第五十二幕 一皿への想い
じりり…、じりり…。
エノちゃんの黒電話が二回程鳴り響き、黒貌が受話器を取る。
「はい、こちらエノちゃん」
電話の向こうから、聞こえたのはエタナの声。
「出前を頼みたい」
その瞬間受話器を持つ手と反対方向の手でガッツポーズを取りながら、体が直立不動という可笑しなことになる。
「何に致しましょうか」といつもと同じように問う。
特別だと思われてはいけない、いつも通りでなければ。
自然体でなければ、主は嫌な顔をする。
「うどんだな、狐うどんがいい。油揚げとは別に何かてんぷらを一つのせて欲しい」
相変わらず、シンプルなものを好む方だ。
「では、三十分後にお届けにあがります」
腕輪を確認すれば、もう料金は前払いで入っていた。
エタナは、支払いが前払いで迅速。
それだけで、黒貌は安心して調理に邁進する事ができる。
と言っても、うどんとつゆと油揚げは仕込んだものを調理するだけだ。
三十分としたのは、天ぷらの方。
天だねを、厳選し衣と油を準備して。
魂を込めて揚げる、素人は高温でカラッとなんていうが。
真に極めんとした天ぷらは、限界まで低温でありながらスナック菓子の様に軽い衣をまとい天だねの味を潰さない天ぷら。
誠、低温過ぎては揚がらない。
誠、高温過ぎては天だねの素材の旨味を潰してしまう。
だからこそ、より低く限界を見極めた天ぷらを出す事。
油のつけすぎは胃もたれをおこすし、汚れた油では真なる味には程遠い。
旨味を生かし、程よい油を含みかつスナック菓子よりかるく無ければそれは客に出す様なものではない。
レースのカーテンより天だねの中がほのかに透けて見え、のせた皿。
今回はうどんにのせる予定なのだから、食べ応えは解けるような柔らかさでありながら下の一点だけは食べる途中まで溶けださない様に限界を見極めた硬さに。
出前では別皿でもっていき、食べる時にのせてもらうという配慮。
それでありながら、うどん三百ポイントと狐が一枚八十ポイント。
お任せの天ぷらが、百ポイント。それプラス、出前料金という格安プライス。
それを、ポイントでしっかり受け取る。
安いだけなら他があるだろう、だがここまで限界に拘ると利益は殆ど無いか赤字が普通。
仕入れが怠惰の箱舟で店の維持にも費用がかかっていないから出来るからこそ、可能な料金設定だ。
黒貌は、慎重に手を洗い。
五分の砂時計を逆さにすると眼を開けたまま集中を高める。
うどんとつゆはもう作ってあって、油揚げはくぐらせ出汁に入れるだけ。
この水準で、全ての料理をお客に提供する居酒屋。
天ぷらには本来は特製の加工塩だが、今回はうどんのツユがあるので無し。
(本当は、エタナにだけに食べてもらいたくて)
時間停止のアイテムボックスがあるからこそ、大量に仕込んで置ける。
しかし、寝かさなければならないものは外に出して。
外に出すものは外気に湿気等のじょうけんも加味して、寝かさなければ。
ふと…、カウンター席を見た。
いつも、どっかりと座って両手でタンタンとリズミカルに机を叩く音が幻聴の様に聞こえた気がした。
あの方が言い出したからこそ、飲食店なぞやっているが。
「俺が俺の料理を食べてもらいたい方など、貴女だけだというのに」
そんな、独り言を漏らしながらも。手つきは慣れたものだ、慣れているのに全神経は料理に向かっている。
うどんか、最初は不格好なものを出して。
徐々に研究して良くしていった、幸い人間を辞めてからこっち時間だけはあり余る。
三百年ぽっちで生き飽きた等と言う魔神に言ってやりたい、何かを極めんとしたなら百年等は閃光より速く消え失せる。
楽しい事、素晴らしい事、夢中になれる事は時間を浪費するのだと。
「お前らは生きてない、少なくとも極めんとしたことはない」
先駆者が導けるのは己の立ち位置まで、それこそ我が神の様に未来永劫まで見渡せるような方でもなければ三秒未来の事でさえ手探り。
「あの方は、だからこそ自身が心も運命も捻じ曲げる事を何より嫌うのだから」
「生きなさい」、俺は一番最初にそう言われた。
生きてるふりをしている人間になるなと、運命を切り開く強さなどいらないのだと。
人が苦しいならば人を辞め、人に戻りたいのなら言いなさいと。
俺に、貴女はそう言った。
試練だ、苦行だ等と笑止千万だと。
