第百三十五幕 哀朝顔(あいあさがお)
小雪がかすかにふる寒い日、相変わらず居酒屋エノちゃんの周りでは魔法とたき火で暖を取りながら店の真横に空いたドライブスルーの様な窓からお金を払い料理を受け取っている魔族達。
窓を開ける度に、孫を可愛がるジジイの気持ちを謳う演歌が流れた。
軍務卿は、酒をテーマにした演歌よりもこちらの方が好みだ。
黒い空に、小雪が舞うのを眺めながらかつての戦場を思い出す。
「この様な日が来るなど、あの時の俺は想像すらしまい」
そうぽつりと呟いた、それを副官が熱燗を注ぎながらただ無言で頷いた。
「三魔王とて、所詮は人の範疇。より強大な敵と戦うのに手を取り合う、ただそれだけが難しい。欄干という、モンスターの源。北の悪魔達も、俺達もなれ合う訳では無いが同じ敵を叩くのだ。邪魔をしない、その一点でのみ。我ら魔族も最初はそうだった、ただ協力しあの邪龍の神を叩く」
このエノちゃんで飲み始めてから、他の魔王もまた自分と同じ苦労性のおっさんである事を知りクダをまいているうちに意気投合してしまったという訳だ。
「かつての、仲間や友そして部下たちにすまないと今でも墓参りに行くたびに思う」
なんだかんだと言いながら、軍を動かすと言う事は誰かに死んで来いと言う事に他ならない。
「それがどれ程正しくても、それがどれだけ道理が通っていても。消耗品の様に、つかわねばならんのだ」
国の為家族の為等と言いながらな、全くろくなものではない。
副官が、酒を置きただ真剣な眼差しで軍務卿を見た。
「少なくとも、我々の中には無理矢理命令に従わせたものは居ません。その時、その瞬間は、誰もが最善と思い命を賭けた」
女々しい貴方なぞみても、誰も浮かばれはしませんよ。
我らは軍人です、何処まで言っても。何処にいても、命令に従って規律を正し敵を撃つ為に死ぬ。
死にたくないものを軍人にするのは論外ですが、我らはそうではない。
我らは、無駄死にこそがもっとも不名誉な事なのです。
「閣下、家族であれ国であれ守りたいものを守る。その為に個を殺し、一軍となりて戦うのが軍人です。個を殺す事が出来ないものや、個で軍を越えるもの等そうは居ません。また、そういうものは人の範疇には居ません」
どれだけ優れていたとしても、人は人です閣下。
人に完璧など存在しないし、人程脆いものはないのです。
「人でありながら人を辞めているものも中には居ますが、それで人として壊れずいるのはとても難しい」
我らは所詮人として生まれ、人として死ぬ。
「我らは無力なのです、閣下。神ならざる人の身で、無力なものはただ手を取り合い強大な敵に抗う。軍とは、守りたいモノの為に死ぬ覚悟が出来た連中だけがなるものですよ」
お客様は神様、ただしそれは死神様や貧乏神様や疫病神様というようなろくでもない神様も居ます。
いや、むしろロクでもない神の方が多いでしょう。
人ですら、ロクでもないものが多すぎる。
力がある分、神の方が余計に酷いとも言える。
「搾取されぬよう、酷い目に合わされぬよう軍は眼を光らせなければならない」
平和な時、軍はただ飯ぐらい。
力を持ち、ふんぞり返る連中を許してはならない。
例え王だろうと、守るべきものを守るためにならば叩き伏せる事ができなければ。
「閣下、魔王軍は閣下の為に死ぬのではありません。ただ、守るべき家族や兄弟の為に死ぬのです。それを、お忘れなきよう」
そうか…、と悲しそうに笑う。
「ワシは魔族でもっとも強い、そして魔王の一人でもある。だが、それでも伝説に歌われる初代聖女やましてや神達等には遠く及ばない」
もし、あれほどの力があれば…。
鍛えても磨いても、どれだけ錬磨を重ねても自身にはそれほどの才は無かった。
それでも、諦めきれず。仲間を守り、今でも欄干の軍勢と戦い続けている。
