第六十二幕 鈴鳴星文(すずなりほしぶみ)

黒貌はちらりと、後ろをみた。


パジャマのキャラクターの変わりに、漢字の屑と言う文字をピンク色で白地に散りばめられたものを着て。


お腹を全開に出して鼻ちょうちんを作っている、ご存知エタナだ。

歯ぎしりっぽい事をしながら、左手で出した腹をぼりぼりとやっている。


黒貌は、苦笑しながらそっと塵と巨大な一文字が中心に入った布団をそっとかける。


「全く、この方は…」


そういいながら、どこか幸せそうな老人がそこに居た。

そう、あの後光無と共に屋台と言う名の確認作業から帰ってきてみれば。


相変わらず、最下層の赤絨毯を寝相でぐしゃぐしゃにした所で眠っていた。

エタナをいつもの段ボールの中にいれて、布団をかけた。


「もう少し、センスのある布団で寝ればいいものを」


「まったくだ、もう少し主らしいところでねむってくれれば俺ももう少し安心できるというのに」


段ボールか、絨毯の上でしか寝ようとしないエタナを光無と黒貌は苦笑しながらみつめていた。


黒貌はそっと大切に、段ボールの中に収めたが。

本音は、エノちゃんの裏にある畳の部屋で寝て欲しいと思う。


光無は、その様子を微笑ましそうにみながら苦笑い。


「思えば俺は娘に、あんな風に接した事はなかったな」


ただ、春香を鍛え。

ただ、現実から逃げ出して。


黒貌を見る度に、思う。


「何故、俺はコックローチなのだろうな」


ぽつりと、そんな言葉がこぼれる。


「生まれは選べませんよ、親もしかり。選べるのは生き方だけだ、我らが神の様な特別な存在でもない限りあらゆる事が選択可能なものなどこの世にはいませんよ」


黒貌はこぼれた言葉に答える、それを光無は溜息をついた。


「それで、この鼻ちょうちん作って豪快に寝ているこれが我らが神なんだが」

段ボール箱の中身を指さして、なんとも言えない顔になった。


「えぇ…、これが俺達の神です」


黒貌も同じ段ボールを指さして、優しく微笑んだ。


「なぁ黒貌、俺は邪神だ。これと比べたら一滴程の力も無いが一応カテゴリ的には神だ、悲しいくらい娘も夫にも何もしてやれなかった残念な女だがそれでも神は神なんだ」


光無の涙が頬をつたう、後悔しているのだろう。


「神等力があるだけの存在だと、我が神はおっしゃっていましたよ。他ならぬ、それを言ったのはこれなんですが」


指をもう一度指して、溜息をつく。


「力があるだけ…ねぇ、説得力はあるな」


「えぇ…、本来なら意識を向けるだけで確認できるそれをわざわざ屋台をやってこいなんていう優しい方だ」



それを仕事だなどと宣う、不器用な方だ。


「何度でも、どれだけでも報いてくれる。そんな奴は絵空事だと思っていたよ、嘘八百並べてる詐欺師だと本気で信じていたよ」


黒貌は苦笑しながら、それを言って涙を流し続ける光無を見る。


「嘘つきでも詐欺師でも構わないそうですよ、生きる力と誠実と努力があれば。その気にさせてくれるだけのものを積み上げれば、どの様な契約も制約も祈りも懺悔も何にもいらないそうですよ。これは、恐ろしい事に」


(まったく…、それだけの優しさを)


我らだけにしか向けない、そんな神か…。


その気にさせてくれるだけのものを積み上げろか、不器用で不格好で。

あの欄干すら、なんの抵抗もできなかったとは。


幾星霜いきた邪龍の神の牙や爪ですら、まるで紙粘土を水につけて握っているような気軽さで潰していた。


欄干との戦いの時言っていたあの言葉が忘れられない、耳から離れない。


「私は、あらゆる事が出来ねばならぬ。私は、あらゆる望みを叶えうる存在でなければならぬ。私が愛した全ての眷属に愛されるに足る神でなければならぬ、全ては出来て当然だ…」か。


光無は、ただ復唱しては噛みしめる。


「エノ、貴女はそれを目指すのではなく実際にそういう神になったのだな。それは、神ですらない。化け物だよ、それが神であってたまるか。そんな、恐ろしい存在が居てたまるか」


だが、実際にはこの眼の前で黒貌にかけられた布団を蹴っ飛ばして段ボールの外に掛布団が出てしまっている幼女がそんな存在なんだ。


貴女は、そんな存在にならずとも我らに愛されていますよ。

特にそこにいる気持ち悪い顔をしている、黒貌という男には。


「ただ、懸命に生きていればよい。ねぇ、貴女位ですよそんな事を言う神は…」


全てに無関心で、見る事も手を差し伸べる事もしない。


「この世は辛い事ばかり…ね、貴女はそれすら曲げる力があろうともそのままが良いとおっしゃる。なるほど、我儘で邪悪で屑には違いない」


(でも、エノ)


