第七十七幕 黄金へ(おうごんへ)
エノとしての顔を向け、目の前の黒貌を見た。
「先日のデモンストレーション、ご苦労だった。ダストも技術屋の連中も、大変喜んでいる。まぁ、興行フロアの担当職員はお察しだがな」
黒貌はにこやかに答えた、背筋を伸ばし美しい姿勢で。
「いいえ、ダストから相応の報酬を頂いております故。こうして、貴女に労って頂くなど存外のおまけもついてまいりました」
エノは、黒貌に微笑む。
「何、私も観客席で見ていたよ。実に見事なものだった、故に私からも報酬とは別にちょっとしたものを用意したのだ。是非、受け取って貰いたい」
エノは、四角い平べったい箱を差し出した。
「拝見いたします」
短くそう言うと、黒貌はその場で箱を開けた。
中には黒いスーツが一着入っていた、思わず蓋をしめ箱を抱きしめると。
「ありがとうございます」
「光無といい、お前といいおかしなものだな。何でも変えられるポイント以上に、私が摘んで来た花や私がこの手で仕立てたなんの変哲もないスーツを喜ぶなど」
そう、何の変哲もないスーツ。
手入れを怠れば虫食いになり、形状記憶でも無いからアイロンがけが必要なただのスーツ。
でも、貴女がその手で能力を使わず作ってくれたというだけで俺にとっては何倍も価値がある。
完璧でない、スーツの方が。
「黒貌、良くきけ。都合のいい神等害悪でしかない、だが私は害悪を名乗ってもお前達の為だけの神をやっている。だからこそ、私はお前達だけには言い続ける。報酬は、喜びでなくてはならないと」
エノは、身長差から黒貌の足に抱き着く。
黒貌は静かに泣いていた、彼がエノと出会ってからポイントではなく物を貰えることがやはり嬉しい事だから。
「本来は、モノを送るというのはモノが残る故困ったりする連中もいたりするのだが」
暗に、私はお前を困らせたい訳ではないのだと。
「貴女はそういう方でした、俺達の神はずいぶん面倒な方ですから」
黒貌は自らの涙をぬぐうと、エノに微笑む。
「俺はジジイなんで、後どれくらい生きるかなんて判りませんが。それでも、貴女から何かをもらって困るなんて事はないですよ」
エノの頭上から、黒貌の声が聞こえた。
「まぁ、そうですね。俺から言える事があるとすれば、ダストにも何かやったらどうですか?俺や光無だけもらったのでは、アイツがふくれっ面になるかもしれませんよ」
エノは眼が点になり、黒貌を見上げて。
「スライムがふくれっ面になったら、風船みたいに膨らむだけかな。それに、スライムに何かやるって何をやったらいいんだ」
光無に花を、黒貌にスーツをと割と何も考え無しに送っていたのだ。
それでも、二人は大層喜んではいたのだが。
「オレンジジュースなんぞどうでしょう、ダストは貴女と同じオレンジジュースを好んでよく飲んでいます。まるでエナジードリンクみたいに、定期的に飲んでるので」
そうか、私がコップ一杯手で頑張って絞って冷やして出したら喜んでくれるかな。
ミキサーも使わず、ただただハンドジューサーに押し付けて果汁を出しコップに入れるだけ。
「えぇ、やつは喜ぶと思いますよ」
(後日)
「さて、ダスト忙しくしているお前を呼び出したのは他でもない」
顔中血管だらけのエノの顔で、黄金のスライムに言い放つ。
「お前は、報酬としてポイントをやってもほぼ何も使わぬ。たまに使えばそれは同僚の補てんであったりと己の為に使った事は皆無だ」
ダストは真剣な声で言い放つ、これだけは譲れぬと。
「お言葉ですが、俺は一人でも多く。一匹でも多くこの箱舟に乗せたいんですよ、貴女は箱舟の中にいるものしか救って下さらない。ならば、俺はこの箱舟で働く事こそが最大の報酬でもあると思っています。貴女はいつもこうおっしゃっているではありませんか、喜びこそが報酬であると」
エノは睨みつけ、右足を地面に叩きつけた。
