第七十八幕 漢研究所(おとこけんきゅうじょ)
「じゃかしぃわ、己らそれでもエルフかっ!!」
今日も漢研究所では怒声が響く、長老衆は白衣に般若や白虎等の様々なデザインの入れ墨のプリントをしたものを着ている。
名称は、漢研究所ではあるが当然女エルフもいる。
ここでいう、漢とは心意気の事である。
今怒鳴り声をあげたのは、長老衆の一人。
アルフレッサ・サルスベであった、現に彼女は長老衆の一人でありこの研究所を漢研究所等と言う名称にした張本人でもある。
彼女の専門はいわば薬学ではあるが、当然長老衆に名を連ねるだけあって細工も錬金術の類もエルフの領分の事は一通りできる。
エンシェントハイエルフに片足を突っ込んでいる、そんな彼女の白衣の背にプリントされているのは蒼い月に紅と黒の縞模様の虎である。今にも飛び出してきそうな虎を背に、今日も声を張り上げる。
光無程ではないが、彼女も人間になおせば二十台後半の美人には見える。
…のだが、いつも悪鬼羅刹百鬼夜行が回れ右して逃げ出す程キレているの為余りそこを言われた事は無い。
「よいか、貴様ら研究というものは金も時間もかかって仕方がない。我らは知識の徒であり世界樹の隣人。所はここはどうだ知識は得放題、金もかからず材料は手に入り放題。処分は処分業者が滞りなくやってくれて、何よりここで実験はどこにも影響しない」
故に、彼女は本当にここでヤバい薬を幾つも作っている。
大量殺人が証拠も残らずできる散布薬や、飲んだら二十年は若返る薬。
農作物に影響を全く与えず、虫だけを殺す殺虫薬や目玉も再生可能であらゆる病を治すラストエリクサーすら作りこんでいた。
薬によっては、研究するだけで捕まるようなものも大量にだ。
「あの樽どもよりも、我らの方がよりお役に立つと証明せねばならんだろう」
それに、貴様らはここを追い出されたいのか?
「あの森の中で何かを手に入れるのも不便を強いられ、研究とはいっても過去の文献をいじりながら材料を模索しその材料を手に入れるのすらも人間共や樽に足元を見られる」
お前らはどうか知らんがな、私は戻りたくはない。
「私は、あの叡智の図書館にまたこもりたいのだ!!」
そう、エルフの中でも特に図書館に限界まで泊まり込んでいるのがこのアルフレッサだ。
女子力の欠片もない、すっぴんで髪ははねまくり。
研究所にいるとき、最低限の身だしなみをしているのは彼女の専門が薬品だからだ。
髪の毛一本、ふけの類でも入れば大事だ。
だから、研究所だけはチリ一つない程に丁寧に掃除されている。
全ては薬品に影響が出ない為に、魔道具が十全に稼働する為だ。
ここに居るエルフはほぼ全員が美形で、こんな調子なのだが。
「しかし、あのエキシビジョンマッチの為に依頼されたスクリーン。あれよりも反応を早くする為の魔導線を造らねば…」
部屋の中をうろうろと往復しながら、親指の爪を噛む。
スクリーンの設計は理解した、そしてそのスクリーンが何故必要なのかも判った。
少なくともこの研究所が掲げる研究とは、後世に同じものを作ろうとしたらレシピどおりやって完全に再現できなければならない。
材料もなるべく安く、なるべく手に入りやすいものでなくてはならない。
実現する為に最初は採算度外視でレア素材を大量に使うが、それを誰もが作れる所まで落とし込まなければならないのだ。
それでこそ、知識の徒であるエルフの研究だと言える。
「内部配線や、回路等はエルフの領分だ。内部配線は線と線の間を小さくすれば魔力の効率は上がるが魔力同士が引きあってドンドンロスが増える、それに細かくすればするほど耐久力は下がるのだ」
あたまをかきむしり、足をダンダンと踏み込む。
