第百五幕 老兵達(ふるつわものたち)
孤児院の庭に置かれた長椅子に、二人の老人が座っていた。
一人は、魔族商業ギルドの六長老のギイ・アルカード。
一人は、居酒屋エノちゃん店長の黒貌。
二人は、笑顔ではしゃぐ子供達を眺めながら微笑みつつ会話をしていた。
「久しぶりに、オーナーに叱られましたよギイ殿」
頭をかきながら、何とも言えない顔で独白する。
「ふぉっふぉ…、そりゃそうじゃの。お主の喜びが子供の笑顔であるならば、それを曇らす様な事は巌につつしまなければ。お主の所のオーナーは怒鳴るじゃろうて、しかしパーティに金貨とは相変わらず豪気な方じゃ」
ギイは、もってきた水筒からお茶をちびりと飲む。
古い竹の水筒を腰にぶら下げなおし、ギイは笑った。
「それで…、ちゃんとパーティは成功したのかの?」
黒貌は力強く頷く、そしてこう言った。
「ええ、あれだけのものをおぜん立てしてもらって何も出来なければまた叱られますよ」
ギイも、眼を閉じて頷く。
「そうじゃな、ワシならそんなものは用意などせん。あのオーナーはお前さんにはあまあまじゃて、それだけじゃないからこそワシも取引先としては安心できるのじゃがな」
黒貌はでも…、と続けた。
「くじで皆さんがいいものを当ててる中、俺はカメの子タワシでしたよ」
ギイはむせた、さっき飲んだ茶が僅かに鼻に入る。
「あのオーナーは…、やってくれるわい」
黒貌は笑いながら、頷く。
「今年の税金も、うちとの連結決算になっとるから払わんでええ。もっとも、怠惰の箱舟には数多の品物で良い取引をさせてもらってるからの。これぐらいはサービスせんと切られてしまうわ」
恐れ入りますと、黒貌が頭を下げる。
「あそこには豊作も不作もないしの、品切れもない。専用の魔道具で通話一本じゃ、言いにくい事は直接来いというが商売としてこんなありがたい取引先もない。ビジネスは相互利益じゃ、片方が損して続く取引等無い。それは、社員と会社の関係もそうじゃ」
ワシとて人件費に頭を痛める側じゃ、じゃから人件費を下げたい経営者たちの気持ちはわかるがの。
続かなければ、先につなげる事は出来んのよ。
先の無い会社は、存在するだけ害悪じゃ。
先が無いから無茶をして、従業員にも世の中にも悪しき前例を作り続けるからの。
さすがは、ワシの信じる唯一の神であるしょうもない神の紹介じゃな。
「インチキもしなければ、転売もなし。欲しい商品は直ぐにくる、納期も含め、嘘が無い。どんな品薄の商品であろうとも、金さえ払えばちゃんと手元に届く。品質も間違いがない。だからこそ、生産者としても当てにできるというもの」
ワシらは違う神を信じとるし、お互いその神以外クソだと思っておる。
「商会の長老なぞやっているとな、信用しろと言ってくる奴なんざごまんといる。信用して裏切られる事も数多ある上、神ですらクソだらけじゃ。この世界では、幾ら信じたいと願っていても信用に値するものなんざ塩一粒よりも少ない」
子供がかわいく見えるのは、大人にはないものを沢山もっとるからじゃろ。
可能性も、ひた向きさもな。
そう言ったものを、無くしていって皆大人に…老人になる…。
なくさずおれるものなぞ稀、無くさず壊れないものなどもっと稀じゃ。
ワシら老人には、特に艱難辛苦を人一番舐め続けた老人にはな。
大人と言うだけで醜く見え、人の笑顔を見るだけで吐き気がする。
「お主の事も、ビジネスパートナーとしてはまずまずじゃが信用はしとらん」
黒貌も微笑みながら頷く、そしてギイに言った。
「えぇ、所詮はビジネスです。そして、俺もまた我が神の為に貴方と仲良く見えるだけの努力を最大限しなければならない」
俺も、同僚とオーナー以外は世の中自体良く思ってはいませんよ。
「貴方には、本音で話した方が好かれそうだ。そう判断したまで、俺はオーナーみたいに完ぺきではありませんから判断が間違っているかもしれない可能性は常にある」
ふぉっふぉと、ギイは杖を一つ地面をつく。
「それは、当然じゃな。神も世も間違いだらけ、ワシが信じるしょうもない神はこう言っておったよ。お前さんのオーナーを、紹介する時にはっきりとな」
これから紹介する神は現在過去未来が全て見え、この世の全てを書き換える事ができる相手です。
乃ち彼女は間違えないのではなく、間違う選択肢を選ばない事ができるだけなのだと。
力だけは本物で、あらゆる事を思いのままにします。
一人の男の人生が、余りにも闇に包まれて。
闇の人生を歩く、余りにも惨めな男。
ずっと、その男は自分は闇の中にいるんじゃないかと錯覚する。
私が闇になれば、彼は怖がらずに済む。
私が光になれば、彼は怯えずに済む。
私が希望になれば、彼は死ぬまでのわずかな間だけでも笑顔で生きられる。
信じられますか?
