第四十九幕 微光
ダスト様、この怠惰の箱舟で数少ない選択肢が無いルールに「迷子の子供にオレンジジュースを出す」ってなんか特別な理由でもあるんですか?
部下の一人が切り出した、この怠惰の箱舟は選択肢しかくれない。
逆に言えば選択肢そのものは出鱈目に多いのだ、それでもこの特別なオレンジジュースを迷子の子供に出す理由がもしあるのなら聞いて見たい。
迷子センターの職員は、前から疑問に思っていた。
「何故どんな種族の子供が飲んでも、大丈夫な特別なオレンジジュースを出すのか」
顔があったら、天を見ては目を閉じていたに違いない。
ダストはそっと部下の方を見て、こう言った。
「そうだな、知りたいか。面白くはない話だぞ、それでも聞くか」
昔、小さな女の子が居たんだ。
無力で、無知で、毎日寒空の下両手にあかぎれを沢山作っては靴を磨いたりしていた。
毎日震えて、消えたくてでも消えられない。
彼女は神だからな、無力な神というのは人よりも何千倍も辛いものだ。
数多の生き物の声は聞こえる、数多の願いも聞こえる。
数多の恨みも、痛みも手に取るように聞こえるのだ。
人の様に狂う事は出来ず、人の様に感情を振るう事もできない。
存在値が少なければ、神は権能すら振るう事ができない。
なのに寿命がないから死ぬためには、存在値を使わなくてはいけない。
神は基本争わない、管轄も権能の方向も決まっているからだ。
争うのはいつだって、存在値のでかい神達だけだ。
存在値がデカくなれば、やりたい事は全部できて叶う。
いつしか、不可能が無いように錯覚しはじめて。
別次元の神とぶつかるという訳さ、だから小さすぎる神というのは無いものとして扱う。
仲間としても、敵としてもな……。
その、女の子に初めて頼みごとをした黒いスーツの男が居てな。
僅かでも、ほんの少しでも。
その両手で叶える事が出来る事を、権能なぞ使わなくても叶える事ができる事を。
その、黒いスーツの老人は女の子に頼んだんだ。
男にとっては命の次に大切にしている、そんな靴を任せた。
女の子にとっては、願いを叶える事は存在値を削る事だった。
権能など使わなくても、叶える事の出来る願いを「商売」だと言って叶え続けた。
そんな、彼女が本当は生きたいと。
幸せになりたいと、心が動いたのはいつだったか。
その男も含めて、彼女が心からそのモノ達の為だけの神になりたいと心に誓ったのはいつだったか。
その日から彼女は存在値を削るのではなく、己を強大にする事だけに心血を注いだんだよ。その日から彼女は負けなくなった、折れなくなった。
彼女が今でもその男に出してもらう料理は大抵、そん時奢って貰ったもんさ。
そんな男が初めて女の子に差し出したのが、「オレンジジュース」だったという訳さ。子供は、子供らしくすればいいのにと疑問に思い。
老人は、なんで靴を磨いてるのかも。
なんで、寒空の下で泣いてるのかもわからなかった。
でも、老人はいつも一生懸命に丁寧に磨いてくれる彼女に。
神であるなんて、思ってない。
ただの、一人の女の子に。
神は飲食など不要だ、精神体だからな。
それでも、彼は彼女を人と思っていたから。
ねぎらうつもりで、オレンジジュースを出したんだろう。
神にとって、供物を貰う程感謝されるというのは。
彼女にとって、願いを叶えて感謝されるというのは。
彼女にとって、誰かに感謝されるというのは水にうつる影の様なものなんだよ。
あると判っていて、あるから望んでいて。
手を伸ばしても、手で触れようとしても決して触れる事ができない。
ただ、その頃の彼女にとってその影を始めて実態に変えた老人が居たんだ。
そう、彼女が生まれて初めて貰った供物は「オレンジジュース」だったのさ。
モノが何かであるかなんて、神には一切関係ない。
(神にとって関係あるのは、その供物がどれ程差し出した奴の心がこもっているか)
どれだけ、偉大になっても莫大な力を振るうようになっても。
彼女は、男からもらったオレンジジュースが忘れられないんだろう。
多分、今でも。
その時貰ったいれものは、洗って枕元にでも置いてるんじゃないかな。
だから、彼女の力が及ぶ場所で。
幼子が、良い親から離れて寂しい思いをしている時に。
どんな種族でも飲めて、命をつなぐことができるオレンジジュースを彼女は出すんだろう。
そんな特別なものを、そのあり余る力で作り出して。
自分と同じ思いをしないように、味は男からもらった何でもない果汁百パーのジュースを。
空を割り、地は裂けて、如何なる神話をも駆逐するその力をその身に宿しても尚。