「回路を増やせば、スペースが増え要求された枠に収まらない。何より燃費が酷くなる、ここでは魔力の心配などせんでもいいが外は違う。外で使えないならばそれは、自分が未熟ですと吹聴するようなもの」
そんな雑なのは、エルフの仕事ではない。
その横で同じ様に、長老衆が右手だけを上げ下げしながら腰から上だけをぐるぐると回しながら苦悶の表情を浮かべていた。
白衣の背中に、燃える背景に巨大な白蛇が牙をむく入れ墨風のプリントが施されたそれを着るこのグルグル回っている優男がノースワ・ガンド。
腰から上だけが駒の様に旋回するその動作が急にぴたりと止まった、瞬間に他の長老衆の顔がそっちを向く。
こんなパリピ紛いの動作をしていても、長老衆に名を連ねる男であるからして頭脳の方だけは誰からも信頼されている。
そう、この男考える時に変に首を回したり腕を回したりするが止まった時には割とまともなアイディアをだすのだ。
「コア回路をもう積層にして、五コア構成で重ねている以上ここからの物理的な干渉は不可能に近い。ならば、それ用の薬剤を創り出し漬け込みながら魔力を調整してかつ冷却もそれに頼る。そして、今冷却に使っているスペースを圧縮。そこに、コア回路を連結させて挟み込めばどうかっ!!」
血走った目で左に居た、サルスベに問う。
「その薬剤の開発、頼めるかっ!」
その手を熱くがっちりと握りしめ、サルスベが頷く。
「任せておけ、ガンド。その代わり、薬剤以外の回路のロスを後2%減らしてくれ。我々の戦いは改善の戦いだ、我らエルフの誇りにかけてやりぬくぞっ!!」
そして、冒頭の怒鳴り声に戻るのである。
「何故だぁ!!ちきしょうがぁぁぁ!」
「我ら知識の徒が、誰にでも使えるレシピの確立をせねばならんのだっ!!」
この様に、怒鳴り散らしながらあるものを頭を抱え。
あるものは、奇妙な動きをしながら研究を重ねているのがここである。
余りにうるさすぎて、ワンフロアまるごと隔離されている訳だが常に爆発音や怒鳴り声が響き渡っているからさもありなん。
最低限の栄養補給にサプリとゼリーを十秒チャージどころか三秒で飲食を片付けるものが多数いる。
それで何の副作用も問題も起こさないサプリ等も自力開発してしまう程度にはここの、エルフはネジが吹き飛んでいた。
ここは、要望のあった道具類も開発しているのだがそっちは割と静かな環境でやっていた。
それでも、要望が来るたびに誰かしらが眼を血走らせて要望を聞きに行く訳だが。
だからこそ、エルフは大体こんなんだとこの怠惰の箱舟では思われている訳である。
だからこそ、ウォルのような儚げで本当にモノづくりと向き合って来たような黒エルフが変わり者扱いになるとも言えた。
減らした分に、良質な仮想とウェハをいれればそれだけ最大容量や可能領域を増やせる。
この研究所で給料以外の研究費は、大体が叡智の図書館利用費や仮想発注費などに消えていく。
「あれもダメ、これもダメ。後試して無い材料は無かったか、それとも私の調合に見落としがあるのか」
薬などは過ぎれば毒となるものがほぼ全部だ、水や塩でさえ例外に洩れない。
だから配合や手順で思わぬ効果が見込めたりする、病気を打ち負かす薬とてカビから作られる事だってあるのだから。
「すまない、叡智の図書館で調べ物をしてくる」
そう言い残し、村単位のエルフが叡智の図書館で片っ端から本と印刷を繰り返しながら検索にかけていく。
他の職員は思うのだ、「あぁ、またか」もしくは、「俺達(私達)もいきてぇな~(いきたいわね~)」と。
そして、また見落としていた配合を発見するとそれを片っ端からメモして戻って来ては常温や高温。重力魔法等で条件を変えていく、そのコントロールは神業だ。
全員が眼を血走らせて、「早くっ…、早くっっ……!」とぼやいてる以外は。
