第百四十幕 小さな希望
これは、過去の話。
黒貌は小さく溜息を吐き、今にもふりだしそうな黒い空をみた。
「また、落ちましたか」
その手には、通算四十三枚目の不採用の紙が。
既に、落ちると言う事にも慣れきっていた。
そこで、眼を見開いて黒貌を指している幼女がいた。
「人に、指を指すのは失礼な事ですよ」
哀しい笑顔にしかならなかったが、黒貌は笑顔を作り幼女に言った。
「お前には、私が見えるのか。すまない、私のかつて大切だった人にすごく似ていたのでな」
幼女も、どこか陰のある顔でそう言った。
「そうですか、失礼ですがお父さんかお母さんはどちらに?」
幼女は、どっかりと黒貌の横に座るとそんなものは居ないと言う。
「私は人ではないからな、親などいない。しいていうなら、自然が私の親かもしれないな」
ほれ、見てみろ周りをひそひそとしているだろう。
私は殆どの人間には見えん、だからお前が一人で喋っている様に見えるのさ。
試しに、肩に触れようとしたら黒貌の手は幼女の肩をすり抜けた。
その時に、初めて黒貌もこの幼女が人ではない事には納得した。
私の声も、私が見えるものにしか聞こえない。
「ついてきてくれ、場所を変えよう」
そう言って、ベンチから飛び降りるとゆっくりと歩き出す。
そう遠くない、場所から透明なもやの様な所を通りぬけ出た場所は小さな居酒屋だった。引き戸を開けると、カウンター席が五席と一番奥にトイレ。
厨房が少し広めにとってあり、奥の天井には上から降りるタイプの階段がついていた。
突然場所が変わったので少々驚くが、この幼女が人間ではなかったことを思い出す。
「すまないな、ここが私の聖域だ。私は、エノという。この居酒屋はかつて、私の大切な人がなけなしの金で私にご飯とみそ汁を奢ってくれた思い出の居酒屋を模してるんだ」
黒貌は周りを見渡すと誰も居ない、そして幼女は一番奥の席にどっかりと座った。
そして、入り口で突っ立って困っている黒貌に言った。
「模しているだけで、お前以外には誰も居ない。ここなら時間の進みも私が調整できるから帰ってもあれから五分後に戻してやれるから座るといい」
招き猫のように座っていた黄金饅頭からにゅっと触手の様なものがでたかと思うと、水滴が一杯ついたピッチャーになみなみと入っていたお茶をいれるとまた饅頭の形に戻ってしまう。
「失礼します、ここが貴女の家ですか?」
どこか場違いの様な質問を黒貌がしても、エノは苦笑するだけだ。
「家の様なもの…かな、別に私は住む必要もない。ただ、お前があそこで話していたら変なじいさん扱いされるのを私が耐えられなかっただけ。だからここに、連れて来ただけだ」
私のかつていた大切な人そっくりのお前と、少し話をしてみたかっただけだ。
「そうですか、それで何を話すんです?この不採用通知を貰いまくって、もうそろそろ安アパートの家賃も払えずにいる何の取柄もないこの俺と」
どこか、自棄が入った口調で黒貌がいえばエノと名乗った幼女は苦笑した。
「例えばそうだな、この居酒屋を模した空間は家賃も光熱費も全く必要ない。私がいる限りな、私の力でできた空間は、私の力が無くならない限り料理の材料も調味料もなくならない。この居酒屋は空間だ、だから私の意志でどこにでも移動できるし見せる相手見せない相手を選ぶ事も出来る」
お前がここで私に雇われて店長をする気はないか?とかでも良いな。
「といっても私は人ではないから、人の金は持ち合わせがない。だから住む場所や環境などの現物支給になるが、野菜や魚などの現物であれば用意しよう」
人の金がいるというのなら、最初はここから何か持ち出して屋台でもやればいいさ。
魔国の商会に一人知り合いがいる、そいつに魔国で屋台ができる許可を貰えばいい。
「ここには、ペットのダストと私と私の想い出しかないからな」
にゅっと触手がでたかと思うと、フリフリと手の様に振っている。
「そうですか、俺を雇いたい…みたいな理解で良いんですかね」
エノは、かつてエタナだったころの幼女の顔で頷いた。
「あぁ、お前がイヤでなければな。お互い人を信用していない身だ、これはただの私の我儘でもあるしな」
悲しそうに、うつむく幼女がとても幼女には見えなかった。
「どうせ、俺はこのままだとアパートを追い出されるんだ。なら貴女の話にのるのも悪くない、ここにはどうやってきたら良いんです?」
