第百二十四幕 遠い闇の涙

ここは楠種、そこで一つの命の火が消えようとしていた。


「くそっ!くそっ!なんでだ、なんでっ…!!」


悪態をついているのは主治医の、夏川琥珀(なつかわ こはく)


「こはく先生っ、心臓停止しましたっ!」


「畜生っ!もう、手術に耐えられるだけの体力が残ってねぇってのか!!」


二日以上の手術その激闘の末に、一人の患者の命の炎が消えようとしていた。

長い闘病生活、手術は賭け成功確率は五分五分なのは判ってた。


「輸血もある、機材もある。電力だってある、私だってまだやれる。ガーゼっ!!」


アシスタントの一人に涙と、汗を拭いてもらう。


「電気ショック!!」


患者の体がショックで動くが、計器はびくともしていない。


「治して、また福馬殿に行くんだろうが。起きろ!」


走馬燈の様に闘病生活がよみがえり、でもこれが人の限界だっていうのか。


「腕輪を使う…、ってなんでこんなに高いんだ。ありえねぇ程高いじゃねぇか、どうなってんだ。おぃ、マジでどうなってんだ!!」


信じられぬ程、怒気を含んだ声で腕輪から声がした。


「彼が、生きる事を拒否している。蘇生を拒んでいるんだよ、本人が生きるのを諦めているんだ。それを曲げろというのなら、お前の都合でお前の為に曲げろというのなら曲げるだけのものを取らねばならん」



生かす時間の分加速度的に必要なポイントの量が増えているのが判る。


「そんなっ、そんなバカなことってあるかよっ!」


「箱舟では幸せに生き、幸せに逝くことができねばならんのだ。最期の一秒まで報われ続ける生涯を保証しなければならない。それでも私に相手の気持ちごと捻じ曲げろというのなら、それ以上のものを私は取らなければならんのだ」


怒気をはらんで、闇の中で嗚咽交じりの声でドスの利いた女の声が響く。


「一人一人の意思を尊重し、笑って最後まで過ごす環境すら用意出来なくて何が神か。その一人一人の意思を大切にできなくて何が神か!!貴様はそれでも医者か!生きたいと望む者と共に最後まで抗い、死にたいと思った奴を看取る。それが出来ない等、医者として恥を知れ!!」


仕方ない、幽体にはなるが本人と最後一時間だけ言葉をかわせるようにしてやる。

それは私からのサービスだ、ポイントは取らん。


「文句を言うのも、別れを告げるのもその一時間でしろ。お前達医師団と患者の激闘に、敬意を表する」


腕輪はそれだけ言うと反応しなくなった、そして無慈悲にブザーがなり。


「先生…、先生。琥珀先生…」


闘病生活前の元気な姿の幽霊で、体の上に浮かび上がる。


「先生、最後までありがとうございました」


幽霊が頭を下げた、琥珀は拳を握りしめて袖で乱暴に涙をぬぐう。


「畜生、なんだよ蘇生拒否って…」


その様子は彼の、家族も全員が見て聞こえる様にしていた。


「私は、もう良いんです。老い先短い私が蘇生してもらったところで、私の寿命はそんなに長くない。先生と違って私は人間ですから」



家族には悪い事をしました、先生たちにも。


「私は、幸せ者ですよ先生。この三年の闘病生活、苦しいばかりじゃなかった。先生が車いすを押してくれて、福馬殿に連れてってくれたこと今でも覚えています」



箱舟じゃ、腕輪さえ使えば病気をうつすなんて心配はいらない。

そういうレベルのモノですら、権利として売っているのだから。


琥珀の九尾が僅かに震える様に揺れた、ただ男の幽霊の独白を涙を流しながら聴いていた。


「ここに来る前は、まぁ酷いもんでしたよ。戦争だとかり出され、帰ってこないまま食うものも何にもなかった」


先生、知ってますか木の皮や砂利をワシらは食べてそれすらなかった時はずっとうめいていたんですよ。


「あぁ、知ってるさ。俺のトコはもっと悲惨だった、この箱舟に来る前獣人は迫害されてたからな。特に俺みたいな狐獣人は、奴隷狩りによくあったもんだ」


最初は、なんで人間治さにゃならんのだと文句言いながら治してたさ。


「なんで、拒否なんかすんだ…。まだ、生きようぜ。この箱舟で、この天国で」



琥珀が泣き笑いの顔で、患者の男の幽霊に言えば。


「そういう訳にも行きませんよ、私だってここに来たばっかの時は神を恨んだものだ。どうしてそれだけの事ができて戦争なんか起きるんだ、私の息子が戦場へつれていかれにゃならんのだと。貴女がその力で、国ごと握り潰せばいいじゃないか、この箱舟みたいに地上すべてをしてやればいいじゃないかって」