「本当は、貴女はそんな力がなくても。世の中はただそのままあれば良いと、命はそこまで弱くもなければ見捨てたものではないと」



他ならぬ、貴女がそう信じたいんでしょう。

貴女は、それこそこの世の始まりから終わりまでの全てが見えている。

それでも、貴女は信じたいんでしょう。


貴女が信じる事をやめたのなら、貴女はこの世の全てを思い通りに書き換える。


俺は、幾度。


「いっそ、貴女が書き換えれば済むのだと思っています。その方が、救われるものは多い。救われないのは、貴女だけだ」



(そう…、救われないのは貴女だけだエノ)



実際にそういう神にまで至ってしまった貴女は、もう他者との関係など無意味だ。

長く生きた邪神の俺でさえ、あの欄干ですら何もできはしないのだ。


貴女に対して、何一つ。


そんな神に至ってなお、初心を忘れない貴女はいっそ大したものだと思いますよ俺は。


貴女と比べれば「俺も欄干も黒貌も何もかも、大した違いなんかないんでしょう」

俺は、夫を愛していたし。娘も大切だったけど、結局そこから逃げたんだ。


人の夫と娘が、老いていくのを見て。

自分も一緒に老いたい等と、自分も共にありたいとどれだけ思っていても。



俺は、邪神だ。

暴力の化身、邪悪の体現者。

壊す事や滅ぼす事は、眼を開けるよりも簡単に叶う。


しかし、治す事や癒す事が苦手で老いる事などありはしない。

いっそ力のない神の様に、老いる事が可能であればと何度も思った。


しかし、コックローチだけは逆。


より、美しく若々しく。

いつしか、娘と姉妹に自らが見間違える程になってしまった。


「もうだめだ…」そんな風に思ってしまった。


夫と出会った時、お互いに武に対してだけ判りあえた。

夫は年をとって老人になっていき、自身が夫と出会った時は人間でいう所の四十五歳程度の見た目をしていた。


俺が五年程度若返るなら、夫は五年程度年を取る。

つまり、夫婦生活五年目で俺の見た目は四十、夫の見た目も四十になっていた。


この頃、まだ幸せだった。

これが、十年目では俺は三十五の見た目、夫は四十五の見た目に変わっている。


この時に生まれた子が、春香だ。

春香が五歳になった時、俺の見た目は三十まで若返っていた。


俺は、夫の前ですら四十歳以下にはならないように姿を偽り。

春香が十歳になった時、私は油断して二十五の姿を春香に見られたのだ。


長年生き続けたコックローチの見た目は、エルフと見紛う美しさだ。

そして、十五の見た目で止まるまで個体差はあるがドンドン若返る。


コックローチでそこまで生きられる奴は殆ど居ないから、あまり知られて等いないが。


邪神の娘で、俺の娘で。

それでも、俺は彼女を夫との娘として人として育てた。


人は、儚いなぁ…。


結局、戦働きに行くと言って。

戦に出かけ、戦死した事にした。


実際に、人間の国同士はしょっちゅう戦争している。

そして、人の死は当たり前の様に蔓延っている。


屋台を引いて、街に行った時。春香は元気にやっていた、それだけでも俺は満足だ。

自らを母と名乗る事はすまい…、俺は何もしてやれなかったのだから。


だが、この段ボールで寝ている神は…。


「年を取らなくすることも、娘と夫と共にあれる事も見た目を普通にすることも相応のものが払えるなら叶えよう」


神の特性すら捻じ曲げる等聞いた事がない、種族すらこのエタナにとっては些細な事とでもいう気か。


こいつの両手は、全てを掴み。全てを操り、全てを書き換える。

こいつの目は、全てを見渡し、精査し、網羅する。



なぁ、エノ。

全てが選択可能で、選択の先に何があるのかも判るのなら。

なんでお前は、未来を信じてんだ。


未来も過去も心のうちさえ見放題なのに、それに目を閉じて。

なんでお前は、俺達を信じてんだ。


なんで、ダストに怠惰の箱舟なんて夢や希望の沢山つまった場所をやらせるような真似をする?。


心も魂も測り放題のお前が、何故その力を頑なに使わない様に努力する?。


まぁ、俺には選無き事か。

こいつはきっと、答えてくれる。


「私は売ってやるだけだ、相応のモノで売ってやるだけ。買うも買わぬも己の心にでもきいてみればいい、私がくれてやるのは選択肢だけだ。もちろん、相応のモノさえ払えるなら、私は何度でもどんな質問でも答えよう」


そう、あいつはいつだって。


「相応のポイントを払え、それ以外は何も要らない」


あいつには本当はポイントすらいらなくて、それがダストの願いだからこそか。



なぁ、ダスト。

お前は、どんどん箱舟にのせたがる。


お前は、逃げた俺と違って今日もこの箱舟で戦っているのだろう。


「相応のものを払え…、ダストはさぞかし負債だらけなのだろうな。借りた相手がエノでなければ破産は免れない、エノだからこそ貸し続けられる」


まぁ貸した本人は貸したつもりもないのだろうが、全てその辺に投げ捨てたゴミの様ごとき扱いなのだろう。


布団をかけなおしている、黒貌を見ながら涙を袖で拭った。

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