第百三十三幕 隙間風

人生は繰り返す事は無い、神とてそれは変わらない。

例外に該当するエノはそう闇の中で呟く、涙の嗚咽にかき消され。

それは、いつも消えそうな灯りの様に。

指にトンボが止まる様に、安らぎなどひと時の事。


その横顔を、光無は見ていた。


「私のささやかな望みを叶える為、私はここまで来た」


私の歩いた道に、どんな慰めがあったのだろうか。


「私にとって、誰かの微笑みにどんな慰めがあったのだろうか」


かつての自分を振り返り、眷属と出会う前のエノは息をすれば溜息ばかりしていた気がする。精霊のふりをして、老人の世話になった時。


溜息をついていたら、老人に笑ってもらえた。


「人以外も、溜息をつくのですね」と、悲しそうな顔で笑っていた。


今でこそ、僅かに思う。


「存在さえしていれば、いつか」


いつかっていつだと、口さがなく自分に問いかけ続ける。


「黒貌やダストそして、光無達。お前達と出会うまでの私の存在は、この深淵よりも深い闇だったよ。道など存在しない、光など存在しない。希望など存在しない、何一つだ」


深夜の廃校の廊下が無限に続き、それを溜息と涙で彩って永遠に歩く。


結果が全てだ、どの様な選択もどのような人生も。

どの様な言葉でも、結果が全て。


「結果の伴わぬリップサービス等、権力者や詐欺師の似非。手八丁口八丁の官僚共と何も変わりはしない」


かといって、縋るような弱者等鬱陶しいだけだ。


「存在そのものが悪辣、外道そのもの」


以前にあったものより劣るなら、それは車輪の再発明とか劣化品以外にないのだから。


「いつかって、いつなんだ」そう言いながら、私は存在していた。

あの老人は、口癖の様に言っていた。いつかきっと…と。


「あの老人に、いつかなんて無かった」


昔の自分にはそんな力は無かったが、今は知ろうと思えば結果は先にしることが出来る。


「人には寿命というものがある、元気な時間は限られ。抗いがたい、老化というものがある。神と違って、劣化は避けられない」


容赦なく新聞の間に挟まる求人広告を見る度に、吐いていた。


「こんな搾取がまかり通るようじゃ、誰も生きようなんて思わないだろうに」


これが満額貰えるのではなく、色々差っ引かれた結果働かない方が豊かに暮らせるまであるじゃないか。


あの老人はそれでも、紙というだけでありがたがって活用していた。

そんな老人を毎日見ていたら、国にも世間にも同じ神々にさえ怒りを覚えた。


あの老人が死ぬ前日まで、そのいつかを信じて生きていた。

老人にそのいつかは無かったが、老人が死んだ日にエタナも死んだ。

少なくとも、優しい幼女神のエタナはその日に死んだのだ。


蝋燭の火が消える様に、風に吹かれ煙だけが残る様に。


殴り込み、彼女はたった一柱(ひとり)。

漆黒のマフラーを口元に当て、マフラーの先端には鈴が二つの様にデメキンの目玉の様な血走った眼が四つ。


轟沈上等、いつかがこの世の何処にもないの無いのなら。


「嫌な…、過去だな」


静かな闇の中で、ピアノの音が響く。

この世の元素と現象、力場のコントロールをピアノを調律するように。

パイプオルガンの様になった、樹の玉座の背もたれからおびただしい力が工場の排煙の様に昇っていく。


トランペットやサックスの様な音が、樹の管から流れ。

そこで、ふと手が止まりそれを見ていた光無と眼があう。


「特に面白いものでもあるまい、地獄の日よりこっちは定期的にこうして調整をするのは習慣になってしまった」



地獄の日より前は、別の神の仕事だったがそいつは結局自然の自浄作用にまかせて放置するだけだったからな。


おかげで、ある星からは魔法の元になる魔素が消え。

革命が起こり、そして化学を進化させていった。


どちらにしても、その両方面で急に世界が変わったり召喚などで理がずれぬようにこうして次元間の管理や調整をしている。



「全てを己でやれという、その先にあるのはこの様な深淵さ」


故に、私は闇の王等と呼ばれているのだから。

孤高の闇の王等といえば聞こえはいいが、現実はお前達と出会うまでの私は生きて等いなかった。


怠惰の箱舟最終フロア、命の終わり。

光が無くても、お互いの姿は見えている。


光無とエノ、二人の視線が重なった。


「美しい調ですね、相変わらず貴女の調律は見事だ」

光無は、優しく言った。


「どれだけの自然を私が揃え、どれだけのものを用意したとしても。思惑を個々に許す以上常にイレギュラーは発生し、それをどれだけ軌道修正して調として世を彩る様になおしていくか」