彼女は、忘れられないんだろう。
だから、この迷子センターで出すオレンジジュースは一種類。
「彼女がその時、男から差し出された味のオレンジジュースって訳だ」
それを飲んで、待っていれば。
男は又来る、親もきっと迎えにくる。
そんな願いと、思いがつまってるという訳だ。
「なっ、大して面白くもない話だったろ」
ダストは、黄金の体を震わせて。
部下の方を見た、部下はうつむいて。
「その女の子が、この箱舟の女神なんですか」
「あぁ、だから子供以外でも追い詰められてこれを飲んだ所で大してお咎めは無いんだ。これだけは、誰がいつどれだけでも自分で飲む分にはお咎めが無い」
だって、そうだろ。
「いつだって、チャンスは待てば来るなんて嘘っぱちだ」
「あらゆる可能性が、ある訳ない。生物には、生物的や種族的限界がある」
ダストは、瓶を逆さにして。頭からかけるように、オレンジジュースを飲みほしていく。
心には芯があり、心は折れたらぽっきりさ。
この怠惰の箱舟でなんでルール破りがあれほど重罪か、ルールがなぜ最低限なのか。
答えは簡単だ、抜け道を探す事は知恵だ。
知恵は努力によって培われ、それはここでは是として扱われる。
アウト判定をくらうのは、明確に違反した時だけだ。
ルールが変更されるのは、抜け道を一度しか認めない為だ。
抜け道を考える奴は、うま味が欲しくて抜け道をもう一度あみだす。
ようするに、目こぼしするのはその努力に対する褒美でしかないんだよ。
外の世界ではこすからい悪人の方が利益をむさぼりやすい、世の理は無知な弱者を糧にすることが正しい事だからだ。
ここは違う、ここはエノ様の聖域でエノ様がルール。
エノ様は、思う位なら心を見透かしていても何も言わない。
聞かなかった事にするだろう、行動に移せば別だがな。
少なくとも怠惰の箱舟はな、誠実な努力というのが最も効率よくポイントを貯められるようになっている。
もちろん、ポイントを貯めるだけなら働けば貯まる様にはなってるんだ。
「時間が恐ろしい程かかるだけでな」
程よく以上に遊べば、程よく以上に美味しい思いをすれば。
それだけ勢いよく、ポイントが減っていく。
投資、投機、経済圏に置いて貸し借りなども現物にしているのはそれが理由だ。
怠惰の箱舟は経済ですらねぇから、そういったものも存在できないだけで。
寿命が無くなれば、生物は死ぬ。
神とて、存在値が無くなれば死ぬ。
結局、どの様な事をやるにしてもリソースというのは常について回るんだ。
飢えた弱者に食料を与え続けたら、きっと食料が尽きて。
どの道全ての、生者が飢えるのさ。
それが、判っているものは決して救わない。
リソースが無限であるはずがない、リソースは自らの時間も含め必ず有限だからだ。
彼女の様に、全てのリソースを無制限で用意できるような存在でもなければ。
限られたリソースは常に取りあいになり、どこかで破綻する。
生物における命というのも、立派なリソースだからな。
病、怪我、過労、命のリソースを奪う要素は山の様にある。
俺は彼女の様に、指を鳴らしたら全部解決できるような力は無い。
ただの、眷属。ただの、生物。
だから、必死に今日を生きるのさ。
だから、必死に働くのさ。
自然も、星も、宇宙ですら。
無限に見えて、実は膨大なだけで有限だったなどということは山ほどある。
彼女がやっているのは実は「商売」等ではない、彼女がやっているのは偽の世界を創る事そのものさ。
頂点に立てるのが世界で一人なら、世界そのものを生物と同じ数だけ用意すればよいというレベルの力技。そんな、力技ができるようになった今でも彼女は。
「たった一柱の、消えそうな自分が生きたいと思った頃に貰ったジュースが忘れられない。そんな、彼女だからこそ我々眷属は支えたいと思うのさ」
彼女は自分の力が嫌いだ、彼女は弱いものが弱いから何とかしろといけしゃーしゃーと叫ぶのも嫌いだ。彼女は、強者も嫌いで争いも嫌いだ。
自身が、神である事は虫唾が走るぐらい嫌いなんだろう。
彼女にとって世は嫌いなものだらけ、彼女が好きなのは結局眷属と燃えるように生きるのをそっと見守る事だけさ。
この箱舟も、願いを聞いてくれるという事実も彼女にとってはただの気まぐれでしかない。
相変わらず、このオレンジジュースは甘くて酸味がほんのりとある。
黒貌、俺、光無。
残念会の飲み物は、俺とエノ様はこれを出してもらおう。
俺達の残念な、そして最高の。
運命に、乾杯。
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