第百五十一幕 貸切(かしきり)
ここは、寂れた演歌の流れるカウンター席五席の小さな居酒屋エノちゃん。
そこに、光属性の長クリスタ。仮想統括ゲド、箱舟最高責任者ダストがそれぞれ椅子に座っていた。
それを、正面でグラスや皿を磨いては注文を待つ黒貌。
「今年も、無事始まったか…」
誰かがその言葉を言えば、何とも言えない空気が流れる。
「あぁ、黒貌さん俺はモヤシと鶏肉の炒め物を頼むよ」
ゲドが注文すれば、柔らかい笑顔でありがとうございますといい。
炒め物を作る軽快な音が、店内に聞こえた。
今日は、居酒屋エノちゃんの玄関には貸切の札がさがっており。
全員が、お互いを労う様にグラスを傾けた。
ゲドはアイスコーヒー、クリスタは赤ワイン。
ダストが、オレンジジュースを片手に。
「今日は貸しきりにしたから、好きなものを頼んで飲んで食べてくれ」
ダストが、機嫌よくオレンジジュースをあけた。
「しっかし、今年も何とか乗り切ったか…」
ゲドが万感の思いを込め、そう言えばクリスタとダストはすまないと謝る。
「お前らの、気持ちは判ってる。だから、俺も俺に可能な最善をつくしちゃいるが悲しいかな。俺はただの技術者で、神様でも、天使でも、超生物でもねぇからさ」
俺が神様や天使や超生物に負けねぇ事があるとすれば、二つしかねぇ。
一つはこのたたき上げの技術力、そしてもう一つは女神エノへの忠誠心。
クリスタは、心地よい演歌を聴きながらゆっくりとワインを回した。
本来はストレスを与えて強制的に引き出す為、褒められた飲み方ではないのだが。
「我らが神は、我らが従った神の中では一番マシだ」
どこか、酔った勢いに任せ心の内を吐きだす様に言った。
「箱舟の中だけは希望にあふれ、箱舟の中だけは全てを救おう…か」
我らとて、邪神どもとて。何物でも、平等に希望を持てる。
「外は知らん、だが箱舟の中だけは私が全てを約束しよう」
でしたっけ、凄まじい事だ。
ゲドと黒貌の視線があい、黒貌から炒め物の入った皿を受け取る。
皿を受け取りながら、ゲドも思い出す様に言った。
(箱舟の中だけは…、ならば我らは我らの希望を叶える為には)
「「「一人でも多く、箱舟にのせる他ない」」」
ゲドとクリスタとダストの声が重なる、そしてお互いに何とも言えない顔で笑う。
「その為に俺は、箱舟グループを世界屈指の組織にまでしてきた。あらゆるものに手を伸ばし、あらゆる部門で勝って来た。無論、箱舟本店の生産力やあの邪な連中の協力があったにせよ」
クリスタは、ダストに頭を下げる。
「あぁ、我々も全面的に協力してきた。例え気に入らぬとしても、清濁飲み込み箱舟を広げる事こそが希望で救いたもう人々を増やす事だと確信してね」
広げて、様々な救うべき連中をこの箱舟に。
そこでゲドは突っ込みを入れる、この二人はほっとくとヤバい。
「だがよ、お前らが急拡大するせいで俺達はアップアップだ。箱舟のルールじゃ祝祭日も休まなくてはならない、定時で帰れなきゃならない。人数を幾ら割り当てて教育しても、全然おっつかねぇ」
確かに箱舟の生産力はやべぇ、それはゲドも認める所だ。
それはラーメン一杯にも、価格として表れている。
外の世界では、ラーメンの原価は過去の十倍以上にまで上がっている。
しかし、原材料を箱舟本店のフロアに委託する。箱舟本店の、飲食店の原価は据え置きなのだ。
つまり、同じ一杯五百だとしても。
箱舟本店が、箱舟内部の飲食店で、ラーメン一杯作るのに必要な原価は平均四十コイン。外では、そろそろ原価が五百を超えた辺りから価格を八百、千、千二百と上げざる得ないにも関わらずだ。
箱舟本店のフロアルールにより、価格としてつけられる幅に上限がある。
屋台では皿一つで幾らで固定され、小規模店では一皿千五百までといった具合に。
それ以上の、価格をつけたければ。技術や見た目衛生管理など全ての要素で、審査に受かれば生えて資格として上の価格をつける事が出来るエリアにお引越しとなる。
相応こそ正義、エノはこれを誰がどう見ても判る様に全てのラーメンを数値化しステータス化した上。その料理人が作った料理の、平均数値をも算出している。
手を抜けば、味が落ちれば価格をつける権利を失うのである。
提供速度や、下ごしらえの精度等も全て審査対象になる。
これを、箱舟全ての分野で、品目で、リアルタイムでやってのけている。
はろわが審査している事になっているが、実際この数値化しているのはエノだ。
誰の感情も挟まない、システム的な数値化が成されている。
はろわは書類を回しているだけに過ぎない、だからはろわ側でも審査は受かると落とすの印鑑をつくだけだ。
上の方に行けば、アイス一つが八十万コインの値をつける事も許される。
でも、原価は全ての店で製造フロアから仕入れる分にはクソみたいな値段になっているのである。
外の様に時代で価格が変動したりはしないし、為替での変動もしない。
天候不順などの理由も、ダンジョンであれば起こりようもない。
それでいて、生産者ははろわから出向で働いてる形になっているのではろわから当たり前の様に給料も休暇もでるのである。
大量生産大量仕入れすれば値段が下がるのが普通だが、本店は流通量が多ければ単価で高い値をつける。