「ダスト、お前は私との約束を忘れたのか?私は、この箱舟を始める時にこう言った筈だ。お前の好きにやってみろと、私はお前達の為だけの神であり何もする気はないと。お前がその手ですくっているに過ぎない、私は力を貸してやるだけだ。それは、お前達に対してのみ力を貸しているに過ぎん」
エノは尚も続ける、ダストを見下ろして。
「私が言いたいのは、こう言う事だダスト。お前はその働きに対し、受け取っているモノがあまりに少なすぎるということだ。休みを与えれば干からび、ボーナスをやっても貯蓄している。喜びもまたしかり、私はお前らとの約束として適切かつ公正な報酬を受け取らせる必要がある」
そういって差し出されるのは、樹のカップに入ったオレンジジュース。
「私が力を使わず、オレンジから無農薬で育て。輪切りにして、絞っただけのなんの変哲もないオレンジジュースだ。黒貌から聞いたぞ、お前はオレンジジュースが好きだそうだな」
ダストに差し出された、オレンジジュースは果肉が混じっていた。
だからこそ、それが本当になんの変哲もない手作りだと判る。
ダストはゆっくりとそれを受け取ると、しみじみこう言った。
「貴女は、貴女の力を使わずに育てる無農薬の農作物がどれほど手間暇がかかるかご存知のはずだ。それでも、貴女はこれを用意したというのか。俺の為に、この一杯がどれほどの数絞らねばならないか判っていながら」
エノは、ダストに笑いかけながらこういった。
「愚か者め、この私に知れぬ事はない。それは力を使えばの話だが、何よりお前はそれだけのものを受け取れるだけの事をしているのだ。ボーナスとは、雇い主の胸先三寸で決まるもの。そして、お前に報酬を約束する雇い主はこの私だ。受け取る資格がないものにボーナスなぞだしてどうする、お前はそれをいらないならばその辺にでも捨てておけば良い」
ダストはゆっくりと、本当にゆっくりと震える手でそのオレンジジュースを飲みほしてカップをその場に置いた。
大地にカップがついたとき、ことりと静かな空間に音だけが響く。
「自らの主神にその手で、オレンジを絞って貰った眷属など俺が初めてでしょうかね?」
ダストは、尋ねた。
「あぁ、そんな事をする神等おらんよ。クソばかりだからな、私も含めて」
エノは笑いながら、ダストに言い放つ。
「おや、貴女は屑ではなかったのですかな。クソだとは、俺は初めて知りましたよ」
お互いの目線があい、雰囲気だけで笑いあう。
「俺がオレンジジュースを好きなのは、貴女がそれを好きだからだ。その貴女から、力を使う事無く。ポイントで変える事もせず、何かを貰う事が出来る。しがない、雇われにしちゃありがたい事この上ないですな」
そして、叶うなら。
「俺は、こんな手間暇のかかるものでなくたって。貴女から受け取れるものならば、ありがたいと思いますがね。眷属とは、本来ただの使いッパシリの木っ端ですから。ましてや俺はただのスライム、最下層の雑魚だ」
エノは、ゆっくり頷いた。
「どいつもこいつも…、まぁよい。なぁダスト、そんなに箱舟に乗せたいのなら。報酬として渡したポイントで箱舟に来させる連中を増やすというのはどうだ、来たばかりの連中を保証し報われぬ世界線にいるやつをここに引っ張ってくる」
ポイントは何でも変えられる、それが約束だからな。
「それも、かえて下さるので?」
ダストは、顔をあげてエノをみた。
「私は言った筈だ、私は欲深でぼったくりで自分で解決した方が何倍もてっとり速いやもしれぬが。ポイントさえ払えば何でも見合ったものに変えてやると」
ダストは、頷いた。
「それは、俺にとっては魅力的すぎる報酬ですね。そうか、そういう形の報酬すら貴女はポイントで叶えて下さるのか」
エノはゆっくりとしゃがみ、ダストの頭を撫でる。
「ポイントを払って叶えられない事は、二つ。もうその手に入っているものか、私の力を使ってできない事だけだ」