全てを思いのままにする彼女は、愛したものだけを幸せにするために。
闇にも光にもなってしまう、彼女にはそれが可能なだけの力があるのです。
彼女の前ではあらゆる武力、あらゆる手段は全て無駄でしょう。
人種や前例すら、彼女は容易く書き換える。
今すぐ自殺したくてしょうがなよい様に意識を書き換え、呼吸をするだけで無限の苦しみを味わう様に変える事だって彼女には容易い。
それだけの力を持ちながら、小さな小屋の様な場所で生きたいと心の底から願うそういう変わり者です。
その莫大な力だけで、三幻神の椅子に座れるのです。
そして、その力をこの世で最も嫌っているのは彼女自身。
貴方が何を思おうと、彼女には見えています。
信用も信頼も必要はありませんが、彼女に対しては誠実であり続ける事をお勧めしますよ。
「怒らせていい事など、一つもありませんから」
それでも、彼女は彼女の敵になった全て同時に相手どり滅ぼしたからこそ今があるのです。
信じられますか?彼女はあらゆる事で相手の土俵に立ちその権能なぞ使わずともこの世で三指の頂点に座るのです。
私は、彼女があぁいう性格であった事に感謝しています。
彼女だけではだめだった、眷属だけでもダメだった。
彼女がやればディストピアにしかならず、眷属の理想は所詮絵空事。
「箱舟とは、その名の通りですよ。彼女はあの中だけに救いと幸せを約束する、労働という形をとっていますが。その実、努力と研鑽をもって喜びと言う報酬を払う」
箱舟グループはダンジョンの形をとっていますがダンジョンではなく、企業の形をとっているが厳密には企業でもない。
「文字通り、箱舟なんじゃからな」
だから、遍く全てに同じ光を当てる力があっても彼女は箱舟の中しか救わない。
しょうもない神は、そう悲しそうに言っておった。
「ワシとて、己が正しいと思った事は無い。後悔のないよう、老いさらばえた今でも必死に生き続けて来ただけじゃ」
正しいと思いたい、正しい事をしたのだと信じたい。
しかし、我々には一秒先すら何が起こるかなんて判らない。
足元に転がってきた、ボールをゆっくりと持ち上げて遊んでいる子供にしっかりと渡すと黒貌は椅子に座る。
「ふぉっふぉ、そんなもの誰も判りはせん。判った所でどうにもならん、普通は判った所でそれをどうにかする力が一人一柱にあるはずもないからのぉ」
対処できなくて苦しみ、対処できても数多のものに良い様に使われて干上がる。
神乃屑を含む、位階神だけがその例外。
「俺は、今までいろんな人に怒られ怒鳴られ叩き潰され泣きはらし生きて来ました。今でも、オーナーにすら怒られる事があります。こう、胸をつかまれ顔を近づけられてね」
ただ、オーナーだけなんですよね。
俺を理不尽な理由で怒ったりしなかったのは、俺が出会った中では彼女だけだ。
「あれはポンコツで不器用なだけじゃろ、それ以外にない。お前を心底愛しとるからこそ、怒ったように見せとるだけじゃ。あの神が、本当に怒っとったらこの世がなくなるわい」
違いないと黒貌は膝を叩き、ギイをみた。
「何にでもなって見せ、私に不可能があってはならん…か」
恐ろしい神もいたものだ、そしてお前はそんな神に愛された。
「お主の不幸もここまでくれば、一周回って大したものじゃな」
黒貌は寂しそうに、空を見つめ。
「俺は、何になってもらわなくても貴女が側にいたらいい」
ギイも寂しそうに、空を見た。
老人二人が空をみれば、空は紅く焼けていた。
「ふぉっふぉ、そうさのぉ。クソだらけのゴミだらけの似非だらけのこの世で、信じ合う事が出来る。それは、若さ以上の宝じゃ。若さは誰でも持っているが、そういう出会いは誰にでもある訳ではないしの。若さは誰もが失うが、そういう出会いを手放さずにいる事は綺麗ごとでは決してない。想い続けるというのは綺麗ごとだが、それを貫くのはこの世のどんな困難よりも困難じゃ」
ビジネスに人生をささげたワシだからこそ、胸を張って言えるわい。
損得無しに、何かを貫かんとするものを相手取る時ほど厄介なものはない。
人は常勝を望むもの、しかし真に常勝できるものは人にはおらんのじゃ。
あらゆるものは、神乃屑の様な力は持たんのじゃからな。
神乃屑の様に全ての真贋が見え、言葉の表裏その先まで判る訳が無い。
神乃屑の様に、一柱で戦いにすらならぬほど強く。何でもできる、そんな訳が無い。
知っておるか?かの神乃屑は、地獄の日より前大した権能等もたん神だった。
その執念だけで、小さな神の頃から練り上げ鍛え上げ続けて来たのじゃ。
何も持たずに、眼前の敵を全て屠ってきたのじゃ。
権能がなくても、世の全てを相手に戦える程の力がある。
何もない何物でもない、そんな小さな神が歩き続ける過程で全てに勝ち続けて遂には己で自身の権能まで創り上げたのじゃ。
人でも神でもそんな道は歩かない、だからこそ彼女は言うのじゃよ。
「私の道に、救いなどない」とな。
地獄の日より前でそれだけの心を持ち、今の彼女は一柱で十三も権能を持つ。
何も無くても、信念だけで全てに勝つ。
そんな神が、世など知らん自分等もっと知らん。
愛するものの平凡な毎日があればよいと、本気で言っとるのじゃぞ?