自然や時間とは流れていかなければならないのだ、経済と一緒で。

流れの中で必死に泳ぎ、また生き抜き成長し。


比較と進化と退化を繰り返し、取捨選択をしていかなければならない。


「光はプリズムであり、虹でありそれは目に見えるものでありながら錯覚だ。本来、神はそういう存在でなくばならんのだよ」


存在していながら、誰からも錯覚や嘘だと思われていなければならない。


あぁ…、ダストか。帽子屋から買った帽子を通販にだしておけ、あれほどの帽子を作る男にはそれだけの価値を認めねばな。


「外は良いものをつくっても、勝者総取りの世界だ。良く無いモノでも売れれば正義、それがまかり通るのが資本主義というもの」


私の管理する箱舟でそれは許されない、良いモノには良いだけの価値を私がつけよう。


「他ならぬそれが、ポイントの正体なのだからな」

ポイントを、金と同等のコインに変える事ができるのはそういう事だ。


その逆は不可能、何故なら私の評価は金では買えないからだ。

しかし、私が評価したのなら私の財布から金に変えてやろう。

もちろん、私が叶えうることなら金以外にも変えてやろう。


生き様にこそ、私はその価値を認めよう。

私が認めた分で欲しいものをやるのだ、欲しいものが金ならばくれてやるだけだ。


私は最初から言っているぞ、ポイントさえ足りていれば全てをくれてやると。


「それで喚く馬鹿など、私は知らんよ。それでズルやインチキをして私を謀れると思っている阿呆などもっと知らん」


私は己の正義をどの様なものでも強制させる権能も、どの様な事も知る事が出来る権能も持ち合わせているのだからな。


(使わない様に、心がけているだけ)