すっと、幼女が手をかざすと魔法陣が黒貌に吸い込まれ体が淡く光った。
これでここをイメージして、何かドアをあければつながるよ。
押し入れでも、トイレでもどこでもいい。
慣れて来たらドアでもない場所でも、開けられる様になるだろう。
といっても、ここにしか移動できないし入った位置にしか戻れないがね。
「この老人に、唯一採用通知をくれたのが幼女というのが何ともですがありがたくやらせてもらいます」
屋台は重たいし、外は寒い日も暑い日も風が吹きすさぶ日もあろうだろうよ。
そういう日は休めよ、定休日は自分で決めろ。ただし、休まないのは許さんぞ。
「そうだ、当座の支度金だ。これだけあれば、家賃と生活位はなんとかなるだろ」
そういうと、エノは足代とひらがなで書かれた汚い袋を投げ渡す。
「人の金は持ち合わせがないのでは?」
黒貌は首をかたげる、だがエノはカラカラと笑うと。
「さっき言った、魔国の商会の知り合いが現物と引き換えにおいていく分だがいつもはダストのお小遣いで消えてしまうからな。これが手持ちの全部だ、正真正銘な」
ちらりと、汚れた袋をあければ中にはエノース金貨がぎっしりみっちりつまっていた。
(現物って何をおろしたら、エノース金貨がこんなになるんでしょうかね)
黒貌の前の職場の月の給料は、エノース銀貨で四十枚。
エノース銀貨は百枚で金貨一枚というレートだから、両手に収まる汚い袋一杯の金貨がどれ程の大金か判ろうというもの。
(ちなみに、残業代や早朝出勤分や休日出勤や夜勤等も含めて四十枚)
その袋に、採用通知と支度金として…という書類も一緒に入っているのが判る。
その日暮らしに近い事を長い間してきた黒貌は、その金をそっとポケットにしまうと怖くて必要な分を使ったら封印しようと心に誓う。
「出勤は、一週間後からならいつでもいい。店舗は、その採用通知に住所が書いてある」
この店をそこに移動させておく、実店舗の土地が無ければ後でごちゃごちゃいうボケナスは何処にでも居るからな。
少なくとも誰の許可をもらってとか抜かす阿呆が居たら、その中に入ってる許可証を見せればいいさ。
少なくとも、その許可証は魔導紙で作られた正式なものだ。
その許可証を見せて何かしようとすれば、サインした全員に異変として伝わる。
その許可証に書いてある全員に喧嘩を売るというのは、どんな貴族でも闇社会の連中でも直ぐに終わるさ。
サインしてあるのは、私と魔王そして宰相に軍務卿。それと、それを取り持った仲介は魔国六大商会の会頭ギイ・アルカードだ。
少なくとも、魔国でその許可証を持っていれば何処で商売するのでも不足は無いぞ。
「私はいつかなんていわない、今日この日この時からお前の働きに報いよう。現物と現実は用意してやる。研鑽し、欲しいものはつかみ取れ」
頷いてしまったが、黒貌はこの眼の前の幼女が幼女に見えなかった。
何処か老獪なそれを思わせる、何処か無理をしているような。
背伸びとは違う、ませているのでもない。
「どのような願いでも聞いてやろう、但し相応の評価を得られたならばだ」
そういって、黒貌はさっきの公園に送り出された。
もやの様なもの中から手を振って、もやは何もなかったかのように消えた。
ポケットに入っていた、金貨と書類だけがそれを現実と教えてくれる。
「採用、されたんですよね?」
自分のしわが入った頬をつねる、しかし痛いだけで夢ではなかった。
「こんなに気前のいいのは、初めてですよ」
うまい話には毒がある、だが入っていた書類が全否定した。
アルカード商会って言えば、魔国の幹部じゃないですか。
人間の国に住んでる自分だって知ってる、他国の一流商会。
世界の三分の二の国土を誇る、魔国のナンバーワン商会。
そこの、委託業務として居酒屋店長と屋台店長をと書類には書かれていた。
共同資本、箱舟グループ。
最高責任者:ダスト・インヴィジリティ 特別顧問エノ
共同資本、アルカード商会グループ
会頭:ギイ・アルカード
「あの方は、特別顧問だったんですか…。と言う事は実は私よりも年上でエルフみたいに見た目が変わりにくい長寿の種族とかですかね」
これが、居酒屋エノちゃんの始まり。
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