それだけ、ここの連中全員が幸せにみえた。


「先生、嫌いな人間のこの私に。本当に、最後までありがとうございました」


幽霊が頭を下げれば、さっきよりも大量の涙を称えた眼で琥珀とアシスタントが同じく頭を下げた。


「俺は今でも、人間は嫌いだ。でもな、俺の患者になったら俺は最後まで付き合う。さっさと逝っちまえ、患者ってのは生きようって思ってる奴の事、諦める様な奴なんか逝っちまえ」



(それに、俺は…)


人間以上に、俺の患者が生きる事を諦める事が嫌いだ。

その両手を握りしめて、両手に涙がこぼれて落ちる。



琥珀は、幽霊に頭をさげたまま涙声で悪態をつく。



「私は、生きる事につかれてしまいました。ただ、それでも先生に伝えたかった。ありがとうとさようならを、あの神は最後まで優しい神でした」


あぁ…、いけすかなくてどうしようもないほどごうつくばりで。


「お前の意思を曲げて、お前を蘇生するならそれだけのものを取らねばならんだって。そこは、とっても蘇生なんかしねぇよ位いえよ…」


「先生…、私は幸せでしたよ。先生みたいな医者に、最後まで面倒見てもらえたんだ」


「俺は最悪だ、生きる事を諦める様な患者に必死になってたからな」



幽霊の患者と、生身のドクターが手をとるように。


「ありえねぇ事だらけだ、この箱舟は」


徐々に、患者の幽霊が透けていく。


「えぇ、願わくばこの箱舟により多くの俺達みたいな連中がこれますように…」




その様子を、闇の中で見ていたエノが呟く。


(…、逝ったか)


眼を閉じる様に、かみしめるように闇の中で呟くエノ。


「いつも辛いものだな、まともな奴ほど損な人生を歩む」


私の力で捻じ曲げたら、それこそ死という概念すら消却する事もできるだろうよ。

でもそれをやれば星は、溢れ飽和し全てのリソースを爆発的に食い荒らして地獄が出来上がる。



(それでも、悲しくないと言えば嘘になる)



時間を引き延ばし、意思を伝えるぐらいのサービスはしてもいいだろう。


「その位の、我儘が通す事ができなくて何が神か」


闇の中で、エノはごちる。


「光無よ、閃光の様に生きてこそ人なのだろう。誰かを生かすために輝き、誰かを喜ばす為に輝き。そして、閃光は死と言う闇に消えるか…」


その必死なもの達の時間を簒奪する連中がいるからこそ、外の世界から悲しみは無くならない。


拳を握り、幼女の指抜きの皮グローブから音が鳴る。


「時間は閃光の様に過ぎ、若さは火花より速く消え失せる」



(ドクター琥珀、君は本当に大したものだ)



「次の患者は、生きようとすると良いな。生きる事を諦めない、そういう患者だといいな。患者もドクターも生きようという願いがあり、最大限の努力をし。ポイントを十全に支払うというのならば、私に否はない」



その時こそ、病も寿命も体力も時間もなんでもしてやろう。

結末を知っていても、告げる言葉が判っていても。


こぼれる涙がまだ私にはあるのだな、数多を握り潰せるこの私でも。


握り潰してはいけないものぐらいは、大切にするものだ。


「私は、報われる世界を約束したのだから。箱舟の中では、私はそれを全ての命に約束出来ねばならん」


だがな、それでも。殺す事を当然の呼吸する様にやってきた、この私でも。

それを楽しいという気持ちを持った事は無い、ずっとずっと闇の中で涙してきたのだ。


(しかし、天国か。馬鹿を言え、生きとし生けるものよ…)


