第百二十三幕 明日(あした)

虎の獣人が職場まで迎えに来た小さな娘を肩車して、懐かしい眼をしながらしっかりと歩いていた。


「ねぇ、お父ちゃん。明日はどこへ行こうか、ねぇねぇ」


虎の獣人は笑いながら、そうだなぁ。と、体を揺らす。

明日は、肉でも食べに行くか。


「あたし、居酒屋エノちゃんがいいな。あっ、お野菜少な目で」


バツの悪そうな顔で、肩車されながら娘が苦笑するのをみて。


「ちゃんと、お野菜や果物もバランス良く食べような。じゃないと、生産区画のアンデットの連中が悲しそうな顔するぞ」


そう、俺達は労働者だ。


最初の怠惰の箱舟はこんなんじゃなかった、天気もなく何もなく。ただの洞窟に、受付と売店があるだけの場所だった。


豚屋通販なんてなかったし、こんなに労働者や娯楽なんて溢れてなかった。

そういって、父親の虎獣人は最初の怠惰の箱舟を思い出す。


今、肩車している娘の膝から下は無かった。

眼も、人間達に松明で焼かれた。


人間共の戦争に俺達の村はモロに巻き込まれて、ただ奪う為に殺されたんだ。


お金としてはコインが、怠惰の箱舟が評価する事にはポイントが報酬として支払われる。コインやポイントで売店を利用すれば、ものは手に入る。


それ以上に何かを願うなら、ポイントを使って腕輪に問えと最初連れてこられた俺達十人に言われた。



娘の眼は、治るのかと問えば。

両目の代金は、五万ポイント払えと言われた。


俺は、五万払った。


そしたら、それは瞬時に叶えられ。


親子三人で抱き合いながら泣いた、それを見ていた連中も逃げる時に失った手や背中などを元に戻してもらった。


両足を元に戻す為にはいくら払えばいいと問われたら、それも五万ポイントだと言われた。


連れて来たスライムは、プルプルしながら言っていた。


「箱舟は、奇跡を売る場所だ」


俺の嫁さんが、払ったらそれも直ぐに叶えられた。


「願いが叶うのはポイントが支払われて、支払い完了のブザーが鳴った時」


ポーションなどはもっと高いはずだと問えば、ポイントは行いに大して支払われるものだからそれでいいと言われた。


「要するに、箱舟のポイントを審査してる神に褒められる行動をしてりゃ貯まる。箱舟の神は、報酬も商品の値段も自身が叶えるのならの値段」


逆にポイントがたまらなかったり減点されるなら、それは例え経済的に正しくても怠惰の箱舟の神が推奨する様な行動ではないという事さ。



「イジメたり、誰かを馬鹿にするような行動をとれば直ぐに減点される。外よりも見えやすく判り易い指標だし、外と違ってすぐに天罰も救いも落ちてくる」



だから、娘の眼も足も直ぐに綺麗に元通りになったろ?


「あれから、俺は薪を割ったり。毛皮をなめしたり、村でやってた事と同じ事を一生懸命やって毎日を過ごした」


最初、ボロボロでここに来た俺達にカレーとかいうへんな食い物を好きなだけくえっていう変なイベントがあった。


逃げて来た俺達には、水も食料も貴重だってのに。


「イベントは、箱舟が勝手にやるやつだから参加はタダだ」


参加しますと言って、好きなだけくえばいいのさ。

先に居た変な奴が笑いながら、5杯もおかわりしてるのを見て。


「好きなだけくったら、皿だけかえして解散さ。飲み物は水しかねえけどな、違うの欲しけりゃポイントかコインで売店で買って来いってさ」



俺も、最初食ったらうまくて後は覚えてない。

やばそうなのは色だけで、最高に美味かった事しか覚えてない。



娘も嫁も横で、ガツガツやってたけど親子三人で後から聞いたら夢中で食べて覚えてないっていって笑ってたな。


長い逃亡生活の果てに、たどり着いたダンジョン。

ここをダンジョンって言ったら、みんな首をひねるだろうな。


俺の妻が、家が欲しいと言えば。

小さな家は直ぐに手に入った、だがそれ以上に驚いたのは。

俺達の人間達に焼かれたはずの、家すら売っていた。


「一番きれいだった頃の、俺達が夫婦始めた時の娘が居なかった頃のあの家」


間取りも家具もまったく一緒だったから、見間違えるはずもない。


「箱舟の神が、お前らの家の一番いい状態を再現したのを売っている」


小さな家よりわずかに高い、それでも俺達夫婦はまよわずそれを買って。

今も、そこから職場に通ってる。


ここが、ダンジョンなわけねぇだろ…。


「箱舟を管理する神様、あんたはなんで俺達の村を救ってくれなかったんだ」



娘の、笑顔を見る度。

村から一緒に来た奴の、笑顔を見る度に。


「あんたなら、何とかできたんじゃないのか。それが、むちゃな事だって俺は判ってるはずなのに」



人生にたらればはないし、極限まで研ぎ澄ませるただその為に。


俺達から、乾燥藁を買っていく黒貌さんみたいなのもいる。

その藁で魚や肉をあぶり、火をたった一ミリだけ入れる事で風味を出すなんて事もやってやがる…。


過剰品質を追い求めるのは、技術者としちゃかなり泣かせる現実だってこともあるがよ。料理人としちゃ、過剰に次ぐ過剰品質でなければ心をとらえる事なんてできやしねぇんだ。