オタク勇者が、例えキモオタ油ギッシュデブだったとしても。

戦争の神が、戦争を毛嫌いしていても。

神の兵士である天使が、お菓子や喫茶をやりたいと願っていても。


疫病神のアイドルを、推しまくる観客のフロアがあっても。


「ダストよ、お前の望む世界はそれほどの力で捻じ曲げなければ叶う事は無い」

実際、あの勇者はキモイだけでデブではないのだが。


「光無、誰かを幸せにしたとて。誰かを救ったとて、それで幸せにならなかったものから恨まれて、救われなかったもの達から怨嗟の声を浴びるのが世の常だ」


だから、私は救う事を心底嫌うのだから。


「感謝等されたところでお金にはならない、私と違って人は金で交換し続けなければ大抵の場所では生きていけないのだよ」


感謝が金に変わるのは、随分と時間がかかるのだ。

その時間を待てるほどの時間が、その人間にあれば良いがな。


「必ずしもそうではない、だからこそ弱者共は義務だなんだといけしゃーしゃーと叫び散らす」


己を救うのは己、神ではない。

神など、地獄の日に大半屠ってきたが力があるだけで人と大差なかった。


基本、三年。


「三年で、報われなければ人は失望する。場合によっては一年かそれ未満でだ、失望すればそれは相手に尽くした分だけ怨みになるのさ」


エルフ共の様な長命種なら基本寿命は六百年だが、人は精々百年ちょっとだからな。

共に手を取りあうのは、己がより努力した結果に過ぎない。

そこに、神があってはならないだろう。



「逃げない弟子が欲しい、その魂に呼応できるだけの人材は全次元にも彼女位だった。お前と言う師が求める、最高の魂。それを満たす事が出来るのは、彼女ぐらいだった」


エルフでよい、女でよいというのなら生まれ変わらせる必要はない。

それでも、遠くの歴史から彼女をこの時間軸に持ってくるのは骨が折れた。


まぁ持ってこなければ、彼女はボロ雑巾の人生を歩んでこの世を恨んで死ぬまでがワンセットだったのだが…。


屋根のない場所で、誰からも見放されて野垂れ死に。

死んだ後も、誰にも見つかることなく野ざらしになる予定だった。


幼いうちに、失意のうちに。


それが、私の見えていた本来の彼女の未来。


私は、お前の弟子にする為に向こうの彼女は最初から居なかった事に改竄した。

彼女の人生をお前の弟子になる事を条件に、最高の才能まで与えてやった。


私が与えたのは才能だけで、あの娘の努力や師に対する敬意はあの娘のもの。


「私に、改竄出来ない事は無い。ただし、最低限の改竄で済む程に正しく生きられる命などそうはいない。だからこそ、私は目に止まったもののみに手を差し伸べる」


どうしても、ドワーフでなければならないとか男でなければというのなら。


「それも引っ張りながら、記憶や性別を改ざんする必要がある」


私の嫌いな、私の力でな。

改竄しないのなら、その分は値段にいれない。


「相応こそが正義、それは私自身に対しても」


実行できるものにしか、言葉の力は宿らんさ。

ただ、実行して見せる必要はない。


何故なら、証明して相手を納得させる事に己の利益が無ければ相手が何を言っても気にしなければ良いからだ。


証明すら、利益あってこそ。


「それが気持ちであれ金であれ、愛も信頼さえそれは利益の一つの形に過ぎない。利益が釣り合わないものに、誠意など必要ない」


殴れば殴られる覚悟位はいるのだろうが、あいにくと私が痛む事はない。

「あの、全てを愛している優しい創造主をのぞいて私を殺せるものなどおらん」


命の樹の改竄能力は神にも自身にも及ぶ、その力は己よりも存在値が小さいモノ全てに適応できるからだ。


石畳の上を歩き、花びらが舞う。

自身の頭上の拷問城は、命の樹。


その全てはこの世にある命、その枝に咲く花びらはエノが殺した命の数と同じ。


樹の玉座の座椅子を閉じれば、ピアノは玉座へと変わる。

その玉座へ続く、石畳に紅い絨毯が敷かれ。

背中に拳をあて、自身の頭上から落ちる花を見ていた。


命の終わりフロアの深淵に、エノの都合で作り出した蒼い月が見える。


闇夜に蒼い月が見え、それが拷問城のしゃれこうべの花園に光のカーテンの様に降り注いだ。


「光無、真の達人どうしであれば相対した時に己の理想の動きを想像しあい己の理想のごとく体が動く。考えずとも、錬磨の果てにな。考える時間刹那の時間すら、致命傷になるからだ」


そして、イメージ通りに体を動かした結果。

より、強い方が生き残る。


「弱ければ死ねというのは違う、弱ければ強くなれというのが私の意思だ」


強くなる過程にこそ、楽しさも悲しさも生きるという価値も進化も退化もある。

強くなることを諦めたり、強くなる過程を得ないゴミ屑に価値など認めてたまるか。


「チャンスすらも、箱舟の外では平等ではない」


肩をすくめながら、流し目で光無を見た。

レムオン、お前が目指したものは悪魔も人も笑顔で生きたいという事だったな。


「苦しめねば生きられぬ、お前達がそれを成すのは並大抵ではないだろうが進化の果てに苦しめず生きられる悪魔になれるものがいるかもしれん。その答えを私が言うのはフェアではないが、私は好ましく思っているよ」


口さがないものは、私が改竄すれば済む話だというかもしれないがね。


「その努力を、踏みにじる訳にはいかんだろう。奴は、私を怒らせたわけではないのだからな」


進化とは、本来そういうものだ。

力で強制するのではなく、長い時間をかけて膨大な命の犠牲の果てにたどり着く一種の適応。


「光無、お前の夫の幻雄崔がそうであったように。手を加えずとも輝ける命というのは、何処までも素晴らしい」


光無はただ無言で頷いた、そして真剣な眼差しでエノを見返す。


「無駄だと心を折る為に、幾度も叩き潰していたとしても。人だけが懲りる事がない、実に滑稽だ。何かに理由をつけ、何かを唱え喚く」


それが傲慢であれ、我儘であれ…。

私もまた、喚いている一柱(ひとり)に過ぎない。


「光無、人だけでなく我ら神の類も存在する事は大変であるな」


そういって、また頭上の花を見ながら。

それを、光無は何とも言えない顔で見ていた。


「そうして、あれだけの死の花園が出来上がる訳か。確かに人だけが懲りる事は無い、だが懲りないからこそ人には伸びしろがある。俺はそう思いたい、一度は人を信じ愛し。そして、娘もまた人であるならば」


エノも、そうか…と眼を閉じた。


複眼に幾何学模様や象形文字が様々浮かんでいたそれが、エタナになる時にはクリクリの紅の眼戻る。


彼女は、いつまでも何処までも心だけはエタナでありたいのだ。

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