「天国も地獄もこの世にあり、それらはお前らの手で生み出すものだ。箱舟が天国だというのなら、それはここに居る労働者とダスト達運営の努力の賜物。私は知らん」



この身は、聖光であり魔星でもあり。


この手に出来ぬ事はない、この手に握れぬものなどあってたまるか。

可愛いスライム一匹の、望む世界一つ彩れずして何が神か。


祈りなんぞクソの役にも立たん、だが手を合わせ花を手向ける位はあっても良い。

死んだものと話す事すら約束するのだ、この私が。


手ぶらで会う事もあるまい、それぐらいの自由はあってもよい。


(それ位は、なければ報われん)


そうだろう?、ドクター琥珀。

そうだろう?、ダスト。


戦え、現実と。

何処までも残酷であろうとも、ドクターは患者の為に戦わねばならん。


患者も又、戦わねばならん。生きる為に、生きるという現実の為に。

私はどんなに残酷で、それがロクでもないとしても。


私から、君たちへ。

箱舟の労働者諸君、君たちへ。


私が与える報酬は喜び、私が渡せない報酬はもうその手にあるものか。

私にとって、それが不可能な場合に限られる。


そして、その不可能は…。

私の気持ちも、含まれる。


曲げろと言うのなら、割増料金を要求する。

嫌であればある程に、値段は跳ね上がる。


ましてや、今回の患者は…。



「この世がどんな形でも、地獄にしかならないわけだ」


闇の底で、仁王立ちで目を閉じて。


「どいつもこいつも、地上が救われないのはお前達の自由を叫び続けるからに他ならない。かといって、誰も自由を奪われる事を望むものは居ない。死にたくないと逃げ回り、逃げ遅れたものから全てを奪い去る」



そして、私がそれを握り潰さない理由など知れたこと。

顔中が血管だらけの顔に、修羅(エノ)の顔で言った。


「他ならぬ私はこの道を行く為だけに、これだけの存在にまでなったのだ」


いつもの、エタナではない。地獄から這い上がる様な怨霊の声、エノのドスの利いた声。


私は、アホな幼女で黒貌やダストに養ってもらうニートが丁度いい。

営みをテレビの様に外野で優しく見ている位が、丁度いい。



全ての、努力を怠らないもの達へ。

お前達は、大したものだ。


全ての、その輝きを持つもの達へ。

お前達の、輝き一つ一つこそが光だ。

この世の光、もっともっと明るく照らしてくれたまえ。


この私が存在する事の出来ない位、輝き幸せであってくれたまえ。

この私が叩き潰さなくても良い位、世が平穏であってくれたまえ。


私は、あのアホが箱舟にのせ続ける限り仮初の世界を作ろう。

私の敵となった全ての存在へ、全ては私の権能の一つである塔を。


拷問城の一片となりたくば、私は同じ位階神の挑戦でも受けよう。


「この道を歩くのに、私だけが救われない事など承知しているとも」


だからこそ…、だからこそだ。


「あの城がデカくなる度、増える度。その力を増す度に、愚かなものがこの世には溢れているのだなと胸糞悪くなる」


私の力なのだが、だからこそ私はあの力が死ぬほど大っ嫌いだ。

精査と改ざん、元素と現象の支配は別系統の権能。


数多の死を積み上げて、高く高くそびえる程に威容を誇る塔。

たかが権能三つが越えられぬのに、どうして私に届くと思うのか。


それでいて、と涙声で両手を強く握りしめた。


「ドクターが生かそうと、最後まで足掻いたように私自身も本当は救いたかった…」


他ならぬ本人がもういいと、諦めなければ。

他ならぬ本人が奇跡を望まず、闘病生活をしていれば。



「私がそれを、私の意思で曲げる訳にはいかんのだ」


本人が望まないのに、強者が押し付けるなどあってはならんのだ。


「少なくとも、箱舟の中ではそれはあってはならん」


涙が、深淵のフロアに幾つも落ちていく。


「一人一人が望んだ幸せを手に出来ない、一人一人が望んだ選択を手にできない。それは、箱舟の中ではあってはならんのだ」



私の気持ちが、どうあれ…な。

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