研鑽こそが、我が神の喜び。調味料が進歩し、口の中で花開く。お客に絶賛され続けてこそ、研鑽の意味もあろうというもの」
箱舟の労働者は、幸せにせよと貴女は仰る。
ワシも、部下も、そしてワシの調味料を買いに来る箱舟本店の飲食店も。
そして、それを口にするもの達も幸せな気持ちを持てるよう努めさせて頂く。
「そうだな、敵に容赦はいらないが味方はとことん甘やかして欲しいものだ」
容赦はいらないという言葉に、大路はうんうんと満足そうに頷く。
「むしろ、そっちの方がワシらの本業ですからな。貴女は力を使えばなんでも出来る。しかし、貴女は自身の力が誰より何より嫌いだ。ならば、信者であり僕である我らがそれを成すのは当然。箱舟の労働者は我らも、連中も全て貴女のもの」
エノは苦笑した、お前達の出番は少ない方がいいと。
私の出番など無い方が、もっといい。
「しかし、この世には愚か者が多すぎる。ワシらの仕事は、一向に減りませんな。いやぁ、結構実に結構」
戦争も、着服も、綺麗ごとを唱え耳障りの良い事をほざく連中も一向に無くならない。書類をごまかし、言葉を濁し。ただただ、熱量のある連中の時間を奪う。
金の総量を減らし、幸せを減らし、そして何より人の数を減らす。
人の力が数を束ねる事なら、その総量を減らせば思想を汚す事も容易かろう。
だからこそと、大路は邪悪に顔を歪める。
「我ら、闇の一族の財力は不滅となる。欲望も、また我らの力を増幅させる。貴女がその気になりさえすれば、天使も我らも存在等出来はせん。そうでしょう、貴女はただ許して見逃して放置しているに過ぎない」
エノは苦笑する、確かにその通りだからだ。
そして、それはお前らの非道もだという言葉は言わずに苦笑した。
「私が何をせずとも、希望を持って歩き。欲望をもって成長する事が望ましいのだがな。その気持ちは、ずっと変わっていない」
大路は、邪悪な顔をしながらも頷く。
「貴女のお考えは、そうでしょう。しかし、現実はそうなっていない。まぁ、もっとも貴女はやる気になれば現実すら改竄するでしょうが」
貴女は我儘ではあるが、分別はある。それだけでしょう、ワシにはそれで充分。
「理解できないものの上げ足を取り、考える事を放棄し。喚き散らすゴミ共と比べればどれだけマシか、もっとも、そう言うゴミがいるからこそ。我々は、贅沢三昧にやれる訳ですがね」
エノはそっと、一枚の書類を差し出す。
それを、拝見しますとうやうやしく大路は受け取り確認した。
ほう、これはまた面白そうな企画ですな。
そうだろうと、邪悪に笑う。
「頼めるか?大路」とエノが問えば。
邪悪な顔を更に歪ませ、大路が神妙に頷く。
「そこは、頼むではなく。やれと、命じて頂きたいものですが。それも、贅沢な事やもしれません。長老共はワシが一命を賭して必ず応じさせます故、吉報をお待ち頂ければ」
そこには、とある国が汚職まみれになっている為にその国の金の価値そのものを潰し幾ら金があろうとも何も買えない状態を作りだす為のプロジェクトが書かれていた。
「貴女が力でやれば、今日今この時この瞬間に叶う事を任せて頂けるというのは非常にやりがいがある。少しでも貴女に褒めて頂ける結果を残せばワシらには達成感と満足感が溢れてくる。いいですなぁ、こういう仕事はいくらあってもいい」
最高級の砂糖を作って卸す仕事より、最高級の砂糖に紛う甘さの現実を罠に標的を干上がらせるこういう仕事の方がずっといい。
策略とは欲するものがもつものを陥れ、それを手に入れる為にやるものだ。
弱いものが、強いものに勝つために、知恵をしぼる。
だが、事実を思い通りにし、強大に過ぎる力を持った我が神の眼に止まるとは実に運がない。
知識と貨幣は似たようなものじゃよ、無ければ無いで何も出来はしない。
