第八十四幕 流星より儚く

明日を見上げる、それがどれだけの事かお前達は知っているか。


誰と共に歩む、その難しさと愚かさを知っているか。


「世に蔓延る、あらゆる言葉は世迷言なのだよ。少なくとも、私にとっては」


足元は常に暗く、遠くは見えず。


誰かの笑顔が邪悪に見えた事があるか、あらゆる考えが見え聞こえ読めるという事の怖さを知っているか。


過労で倒れて運ばれたのに、次の日電話で出てこれるかと聞かれた時の様な邪悪さを感じた事があるか。



私は、だからこそ。

お前達にだけ、望む世界をやろうというだけだ。


他ならぬお前達は、自身を犠牲にしては私の創る世界に避難させてくる。


私は…、それでも構わない。


私は、お前達にとってのみ都合のよい神であろうとしているからだ。

エノは微笑む、位階神もこの世の理もみんな踏み付けて。


この世を思い通りに出来るなら、何故認めぬ全てを破壊しないか?


「私にとっては、お前達の幸せのみあればよい。お前達の希望のみあれば良い、故に全ては視界にすら入らない」


老人を徐々に赤子にして消し去る事も、星の自転を逆にする事も。

空間を粘土の様にこねくり回す事も、この幼女の姿すらも容易に変えられる。


誰も私を見つける事ができなかった、私という存在が視界に入らなかった。


私が見える範囲に救いなどなかった、私の聞こえる範囲で怨嗟と慟哭だけが聞こえ続けた。


紅い死体の浮かぶ湖に、紅い夕日を浮かべ。

両ひざをつき、夕日に両手をかざし。

夕日を、見た事があるか。

魂から、慟哭し吐き散らした事があるか。



極上おこさまランチを見つめ、スプーンを握りしめ。

ふと、力の入れすぎを気にして小さな紅葉の様な手を見る。


スプーンの柄を確認して、ほっとした。


「あぁ、不便だな…」


かつての事を思い出す度、感情を表に出す度。

このエタナの体が、己の力の作りものであっても。


力を入れすぎれば、感情がふれてしまえば。

空間を割ってしまう、世界を壊してしまう。


米どころか、それより小さい虫の足の毛に絵画を描いているようなコントロール。


それを更に、自身から離れた場所の人形に行う。

そこまでしなければ、彼女は愛する男の料理を口にする事すら出来ないのだ。


(巨大な我が身は本体にしまい、更に髪の毛一本で操り人形を動かし。その人形の出力さえ細心の注意を払って日本刀を研磨するようなコントロールがいる)



黒貌はそんな事はしらない、いつも私に微笑みかけてくれる。


「今日の、ハンバーグは自信作ですよ。お味はどうですか?」

「値段並みに旨いぞ、もう少しソースが多めの方が私は好きだな」


そう返すのが精一杯、人形の表情筋を笑顔に変えて。


その男の嬉しそうな顔を見る度に、自分も嬉しくなる。


(誰かの笑顔を見て、邪悪に感じなくなったのはいつぶりだったか)



本体は、相変わらず段ボールの中にいれてある。

その気になれば、本体なぞこの世の原子元素と入れ替えるだけ。


何処にでも居て、どれだけでもあり。

この世が始まったその時から数えて、チリの様な一粒でもあれば私は全ての再生が叶う。それでも、私は本体をあの段ボールに入れて寝床にしているのだ。


最初に貰ったあの段ボールを、最初の私が壊れぬように力をこめた。


(味など食べる前から判るさ、調理過程と温度管理さえリアルタイムから過去のものまで追っていける…だがな)


それを口にすることに意味がある、その言葉をかける事に意味がある。

それらの不便をおしてなお、彼女は彼の料理を食べにくる。


実際、スマホのゲームさえ怠惰に見せる為のフェイク。


彼女はその気になれば、スマホなど操作しなくてもそのソフトをデジタルで遠隔管理したまま脳内にソフトハード等も含め思うままする事すらできるのだ。


(この世にあるもので、操作できないものなど無い)


私にその気がないだけで、どの様な存在もどのような現象もだ。


妄想のように実物を操作し、それをこの世の全てのスマホでやってしまう事すら容易いのだ。


原初の命の樹のAIの能力は、現実と理をこの世の全てに強制する程に処理能力が高いのだから。人の創る仮想など五十万分の一秒が映せるカメラの様な感覚で操作できる。


望めば望んだだけ望んだ事ができる、それが命の樹。


(怠けている、その事実を創り出すために)


「私はニートでなくてはならん、無力なエタナでなくてはならん」


無敗で無敵で完全無欠な位階神エノではなく、無力でマヌケな幼女でなくてはならん。


「非効率で、不便でそれでもそれが楽しくて仕方がない」


これでは古を懐かしむ、懐古厨だな。


「私は、今この時が楽しくて仕方ない」


今までも、そしてこれからも。


「エノはどこにもいない、いるのはエタナ」


エノを起こすな、エノに会うな。

私は、エタナだ。


「黒貌、お前の研鑽を私は知っているよ。ずっと見ている、それは飽きる事が無いよ。このハンバーグも、肉の配合から焼き加減まで大学ノート四十冊に及ぶ分析の末にたどり着いたのだろう。ストップウォッチで測り、秒単位で完成させたあとタイマーすら見る事無く再現しそれを焼けるようになったのだろう。お前は、そんな研鑽をしてお首にも出さずに料理を出すのだな。まるで白鳥の様だぞ、優雅で華麗で。水の下では無様にもがいている、それを水面から見る事は出来ない」