通常重力があれば、油と水は分離するが。無重力化では、混ぜる事が出来る。こういった条件を揃えて、初めて配合出来る事すら魔法で実現してはまた冒頭の様に路頭に迷うのだ。
「これも失敗じゃぁぁ!!」
処理施設送りと書かれた、箱に光の速さで投げ込まれレポートに×が一つ増える。
全員行きぴったりで溜息をつき、成功すれば全員でガッツポーズを取ったり喜びを表現する。
この研究所の全ての部屋にはデカデカと、こう書かれた額縁が飾ってあるのだ。
(魂に火をつけろ)
ここを訪れた、大半の種族は「あいつらこれ以上燃え上ってたら灰になるんじゃねぇか」とか思っているのは内緒だ。
普通は情報漏洩とかを気にしなければならない、誰でも使えるという事は邪な連中や成果だけを買いたたく連中に眼をつけられたり場合によっては持ち逃げされる事も多発する。
だが、ここは怠惰の箱舟のワンフロアにある。
この世に存在する、どんなセキュリティよりも強固で堅固なのだ。
万全の見張り、仕掛けて来た側の追跡。心理状況や誰がどれだけ利益をむさぼったのかなんてのはエノにかかればバレるのに秒はいらない。
そして、彼女はルール破りに容赦はないのである。
あらゆる可能性や勢力と言ったもの達は知らないだろう、彼女はその気になったらこの世の全ての元素を好きに改ざん出来るという事を。
つまり、この世に原子元素現象がある場所で彼女に知られない場所など無いのだ。
それは次元の向こう側であろうと例に洩れない、彼女にその気がないだけで。
知識の徒であり、世界樹というものがどういうものか。また、その元締めと言う存在がどんなものであるか。エルフは嫌と言う程知っている、だから個々では例えドワーフ相手でも精々樽呼ばわりするだけに留まる。
「知りたければ、知るだけの手段は与えられている。手を伸ばせば届き、見ようとすれば見れる場所に求むものがあるのだ」
故に、ここに最初に来たエルフ。すなわち、長老衆と呼ばれる連中は一度エノに尋ねた事がある。
「貴女にとって、知識は宝ではないのですか?」と。
その時、エノははっきりこう答えた。
「知識は力なり、経験は力なり、力は蓄積し、練り直す事で更なる価値と深みを増す。貯め過ぎて腐るな、知識は選択肢なり。使用してこそ、初めて力の証明となるもの。知識とは好奇心なり、己の好きなものを知れて、己の丈を知る。故に、私にとって知識は宝たりえず。宝足るのは、知識を追う者達一人一人の事を言う。断じて、知識そのものが宝ではない」
されば、エルフ達よ。
「欲するものを極めよ、満足などせずよりよいものを目指せ。誰もが使え、誰もに喜びを与えるものを創れ。その誰もの中に、当然自身も含む。万人に喜びをというのは無茶だが、己の丈で叶うその瞬間の最善を目指す事こそ知識の徒である本分だ」
良く食べ、よく眠り。己のメンテナンスを欠かさなければ、自然とベストパフォーマンスを求めていく事になる。
(この研究所でそれを守っているエルフはかなり少数派ではあるが)
長老衆は、この研究所に来てから忘れた事は無い。
「欲するものを極めよ、それこそが本懐である。我らは神ではない、エルフだ。エルフは経験と技術と証明で出来ている。そうであれと願った所でどうにもならん、そうであるようにするためにはどうしたら良いかを死にそうになって考えるだけだ」
平の一番下の、子供達までが真剣な眼差しで頷く。
(我らは、己を幸せにせねばならん…)
(我らは、箱舟の皆に貢献せねばならん)
さぁ、定時で帰って今日もサラダバーに行くぞ!!
さぁ、あの図書館で干からびるまで本を読むぞ!!
今日も明日も明後日も、テンションだけがやたら高い。
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