第百三十六幕 幼女の我儘(ようじょのわがまま)
読んだチラシを丁寧に畳んで、チラシ入れにしまう黒貌。
相変わらず、ふてぶてしくどっかりと背もたれの無い椅子に座るエタナ。
居酒屋エノちゃんの店内では、時代遅れのダルマストーブの火が揺れていた。
「もう、年末か一年は早いな」
ぽつりとエタナがいえば、打てば響く鐘の様に黒貌が応えた。
「えぇ、全く。気は早いかもですが、来年も良い年であると良いですね」
黒貌はことりと、焼いた餅を出した。
「私に、それを言うか。相変わらず、お前と言う奴は…」
さっきダルマストーブで焼いたそれは、箱舟の餅つき大会で黒貌がついたものだ。
「そりゃそうですよ、商売繁盛に健康祈願。俺の神は貴女だけなんですから、貴女にいうのが筋でしょうに。例え、貴女が祈られるのが嫌いで己の足で歩き努力しろと言うような神であっても習慣はなかなか変わるものでもない」
エタナが優しく微笑む、エノともエタナとも違う顔で。
「そうだな、そうだった…」
それだけ言うと、少しずつ餅を食べる。
砂糖醤油をつけて、海苔を自分で巻いて。
「私は何もしない、それが何処までも正しいのだ」
見守る以上の肩入れなど、本来はやってはならんのだろうが。
(あぁ、空(くう)と成り)
黒貌はストーブに新しい餅をのせて、自分用の緑茶をいれる。
湯呑から立ち上る、湯気がそのぬくもりを視覚で教えてくれた。
「貴女は、努力にこそ報いる。信念に生きる事を尊び、ただの毎日を望む」
如何なる事を強制出来る存在でありながら、如何なるものをも駆逐できる力を持ちながら。
「私は、我儘だな」
黒貌は優しく笑った、そしてエタナの頭を撫でる。
「我儘こそが、強者の特権なのでしょう。神の三指に入る貴女が我儘で何が悪いんです?」
「力だけはな」と苦笑して。
誰かの為だという奴はクソだ、その実自分の事しか考えていない。
「ゴミ捨て場で拾ったからダスト?違う、ゴミ箱で飼っているからダスト?それも違う。私が奴をそう名付けたのはその考え方だ」
黒貌は自分の緑茶を少しすすっては、苦笑する。
「そして、考えもそいつの生きて来た歴史も覗ける様になってから覗いてみたら本当にそんな事をあのスライムは考えていたわけだ。私の方が、よほど偽善で屑でゴミだった」
レア中のレア、マジかこいつと神である私に思わせた。
「それを覗く力があっても、貴女は意図的に見てませんからね」
黒貌は、ダルマストーブにあたりながらそっと焼けた餅を皿にのせていく。
「黒貌、答えを知る事は世界で一番面白くない事だ。ましてや、過去も意図も変化も判っている等拷問に等しい事だ。勝ち続けるには他にも様々な力はいるだろうが、それでもこんなに面白くない事は無い」
貴女は変わりませんねと、黒貌は微笑む。
男女の友情や、肉食獣と草食獣の友情位には希少な存在だよあれは。
時間で変化するものは多い、永劫など程遠い。
焼き芋みたいなものだよ、経験や技術というのは。
焼き芋は七十度前後で酵素が蜜へと変換する作用を発生させるが、一定の温度を越えると途端にその酵素は力を失う。
また、変換する身の部分が無ければ蜜にはならん。
そして、一度変換した蜜は冷凍しようが何しようが甘いままだ。
それより低温では、変換すらされない。
程よい熱で、じんわりやらねばダメなのだ。
根性論で焼き過ぎは時代遅れに他ならないが、今のご時世根性論を規制するのならば根性論なく生きていけないこの外の世界の社会構造をどうにかする方が先だろうよ。
未来をえがけない場所で、未来を夢見る事が出来ない場所で生きるには根性が必要だとは思わないのかグズ共が。
「完成に時間がかかる割に、殆どの生物には時間は限られる。そして、一種類二種類と完成させても。人の様に生きるのに人間関係や金が必要ならば、客や師匠等繋がる先にも恵まれなければそいつの可能性を伸ばし切るまえに潰れてしまう訳だ」