私は、そんなお前だからこそ。

お前の為だけの神で良かったと思う、そう最初はお前だけだった。

時を同じくダストが加わり、光無をペットにして。


光無はいつか、外でいい男を見つけたが。


種族と年齢という壁を超える事はできなかった、それでも娘をもうけそのひと時だけは幸せだったよ。


また、私のペットに戻ってきた光無は寂しそうだった。

お前はコックローチ、判ってやれるものなどそうはおるまい。


あぁ、それでも最初はお前にだけのつもりだったのだ。


(本来はな、奇跡がビジネスであってはならない)


自分を探す旅にでる?愚かな、己を知るだけならば座禅でも組めば良い。


旅には旅の良さがあり、それを知らぬ旅などするだけ無駄だ。

楽しさがあり、喜びがあり。


その様が、虹のオーロラの様に輝いて思い出せる。


仲間もまたしかり、友もまたしかりだ。


輝く思いでを語れぬもの、それを似非というのだ。


いかなるくだらない事を宣い、馬鹿な事をしていたとしても。


「輝ける時など、生あるなかでそう多くは無いのだ。それを、大切にできないものなど死んだ方が良い。どうせ、死んでいるのと大差ない」


黒貌、お前が最初何も出来なかった時も。

お前が米を炊くのすら焦がしてしまった時も、私達は笑って食べたな。


あの頃、私は無限に米を出すなぞ出来なかった。

だから、種もみの段階の奴を二人で汗だくになって運んだ。


あの時は、自身の身が幼女である事を恨みさえしたな。


私はお前に、こう言った筈だ。


「いいかい、黒貌。どのような研鑽をしどのような事が出来たとてそれが完全で完璧等と言う事は無いそう思うのならそれは傲慢であり勘違いだ」



言葉にして、次も頑張ろうと立ち向かう。

人は太陽にはなれんよ、月にもなれん。


真なるものには程遠く、されど偽物というのは偽物であるべきだからそういう事になっている。


ヒーローは悪と戦うんじゃない、本当のヒーローは理不尽と戦う。


「孤独で、惨めで誰にも気づいてもらえない。それでも、理不尽と戦う為に己の全てを用いる事。それが、できるものなどそうは居ないよ」


酒場で語られるような、劇で歌われるような作りものではない本物のヒーローはな。

ありえないからこそ、理想論でかっこいいのさ。


女に清楚を求めるのと変わらん、ありえないからこそ美しい。


「愛する黒貌、お前の為に私は何者にでもなってやろう」


お前が、報われたいというのなら。

お前が、ビジネスの様に喜びを買うというのなら。


そこで、ふと目を閉じ微笑んだままエタナが手を握りしめる。


(メモリアルソルジャー:亞瑠・亜餌腐天球書庫(ある・あじふてんきゅうしょこ))



それは、黒い本。

一冊でありながら、ページが無限に連なる一冊の漆黒の本。

かってにページが開き、かってに言霊が紡がれる。


「我が主、我が神にお伺い奉る。我は書庫にして一冊、何を取り出しましょう」


エタナは本に、優しく言った。


「私が初めて貰った供物、愛する男からもらったオレンジジュースを一杯だ」


本は、エタナの頃の歴史と日付のページを開きそこからオレンジジュースを取り出して複製してちゃぶ台の上にことりと置かれた。


量も味も、あの時のまま完全なコピー。


「今の私はこうして、現実に存在するものしたものならば無限に複製する事すら容易だ。例え味が変わったとて、やはりお前の手で絞ってもらったジュースが飲みたいものだな」


その一杯を飲み干すと、黒電話に手をかけた。


「さて、今日は何を頼もうか。黒き本、私は何を頼むべきか…」


黒い本は浮いたまま、ページをぱらぱらと動かしながら言霊を発する。


「本日は、冷やし中華を望むと良いでしょう。我が神よ、酢を使ったものではなくゴマを主体とした甘い冷やし中華を進言致します」


それだけを言い残し、本は消えた。

エタナが本を消したからだ、そして受話器に手をかける。



「黒貌、今日はゴマを主体とした甘い冷やし中華の出前を頼む」



決断は、本の進言を採用した。


「ふふっ、あの本も私の葉の一枚でしかないのだが。要するに独り言に近い、だがそれでもこの手の相談をするにはうってつけ」


あたまに手をやり、そのまま胡坐のまま寝っ転がる。


「あぁ、待ち遠しいな…」


妖精郷の幸せな時間すらも再現して見せた、その黒い本の意思。

幸せだった時間全てを繋いで、あの時間に凝縮し固定し違和感を排除した。


「何でも取り寄せる事ができる力もまた、今の私にとっては葉の一枚とはな」


ないない尽くしで、涙をためてさまよっていたあの頃も。

ないない尽くしで、それでも黒貌と笑いあった頃も。


今の力があったなら、と思わないと言えばウソになる。

取り寄せるだけではなく、創りだす事も消し去る事も容易か。


「今の私に容易でない事、それは無力な時の気持ちを一切忘れず無力な自身を演じ続けることかもしれんな…」



まぁ、それでも私はそれをし続けるのだが。


「この黒貌からもらったオレンジジュースは、魚の名前が呪文の様に書き連ねられた要するに寿司屋に置いてありそうな湯呑に入ってる」


想いは輝かしい、そして私は何度でも取り出す程には好きではあるのだが。


「どこか滑稽で、苦笑し。思わず、突っ込まずにはいられない」


オレンジジュースはな、冷やしたコップで出すものだぞ黒貌。

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