「飲みましょう、閣下。腹が減っては何とやらです、食べて寝てそれこそが明日につながる。レムオンも、私の前の副官も、貴方の師匠すらそう言っていましたよ」
酒は百薬の長それは間違いない、消毒としても飲み物としても。
だが、薬は全て量を間違えれば毒となるのだ。
そして、与えれば与える程に体が適応して利かなくなる。
だから、いつかはその量を超えてしまう。
「そうだな、欲望や希望すら人には劇薬だと俺達の師は言っていたな」
酒も、希望も劇薬か。
「ただ生きている、それだけが何処までも難しいか」
副官と軍務卿は悲しく笑い、お互いを見る。
「そうですね、後悔しない事。それは、とても難しい。でも、努力ならば生きている限り出来る。そうでしょう、閣下」
師匠…、光無師匠……。
「己が理不尽にでもならない限り、生き物が生き物であり続ける限りか…」
師匠も、またどこかで戦っておられるのですか。
「魔王だなんだと言った所で、ワシの目標は今でも光無師匠さ。まだまだ、部下から学ぶ事すら沢山ある。実に大した事の無い男だ。それでも、ついてきてくれるもの達がこんなにいるのだから、ワシは幸せものかもしれぬな」
勇者と停戦か、どこまでもつか判らぬが。
「欄干とのケリがつくまでは、もってくれると助かるが人族は欲深いからな」
そうですね、と副官も笑った。
「今の聖女、リュウコは大した事は無かった。だが、それでも油断はできん。勇者も聖女も人族としては桁が外れているし、成長もし続けている」
ワシは、守る。
どの様な困難からでも、この命ある限り。
宰相殿が居る限り、頭脳戦や政治で負けはせん。
闇の一族だけが怖いと、苦笑しておられたが。
「闇の一族は、ある意味では人族と違って常時警戒する必要はない。何故なら、奴らは自らが崇める神の命令でもない限り出て来んからな」
やつらの基本理念は、「あくまでも神がなす事は神のみぞ知る」。
我ら魔族とて、同じ神を崇め奉っているのだ。
我らの神は、光無師匠を鍛えた大いなる師にして力の暴君。
天使を従える程に、慈愛と優しさに溢れたお方。
ただ、その優しさ故に滅多に命令など下さない。
故に、我らは人族と欄干にだけ抗う努力をすれば良い。
「やつらは、一兵卒や新兵が我ら魔王とそう変わらぬ。頭脳も戦力も桁が外れている、それだけではなく目的を達成する為には他の命も自分の命もなんとも思っとらん」
ただ苦しめいたぶり殺し、それを最大の娯楽と食事とする害悪。
奴らはそれでも、神には従う。それこそ、機械や洗脳と同レベルでな…。
しかし、やつらは心から一片の曇りなく人などより余程殉教しているだけなのだから余計に質が悪い。
禿げ散らかすのを安全な所から眺めては、それを肴に一杯やるのが三度の飯より好きな連中。長老連中に至っては、一柱一柱(ひとりひとり)が欄干と同レベルの化物。
「ワシは、困難に負けはせん。じゃが、ワシ一人でできる事などたかが知れておる。だから、ワシらは三人で一人の王として欄干に抗おうぞ」
居酒屋にハマったのは真実だが、その真実の陰で。
現魔王と、現宰相と、そして俺は手を取り合う道を選んで現在の魔国がある。
誰かが来たら、微笑んで。
涙を見せずに、誰にも愚痴をきかせずに。
修行を重ねては、墓場の隅で祈る。
「俺は、エノじゃないからな…」
そう悲しそうに笑う、貴女(師匠)のように。
優しい貴女の様に、俺はなりたい。
時代おくれの、軍人でも…。
時代おくれの、考えだとしてもだ。
「いくつもの悲しみを、背負わねばならんのが定めならば。それ以上に悲しみを減らす努力をせねば、軍人はただの無法者と変わらん」
さぁ、我が副官ロートル。
この前払いした、二杯を飲み干したなら今日は帰ろう。
「「俺達の人生に乾杯…」」
やすもののコップの中に、雪が一粒溶けていった。
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