私がやる、ポイントは私からの評価で権利だからな。
その、報酬はお前自身の喜びの為に。
他の迷惑を考慮しながら、己の喜びを満たせないものに正しい生などありえんよ。
喜びの形はそれぞれであろうが、喜びもなく働かせるなどそれはただの奴隷と変わらん。
「お前が誰かを箱舟に乗せる事こそ、もっとも欲し喜びであるというのなら私は報酬の棚に並べてやるとも」
(ただし、値段の覚悟だけはしろダスト。私は己の意思一つで、その値を変える事が出来る。素晴らしいと感じた生き様、その欲するものが救われぬものであれば値段は相応に下がる。しかし、不相応なものや注文が増える程にその値段は天井知らずに上がっていくのだ)
「俺は、そうしたらもっともっと働いてその魅力的な報酬を手に入れたいです」
はぁ~と溜息を吐く、エノがそこに居た。
「好きにしろ、話はそれだけだ。時間を取らせてすまなかった、頑張れよ」
しっしと手でやると、エノは座り込む。
「それでは、失礼します」
そういって、ダストの本体は消えていった。
「ダスト、お前の気持ちは良く判った。お前はどこまでいっても、お前自身の事を喜べない愚かなスライムだという事は理解した」
エノは樹の椅子に背を預け、右手で顔を覆う。
「私から貰えるものが嬉しくて、他を救う事が喜びで。そんなアホがこの世に居たら、なんでも願いを聞く神以上にクソだという事が判らんのか」
「弱者を装う真の屑に食い物にされるだけだ、もっとも私よりも屑などそうはおらぬがな。」
今に至るまで、どれだけの思いをしてどれだけを私が握り潰したと思っているのだ。
「この世の頂点に座す、神は慈愛に溢れているよ。それこそ、ダストお前よりも」
(それで、何故この世にこんな欺瞞と嘘とゴミ共が溢れかえっていると思っている?)
「答えは簡単だ、命が命らしく生きて意見と心を持ちこれが正しいと叫び続ける限り争いも差別も区別もなくなりはしないからだ」
力があれば正しいか?声が大きければ正しいか?
力無き正義等虚しいだけだ、声が小さすぎて聞こえない事もあろう。
そもそも、声を聴こうとすらしない奴すらこの世には溢れかえっている。
それでいて、人の上げ足を取り。ここがチャンスとばかりにそれが正しいという老害の多さにはうんざりだ。
楽しく話せば、いじわるしようとろくでもない質問をするような屑ばかりだ。
それを、顔色をうかがう為に許容しなければ弾かれるのが世の常。
年ばかり取って、幼子より酷い。可能性が無い分だけ、お前らは息をしているだけで犯罪だ。
歴史は繰り返し、常識は移ろいゆく。
報酬を少なくすまそうとする経営者も、絞ろうとする権力者も。
可能性が伸ばせぬ教育者なども、存在するだけで罪だ。
まぁ、それを咎めるものはこの世には存在しないのだが。
それでも…、それでもだ。
「お前が、それでも報酬としてそれを望むというなら私は聞いてやるとも」
それが、魅力的だと。どこまで、お前は思考がお花畑なのだ。
そこで、眼を閉じる。
動作としては眼をとじるのだが、余り意味は無い。
「ダスト、それでもお前が心から欲している事なのだな」
腕を背中に回し、腰に拳をあてて考える。
普通はな、己を削りつづければ破綻する。だから誰かを助ける事が道楽以上にはならんのだ、お前はそれでもそれだけが欲しいのだな。
(不相応な願いは、相応の値段がつく)
「良かろう、ダスト。お前の覚悟は理解した、私は値段だけをつけてやろう。この箱舟の内部だけは本人の努力によって貯めたポイント、そして、値を一括で払えればそれを十全に叶えてやるとも」
クソ真面目で、クソ真っすぐで、クソ愚かな。
「可愛い奴めが…」
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