あればあったで、身の丈以上は己をその重みで潰す。
己の両足を鍛えずして、その重さを支える事など不可能なんじゃ。
そして、潰れたら死ぬ。足りなくても、まるで酸素の様に苦しみをまき散らす。
「そして、ワシらは実に運がいい。奴らも喜ぶじゃろ、我らが神のご指名で叩き潰す事が可能なんじゃからの」
大路は、これこそが邪悪なる一族の長と言うべき表情していた。
「時に我が神、これはボーナスですかな。それとも、仕事ですかな。いや何どちらでも構いませんが確認は重要です故お尋ね致します」
仕事だ、もちろん成果報酬がガッツリ出る奴だと苦笑した。
その言葉に、子供がお年玉をもらう時の様な顔を大路は浮かべ。
「実にっ!、実に結構!!」
いやぁ、こういう仕事はもっとあっても良いですぞと高らかに笑う。
「細菌兵器をばらまく国に、その細菌はばらまいた国の純血の人間しか病がかからぬようにするとか。中央集権で、賄賂が流行れば賄賂を貰ったもの達の汚職が、何故か証拠含めて明るみに出るとかのぅ」
人を幸せにする仕事や、人を喜ばせる仕事より。
人を陥れる仕事や、人を苦しめる仕事を。
闇の一族は、一日千秋の思いでお待ちしております。
「期限は、決まっておりますかな。決まって無ければ、貴女が止めるまでやってもよいという理解になりますがのぅ」
一応、半年。六か月を予定しているが、あくまで様子を見てだ。
「かしこまりました」あっ、そうそうとエノは大路になんて事の無い様に付け加えた。
「それプラス、甘味噌の増産も頼む」
途端に、まるで生気が抜けたゾンビの様な表情になる大路。
それは、三か月前増産したばかりで巨大な味噌樽はコンビナートサイズのものを増設したばかりだったからだ。
「お前の調味料は全て人気商品だが、それ故に注文がひっきりなしだな」
苦笑するように、エノが言えば。
もう、今日で人生が終わる様な顔で大路が言った。
「増やし過ぎじゃぁ!えっ、甘味噌なんてもうシーズン終わるじゃろ。味噌自体は一年を通して需要があるから年単位で大量に仕込んどるが…」
砂糖も、小豆も、ゴマダレも全部増産希望じゃと!?
カツオの削り節に、出汁粉末、麺つゆ型万能調味料。
「まいったのぅ、いや参った。可能な範囲で、頑張りますとしか言えんぞい」
選択肢は個々にある、受けたくなければ必ず伝えよ。
「いやはや、嬉しい悲鳴という奴じゃな。何、味も品質も落とさず。落とす努力は原価ぐらいか、何とかやってみせようとも」
我らの神は、我らに仕事しかお求めにならないからの。
嬉しい仕事と、嬉しくない仕事と。
今日も、闇の一族は全て忙しい。
「ワシらだって、限界はある。じゃがの、我らが神には限界も不可能もない」
高く、高く望む事位はかまわんじゃろ。
それが、可能であれば尚よし。
それが、不可能でも問題あるまい。
向かっていく、その姿勢こそ我らには求められる。
「全く、叶わんのぅ」
エノが去り、自分が用意したエノが座っていた座布団を見つめ。
「聞いておったな、最高の仕事と最低の仕事を我らが神から請け負ったぞ」
と大路が言えば、長老達と軍勢が一斉に苦笑した。
「最高の仕事だけ貰う訳にはいかない所が、我らの悩みでしょうかね」
と誰かが言えば、そうじゃなと大路も笑う。
「悩みのない、生など存在せんよ」
いや、神生(じんせい)か。どうでもよいわ、そんなもの。
もし、そんなものがあればと思う事は山の様にあるが。
(神よ、我らが神よ)
「お主ら、皆こういう仕事を待っておるのじゃから抜け駆けは許されんぞ」
そういって、大路達はニヤニヤとしながら一族に通達をし始めた。
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