楽しく生きようとすれば妬まれて、人に苦労を擦り付けて生きながらえる老害の多さに干からびて。
大した報酬も出さぬゴミ屑のなんと多い事か、力があれば助けるのが普通?助け合うのが正しい事だとほざく連中の多い事か。
普通なぞ糞くらえだ、助け合うのが正しいのはお互いに満足と利益がありお互いの関係を続けたい場合に限られる。
常識は時代と場所で違うし、万物に通用する普通など死ぬことだけだ。
「だからこそ、ありったけ楽しく生きなさい」
「私は心も運命も自在に思う通りに出来たとしても、誰かの心や魂をいじるなど絶対にごめんだ。それをやられる方が幸せになっても、不幸になってもだ」
幸せだという感情に書き換える事すら、私には容易いがそんな無意味なものはない。
お前ら人は夢をみて、眠る。
お前ら人は食を得て、眼と舌を楽しませる。
生きる為に食うな、生きる為に寝るな。
快適に妥協するな、今あるもので最高を目指せ。
無いものをねだるな、無いものを諦めるな。
だから、俺は…。
「最初は、うどんから始めたい」
旨いうどんを目指して、麺も出汁も上にのせる具の調理法や味付けも。
だから、俺は…。
貴女からの注文が今でも一番嬉しい、貴女はいつも支払いは最初に済ませるが。
「妥協なく、貴女に喜んで貰いたくて」
屋台を牽いて、色々な場所へ行って。
様々な材料を片っ端から試して、料理の作り方や材料は叡智の図書館がある。
でも、材料の良しあしや鮮度による変化等は本では判らないから試しまくるしかない。
そして、手に入れた材料を怠惰の箱舟で養殖してもらう。
その、積み上げ。
その、繰り返し。
あぁ、ただ料理をしているだけなのに時間が足りない。
あぁ、夢の中まで料理と報酬の事で頭も胸もいっぱいだ。
楽しいと、閃光の様に時間が過ぎるか。
人を辞めて居なければ、足りなかった。
人を辞めても尚、足りなさ過ぎた。
お客に出す時も、貴女に出す時も同じように出しますよ。
「貴女に喜んで貰いたい、貴女の為にと一皿一皿に魂を込めて」
沢山の日が懐かしくとも、俺の生きた時間を詰め込んで。
オカモチ型のアイテムボックスにつくった料理をいれて、指を鳴らして自身を転送する。
いつかきっとなんて思うな、いつもずっとと思って。
「いつも、ずっと……ですか」
貴女は滅多に表情を変える事がない、でも俺は覚えてますよ。
「しょうがない奴だな」って言いながら、貴女は手を差し出す。
「私の手は小さいな」って言いながら、懸命に手を伸ばす。
貴女は、想う相手を見捨てない。
「貴女は、いつもずっと嘘つきだ。誰かにではなく、自分に対して」
いつも待ってますよ、貴女の出前の電話。
その為に安くしている、そのために質を上げている。
例え、他の客に出すとしても。
「貴女に出すつもりでやれば、どんなものにだって力が入る」
この居酒屋の赤ちょうちんに、デフォルメされて判らなくした貴女の笑顔をダブルピースで描いてるのは…。
(ずっと、貴女に幸せであって欲しいからだ)
お互い、昔に戻りたくないでしょう。
「さて、最下層にいきますか」
やはり、演歌とオカモチと赤ちょうちんと。
小さくまとまった、この店が。
俺には相応だと思いますよ、これぐらいが丁度いい。
自由に生きて、自在に楽しむか。
ブラックにいたころには、そんな生き方があるなんて思わなかった。
周りから広げろと言われても、俺は貴女と同じ事をいうでしょうね。
「俺の手も、それをするには小さすぎる」
「三十分ピッタリ、相変わらずだな」
そんな言葉をかけられて、オカモチからちゃぶ台の上にうどんをそっと置く。
「天ぷらは後乗せで、別皿になってます」
俺は天ぷらとお茶を置くと、それではごゆっくりお楽しみくださいと言って店に戻る。
後は、後日器を取りに行くだけだ。
「黒貌、緑茶は頼んでない」
俺は振り返ると、営業スマイルで答えた。
「サービスですよ、今回の狐うどんと天ぷらを食べた後にすすると満足感が得られるはずです。お店で出しているのと同じ、料理に合わせたお茶です」
「そうか、相変わらずだな」
エタナ様は苦笑しながら、湯呑を掲げた。
「えぇ、貴女から言われた通り。いつも、ずっと……ね」
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