インスタントがうまくなるのなら、待たせて足を運んでもらう以上その料理は安いとか旨いとか美しいとか楽しいとかなんか理由がいるんだ。



ただ、心をとらえてまた来てもらう為に。



俺と娘は、居酒屋エノちゃんの前でまっている妻に手を振って何か頼もうかと声をかけた。


いつも、週末はここにくる。幼女がデフォルメされてダブルピースしている赤提灯と演歌以外なんの変哲もない、カウンター席五席の居酒屋に。


「箱舟は、それを欲しいと言ったスライムが始めたものですよ。俺は割と最初期からここに居ますがここの神はやってみろとだけおっしゃったそうですよ」



そうかい…、あのスライムも。

俺達と一緒で、あいつも今日を必死にいきてんのかい。


黒貌さんの店は安くて、時々嫁さんと一緒に行くんだ。

そん時に、黒貌さんが苦笑しながら教えてくれた。


「箱舟に来た人はみんな誰しも、そう言いますよ。もっと早く、この場所に出会いたかったと。でも、それはたらればなんですよ。俺達は過去には戻れない、今日この日を最高にするために踏ん張り続けるしかないんですよ」



粋をしり、覚悟をみせ。


この箱舟は鮨屋(すしや)に似て、魚ではなく労働者をあつかうね。


塩の浸透圧をつかい、塩分を抜いて寝かせる。

炊いたコメで、カニの甲羅の中を粘り取り。

ただ旨味と油を染み出させる為に、本来はタブーな温めた皿を使う。


一見無駄な事だらけに見えて、遊びと技術にあふれている芸術品。


(ただ…、ただ…その為に)


その労働者を輝かせるために、その人生を素晴らしいものとする為に。

素材さえ、素晴らしければそれでいい。


そう、素材のあなた達が素晴らしくあれば。

本来なら食べる部分でない、背ですら最高級品になる。


本来なら、幸せになれないはずの人達でさえその権利がある。


箱舟の神がくれるのは、権利だけ。


勝ち取るのに、必要な努力は我々素材側が粉骨砕身で生きるのみ。


「はい、ブロンズロトボーンの藁炙りです」


そういって、差し出された藁炙りは俺達が黒貌さんに収めた藁であぶった極上の肉。


ブロンズロトボーンなんて、俺達の村じゃ主食で誰もが食べなれたものだったはずなのに。


俺も娘も嫁も親子さんにんで、美味さのあまり泣いていた。


「俺もね、ここに来るまでは散々な人生でしたよ。それでも、こんな素人料理でもお客さんに喜んで貰って権利が買えるんだ」


演歌が流れる店内で、ただ俺達三人は感動と過去を思い出して泣いていた。


「今日も明日も明後日も、アナタがもし救いたかった方がいるのなら。ポイントを支払ったらどうです、誰か大切な人を蘇らせてもらったりしたらどうです?。ただ、部位欠損の回復等と違ってそういうものは高くつきます」



アナタにその覚悟があるのなら、箱舟は幾らでも奇跡を売ってくれますよ。


黒貌さんの作るモノはやっぱうめぇなぁ、箱舟があれだけ飲食店にあふれていても俺達親子はここにくる。


ただ、その雰囲気をぶちこわすように下品に食ってる割にいつもいる袖無しの貫頭衣を来た幼女…。


娘よりもやや小さくて、背中に神乃屑とかかれているやつをいつも着てる子供。


黒貌さんが、優しく微笑みながら口元を拭いてやってる。

うちの娘も、黒貌さんに拭いてもらって笑顔だ。


いいとこだな、ここは。


「やっぱりおかしいぜ、ダンジョンは人を食うだろ。人を襲うものだろ、それとも何かい。幸せで出られないから、そういうダンジョンがあってもいいだろうって事なのかい?」


本当に、最高でふざけたトコだな。


妻が、ミード(ハチミツ酒)の冷えた奴を注いでくれた。

俺も、ミードをピッチから妻の冷えたグラスに注いでいく。


俺達の、週末はいつもこんなんだ。

次の週末か、娘はどこへ行きたい?


ここには、戦争はねぇ。

ここには、いろんな連中がいるけれど。


行いに対しての評価か、なぁ箱舟を管理する神とやら。


俺達親子三人、まだまだ世話になりそうだぜ。


親子たちが気がつかない位素早く小さく、エタナちゃんが右手の親指を立てて口元だけで笑う。


黒貌も、こっそり背中に回した右手で親指を立てて口元だけで一瞬笑った。


一人と一柱(ひとり)の、心の声が重なった気がして。


「明日を望め、希望を望め。幸せになる事が義務だなんて事はけして無い、ただ欲しいものを勝ち取れ。箱舟が提供するのは挑戦権だけだ、叶えるのは自身さ」


エノはエタナを操作しながら、そう闇の中で呟いた。


「涙には、いくつもの思い出がある。誰かの心配ばかりしている奴が、先に逝くなんてしょっちゅうさ」


エノは、黒貌そっくりの靴磨きの老人を思い浮かべながら。


「人にも神にもいつかなんてあるわけないだろう、今から初めて今から叶える以外にない」



(私の、世に対する恨み言が消える事などない)


ふと、黒貌が椅子に座るエタナに微笑みかけ。

エタナも無表情ながら、口元だけで笑った。


黒い執事服の白髪頭の爺さんが、黒いスーツに紅いハンカチを胸に。

エタナも、袖無しの貫頭衣に桃色髪のストレートが椅子まで下がって揺れた。


「一生懸命生きている奴は、皆かっこいいな黒貌」

「そうですね、エタナちゃん」

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