一度蜜に変われば、それは一生の宝だが蜜だけ欲しいものが世の中には多すぎる。
苦笑いを浮かべるエタナに、黒貌も冗談交じりになんとも言えない顔で。
「一式で、十万コインするフレンチでも召しあがりますか?それとも、四百万コインはする酒のマグナムでも飲みます?」
冗談の様に黒貌がいえば、エタナはよせよせと箸を左右に振った。
餅を掴んだまま、行儀悪く。
「ご注文さえ頂けたら、いつでも用意いたしますよ」
黒貌は冗談っぽく、言った。
この店は貴女の為にやっているようなものですから、という言葉は飲み込んだ。
「そんな日はこないよ、私はこういうシンプルなものの方が好きだ」
エタナも、お前が作ったものを食べる為にやらせているのだ。という言葉は飲み込んだ。お互いに見ているだけで、伝わる意思もある。
わざと伝えない、そんな言葉もある。
「寿司の様に目利きと技術、仕入れの信用等に払う高級ならば考えよう。しかし、フレンチは私には華やか過ぎる」
それに、私は幼女だ酒はいかんぞ。と肩を竦めた。
「そうでした、貴女は幼女でした」
そういうと、黒貌も肩を竦める。
「お前は酒を題材にした演歌を好む、そしてお前も酒を飲むのを好む。ならば、私がしゃくでもしてやるぐらいが丁度いい」
エタナはそういって、手でしゃくの真似事をして見せる。
「凄く魅力的ですが、お高いのでしょう?」
黒貌もついでもらうようなしぐさで、真似事をしてみせた。
「当然だ」
瞬間笑ったまま、黒貌が傾いて落ちた。
「そこは、まけて下さいよ」
軽口を言いながら、二人で餅を焼いて緑茶を飲む。
「実が欲しいと喚きながら、育てる為の水も肥料もやらず風からも守ってやらずでどうしてそこまで育つと思うのか。実だけが欲しいというのなら、もう実がなっている樹を高値で買えば良かろう。己の為に、樹が勝手に育つなどというのはただの思い上がりだ」
少なくとも、私は箱舟でそれを認める気はない。
「相応こそが正しい、お前が一生懸命出してくれるシンプルなこの餅の様なものこそ私に相応しいのさ」
(だからこそ、黒貌…)
「私は、値をまけたりはしない。必ず聞き届けはするが、それは相応のモノを支払えたならだ」
真剣な眼差しで、黒貌をみる。
「はい、判っております。先日は、孤児院の件ありがとうございました。みな、喜んでおりましたよ」
エタナはにやりと口元だけで笑いながら、緑茶を飲む。
「あれは所詮お前の福利厚生、お前がまた元気よく働けるのなら他のだれも喜ばなくていいさ」
黒貌は少し驚いたが、努めて微笑むに留める。
「箱舟の労働者はルールを守り、幸せを自分で探せねばならん。そうだろ?」
そういって、急須からお代わりを注ぐ。
「外の世界の事は知らんさ、だが中の事ならば約束の範疇だ」
樹は買わずとも、取ってくれば良いと考えるものが多すぎる。
山を見てみろ、植える事も育てる事もせず取り続ければ水を貯える力さえ失う。
多くを残そうと花粉をばらまき、結果関係のないものが苦しみ続ける。
取った後の事も考えず、自分だけが潤えばいいと。
禿げ山にした所で蓄える力を失わず、天気を電話一本で自在に変え。
アレルギーすら絶対に起こりえない、そんなダンジョンと外が同じな訳なかろうが。
外の世界に冷蔵庫や冷凍庫はあってもアイテムボックス等ないのだ。だからこそ、毎日仕込む必要がある。
頭が下がる程知恵を出し、食い下がって生きている。
売る為にとりつくし、無くなったり問題になってから慌てる。
「闇の一族の様にはたからそれを狙ってやるのなら、まだ判る。あいつらは経済や情報を操って、人の不安をあおりながら出した儲けで備えるのだから」
奴らは慌てたりしない、自分達だけ助かる高台を用意してから油をまいて火をつける。
自らがつけた火に焼かれ、慌てふためく連中とはまったく異なる。
どちらも害悪で悪党で迷惑極まりないが、助かる高台に私が命じてのせる事が出来るだけまだ何とかはなる。