あらゆるものを無限に用意し、こうして話している今でさえその手を力を持って握ればそれで終いじゃ。
ワシとて金という力を失えば、商会長ギルドの長老という権力が無くなればただのよぼよぼの無力な爺が残るだけじゃよ。
お主は、不幸な人生を生き。本当の最後の最後死の間際、いい加減体にガタがきて年老いてからまるで線香花火が最後に落ちる寸前で一際輝くようなささやかなものを手に入れた。
何もない、結局闇のまま墓にいく連中だって数多いるなか。
手を取るものが居たお主は、そこで初めて権利を手に入れた訳じゃ。
「幸せになる権利を、手に入れた…ですか」
まぁ、お主が手に入れたのはただの権利じゃ。
権利は使わなければ何にもなりゃせん、そしてその権利は無条件で幸せになれるような類ではない。
「有料で、幸せを買える権利じゃからの。代金は金ではなく、払う相手はお主の信じた神にじゃが」
お前を愛しているからこそ妥協せん、不器用だからこそそれすら口にせん。
ただただ、お前の平凡な日々を望んどるんじゃよ彼女は。
「判っています…、その権利を手にした時から。俺が唯一手にした、この世での希望です。精々手放さない努力を、めいっぱいやりますよ。俺のこの老いぼれた人生で最後で最高の権利だ。俺にとってこの権利は、自分が想いをはせ憧れた彼女がくれたものだ」
(だから…、俺は彼女からの出前だけは待ち続けますよ)
「ほれ、これは魔族領でのどこでも屋台が出せる許可証じゃ。これを見せて、黙らないやつはワシや元三魔王の連中が黙っとらん。お主の出前や屋台を待っとるもんは、お前の神だけじゃない。ただ、同じ場所で商売が出来るのは七日までじゃ。同じ街で商売する分には構わんが、ちゃんと移動するんじゃぞ」
黒貌に許可証を投げ渡すと、立ち上がりゆっくりとギイは歩き出した。
「何から何まで、ありがとうございます」
座ったまま頭を下げた黒貌に、ギイは杖を持ってない手を軽く上げて返事をして消えた。
「えぇんじゃ、えぇんじゃ…」
頼まれたもんはきっちり耳を揃えたる、そっちもこっちが注文したものを品質から納期まで間違いなく届けてくれたらえぇ。
それが、ビジネスっちゅうこっちゃ。
「ワシは立場故綺麗ごととは無縁で、嘘と真実を織り交ぜ。敵も味方も謀って生きておる、もうこの年になれば謀る事が自然で治す事などできはせん」
それでもな、ワシはお前さんのオーナーに対してだけは誠実であり続ける。
「副会頭の母親が、お前さんの所のオーナーの門番だと知ったあの時から腹は決まっとるよ」
副会頭はまだ若い、じゃがワシにとっての後継者はあの子しかおらん。
「信じる程には実力がない、それは経験がないのもそうだし若さ故もそうじゃ。じゃが、それでもワシにとっては副会頭の春香は大切なんじゃ」
もしも、ワシにお主と同じ権利があるのなら。
「副会頭の春香に、母親と共にある時間をこうてやりたいぐらいじゃよ」
そう言った、ギイの顔はどこか悲しそうに笑っていた。
「箱舟には本来悩まねばならん事はほぼ力で解決しておるが、それはあの神だから出来る事じゃ」
だからこそ、連合内であろうと外の世界にある我らは今日を必死に生きるのよ。
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