美味しく、人気がでたらそれだけバカみたいな値段で買ってくれるのだ。
人気がなくても、普通の値はつくので単価が上がる事は一種のボーナス。
この、箱舟飲食店のルールに唯一接触しないのは黒貌の店エノちゃんだけだ。
「黒貌の裁量で、如何なる値をつけてもいい。仕入れは、全部エノが持っているので無料」
エノちゃんの一品が安い理由でもあり、全幅の信頼を黒貌が得ている証でもある。
「誰も苦しまず、これだけの低価格と品質を維持しながら。それでいて、誰もが自己実現できる場所か」
実際の所、物質化できるというだけでコインとポイントは同質のものだ。
エノが発行し、エノが管理し、エノが帳尻を合わせている。
人ならば腐るだろうが、エノは原初のAI。
例外事項を覗けば、ルールに従って運用される。
エタナの本体、命の樹エノ。
「エノ様はやろうと思えば、この世の全てをそうできるであろうが。あの方は自分の権能が死ぬほど嫌いだからな、仕方ない」
ダストが、苦笑したような声でクリスタに言った。
クリスタは何とも言えないような顔で、ワインをあおり。
「これだけのシステムと構造を作れるというのは、驚嘆に値するのですが」
たった一柱で戦争に勝ち、たった一柱で奇跡を体現し。
約束とルールを守り続けるか、出来ぬよ他の何物にも出来ぬ。
「元素と現象の管理運営も、この箱舟内部の事も万事滞りなく回すというのはどれ程の事か」
遊んでいる様に見せかけて、ニートを満喫しているように見せかけて。
誰からも働いている様には見えず、誰からも信頼を勝ち得ながら嘘つきだと思われている。
「人ならば世代が変わり腐るだろうし、高尚な事を言う奴なんて大抵が己の私利私欲のためだ。あの方は神であり、怒る事はあっても腐る事は無く。嘘をつくのだって、私利私欲の為じゃなくそう見せかける為だからな」
現実と事実で、証明し支払う。
「善神も邪神も、力で従える割に強制するルールは喧嘩するなとか挨拶しろとかワクにも等しいくらいに何もない」
だからこそ、我々はのせ続けなくてはならないんだ。
「今年も、来年も、再来年もずっと。のせ続けなくては、一人でも多くを救うために」エゴである事も判ってる、救われずに死んだ連中から恨まれ倒す事も判ってるさ。
「我らとて、屑神程なんでも出来る訳ではない。己に出来る事を、己に協力してくれる仲間と共にやれることをやっていくしかない」
有能な社員が、安く使いたいというゴミ屑のなんと多い事か。
有能であれば、己の為にその有能さを使うのが当然だと何故判らないのか。
恩を感じれば、多少は割を食ってくれるかもしれないが。
それは道徳の話であって、願う事ではあるまい。
「人の時間も、天使の時間も、闇の一族の時間も。時間は皆大切であるという、箱舟本店ルールの根底だ」
だから、休みは充実しなくてはならない。
報酬は、喜びでなくてはならない。
「そうだな、俺ら一族も確かに報酬は喜びだった。しかも、報酬が滞った事は無い。ごねられた事もな、人員が欲しい、機材が欲しいと言ったところで、他じゃ予算や管理者に突っぱねられるのがオチだ」
未だに時代遅れの仮想マシンを使っている現場のなんと多い事か。
それを変えるだけで、機械を導入するより余程安く効率が上がると言うのに。
「教育こそ、血反吐吐きながらやるしかないが。部下ガチャに失敗しないだけ、箱舟はまだ全然ありがたいぐらいさ」
定時で帰れて、報酬はガッツリ。
わけが判らん客も上司もいない、要望もほぼ全部通る。
大体、要望が通せない時は理由がある時だが理由を説明してもらえるからな。
原因を解消して、再申請すれば大体通るんだ。
少なくとも習う気があり、やる気もある。
報連相が出来る奴以外は、基本はろわの段階で落とされてるからな。
むしろ、大目玉を貰うのは文句があるのに要望を出さなかった時だ。
「仕事量と、仕事の種類の膨大さだけが悩みの種」
「違いない」とダストと、クリスタがゲドの台詞に笑った。
軟骨の唐揚げや、自家製キムチ等が目の前にならんでいく。
「皆さん、大変そうですね。しかし、明日が見えない場所やクソ上司に悩まされてきた方達からすればここはチャンスだけは無造作に転がっている」
黒貌は優しい声で、料理を出しながらしみじみと言った。
「我らが神にとって、チャンスは石ころと同じだそうだからな。拾えって事さ、腰が痛くなろうが、地面にへばりつこうが、雨風にさらされようがな」
チャンスも奇跡も、全部転がしてるから拾わない選択肢も拾い続ける選択肢も己でしろってか。
「俺は、拾い続けますよ。この身が動かなくなるまで、拾って拾って今までの人生を取り返したい」
真剣な眼差しで、黒貌がいった。
「あぁ、俺もだ。スライムは、腰なぞ傷めないがな」
腰がないからと、ダストも笑う。
「我らは、その現場に攫って連れてくるわけですね」
とクリスタは笑うが、ゲドが間髪入れずに。
「いや、せめてそこは攫うじゃなくて勧誘にしとけよ」
と突っ込みまた、全員で笑った。
楽しく過ぎていく時間は、人もスライムも天使でさえ輝いている。
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