「なんとかなるだけで、好ましくはないのだがな…」
憂い顔でふと、黒貌をみた。
「判っておりますよ、箱舟の労働者である限り…ね」
黒貌はエタナに、優しく語り掛ける様に。
そして、自分に言い聞かせるように。
「そういえば、ボーナスの査定をせねばならん」
コインはお金のかわり、ポイントは評価だ。
「私の評価は、ポイントのボーナスで支払う。そうだな、特に理由がなければ給料の直近六ヶ月分のポイントを振り込んでおく」
外と違うのは全部手取りになるという点、引き落とすものがないからな。
「俺のは、どうなるんでしょう?」
エタナは、肩を竦めながら笑う。
「それは教えられん、振り込まれてからのお楽しみだ。もっとも、コインの方はダストに聞けば判るだろうが」
正しく生きて、前を向く。
惰性でなく、邁進でだ。
まぁ少なくとも、前年より減る事は無いさ。
「そうですか、外と違って必ず報われるというのならやろうという気力も湧き上がろうというもの」
昇給も、随時。
会社の株式を保有して、運命共同体になるのでもなく。
「私は、心まで覗けるしリアルタイムで全てを見下ろす事だって出来る。だから、査定は厳しいぞ」
どうしても、しりたいのならポイントを払えば教えてもいい。
だが、そこまでして知りたいものでもないだろう?
「年越しか、鐘でもついた方がいいか。それとも、出店を回ってみるか」
黒貌は優しい顔で、エタナを見ながら。
「鐘をついた所で厄など払えやしませんよ、人はそれほど業が深い。出店も、箱舟の中ならば清潔で誠実なものしか認められませんからそっちなら回ってもいいかもしれませんね。それに、俺の詣でるべき神はいつも俺の店に来る」
それなら、手を合わせに行くよりは美味しいもんでも用意していつも宜しくしてた方がいい。
「そうか…、私は最初神社にあるただの樹の意思だったのだ。だから、忘れられないのかもしれんな。あの頃を、子供と大人が仲良く笑い。煩い中で、活気のあるあの時代を」
黒貌が静かに向き合って、言った。
「いいんじゃないですか?それで。良いと思いますよ、ただ今の貴女はまごう事なき神。どっちか言うと祭られて祈られて、出店なんて回ってる暇ないと思いますけどね。それとも、教会でコーラスでも聞きながら、優しく見守ってみますか?貴女は音楽は好きでしょうが、貴女は自分でニートを名乗るんだ。きっと、恥ずかしくてすぐ帰る」
エタナも、ぷっと吹きだして。
「そうかもしれんな、だが私は幼女でニートだ。思う存分出店を回り、クジに胸をときめかせる子供。祈られるなんてまっぴらだよ。お前と一緒に、出店をやるなら働くことも悪く無いかもしれん。それに、コーラスが美しいのは音楽もそうだが。隊を一つにしなければ真なる調べなどでるものではないからだ」
一柱(ひとり)でなんでも出来る神様は、努力や手を取り合う姿や一生懸命なのが好きなのさ。
真なるものは皆美しいし、素晴らしいものだよ黒貌。
「似非にはない、素晴らしさですか」
お前は沢山沢山、似非に振り回されてきただろう黒貌。
と皮肉を込めて締めくくる。
「そうですね、貴女に出会うまで似非だらけでしたよ」と黒貌も急に真顔になって、エタナに言った。
「似非のクソさを知っているなら、己は似非になるなよ。似非の老害など、生きているだけで迷惑だ」
また来ると、引き戸をガラガラと開けてエタナは外に出る。
「ありがとうございました、いつでもお待ちしてます」
紅い夕日に、背中の神乃屑という文字が僅かに髪の隙間から反射して光るのが見えた。
「何かを極めたと思って、ふと立ち止まり振り返り上を見上げればまだ道半ば…そうだろ黒貌」
ぽつりと言った、その言葉は黒貌には聞こえずエタナと共に消えていった。
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