第三十七幕 心発生学(こころはっせいがく)
「なんでも叶うなど、本当に頭の中がおめでたい事だな」
エノは貫頭衣のポケットに両手を突っ込み、不良の様な恰好で呟く。
「眷属になりたいか…、私には判らんな。私の眷属の何がいいのかさっぱりだ、しかしあの前向きの姿勢は嫌いではない。本当にためられるのなら、眷属を増やしてもいいかもしれん」
翼の様な形の黒い腕がうごめき、まるで筋繊維を引きちぎる様な音が響く。
背中に吸い込まれる様に黒い手は消え、両肩の眼はゆっくりと閉じられ体は小さくエタナの姿になっていく。
「何かに縋るな、何かを頼るな。己の力で大地に立ち、己の力で歩め。生きるという事は、何の保証もない平野をただ歩き続けることなのだ。他者等クソ以下だ、この私を含めてな」
幼女の姿で憎々しげに、言い放つ。
「部下を愛する、神等居ていいはずがない。神は下に属する全てを食い物にすることでその力を維持するのが普通なのだから、だが私はそれを許容できなかった。それだけの事だ、たったそれだけの事だ」
私は誓ったのだ、エタナを捨てたあの日から。
私こそが、愛したもの達の希望(ひかり)になろうと。
願い求めた、その道こそは私だけが永劫救われぬ道だろうと。
不滅に進撃する、私の側にお前らだけがあれば良い。
だから強者こそを喰ったのがこの私なのだ、強者から毟り取り。弱者等見向きもせず、ただ愛したもの達に全てを還元してきたのが私なのだ。
邪悪も邪悪、害悪も害悪だとも。
光届かぬ冥府に咲く数多の苦悶と怨嗟を肥料にする一輪の花、それが醜い私の正体さ……。
「そんな私の、眷属になりたいなど…」
エタナは両手をポケットの中で握りしめ、口をもごもごとしてやがてこう言った。
「いいだろう、やってみろ。ねぎらいの言葉位はサービスしてやる、見事やりとげもう一度私に会いに来い。哀しき笑顔に飢えた悪魔よ、邪悪でない純粋な笑顔に飢えた狂える悪魔よ。やり遂げるにしろ、死ぬにしろ私は見届けよう。お前は確かに、生きているぞ。確かに大地を踏みしめているぞ、ゴールは用意してやる」
入り口に光無が頭を下げた状態で言葉を聞いていた、その姿は美しい姿勢のままだったが。よく見れば、顔がにこやかにしているのが見えた。
「叶わぬ事を許容できない、私は我儘な子供だからな。力を掲げ、振り下ろすのみだ」
叶う事をおめでたいと言いながら、自分は叶わぬ事を許容できない。
信じなくても良い様に、権能でそれすら読み取れる様になった。
自分にあるのは理解だけでいい、理解したのちに判断を下せばいい。
それは、手から零れ落ちていく雫の様に。
右手から、光が漏れ。左手から、闇が生まれる。
両目の眼球をよく見れば、横に何本も電気信号の様な光が流れていた。
「如何なる物語をを紡ぐにしろ、如何なる思想を抱くにしろ。所詮この世はどれだけ技術と科学が進もうとも、生きるという事は太古から何も変わらぬ。喜びも怒りも悲しみも何もかもな、勝者とは勝利条件を満たしたものに過ぎん。その勝利条件は他でもない己で決める、故に負けたものはゴミだ。逃げる事は負けではない、決めたことを曲げる事は負けではないのだ。心を折られ、歩みをやめたものこそ真の敗者なのだ」
光も闇も、眼を流れる光さえ消えた時。又いつもの無表情に、エタナは戻っていた。
「だからこそ、悪魔よ。レムオンよ、お前はどこまで哭く事ができる?お前の歩こうとする道はどこまでも遠く、どこまでも無理筋だ。だから私は、お前が例え負けたとしても笑いもしないし、どこで倒れてもよくやったと言うつもりだ。生きているものはどこまでも自分に甘く、それでいて怠惰だ。お前は、歩く事を決めただけでも大したものだ」
歓迎しよう、歩む者たち。
歓迎しよう、全ての希望を。
歓迎しよう、己の魂に確固たる意志あるものを。
ここには嘘も真実もない、あるのは一点。
やり遂げれば叶う、やり遂げられないものは何にもならず死ぬ。
「やれやれ、怠惰の箱舟が盛況なのは感心できないな。外の世界はどれだけ、命を喰いあげて報いてやらんのやらだ」
そこでふと、頭を下げていた光無と眼が合う。
「どうした?随分と楽しそうだな。光無、お前がその様な顔をしてるのは珍しい」
光無は、咳ばらいを一つ。
「いえ、貴女は報いてやらんのやらと言いますが。報いてくれる場所が、ここ以外にあるなんて俺は思いませんよ。貴女はおかしな神だ、俗物的な事を嫌うくせに俗物的で。自分が醜いと言いながら行いは美しい。祈られる事が誰より嫌いな癖に、誰にでもチャンスを与える等とち狂ってるとしか思えませんよ」
エタナは、光無の発言に頷いた。
「あぁそうさ、とち狂っていない位階神なんている訳ないだろう。暴力装置が無ければ抑えきれない平和等まっぴらだ、誰もが自由に望みを目指せるなんて頭お花畑の戯言だとも。平等はいつだって、一番下に合わせようとする力あるものの搾取の手段に過ぎん」
だからこそ…、とエタナは続ける。
「見えるモノしか信じないなら、恐怖でも死でも見えるようにしてやろう。壊れぬ保証まではしてやらんが、それでも現実はしれよう」
光無はそっと、溜息をついた。
「そして、現実に押しつぶされる訳ですか。貴女は誰より、現実が重たい事を知りながらゆっくりとその両手に現実をのせて眼を離させず。しかも両手からおろせず、リタイヤは一切認めない」
エノはのせるだけだ、現実というものを。
「本人が落とさなければ良いだけの話だ、決して諦めず折られず現実を持ち続ければそれはしかと両手にのっているのが見えるだろう。見たいというなら見せてやるだけだ、そして落とした奴はもれなく身の程も自身の力の把握も出来なかったというだけだ」
現実を直視し、現実を受け入れ血肉に変えれば。現実は未来になり、その未来が現在に変わる時。生き物は初めて、その希望を手にすることが出来る。
「私は見たくないものは見なくていいとは言うが、知りたいと言いながら見ない聞かないというのは如何なものだろうな」
光無は思う、生きるというのは料理であり千差万別あるが喜怒哀楽も力も何もかもただの調味料ではないかと。
入れすぎれば味をぶち壊し、何もなければそれは料理ですらない。
全ての生はただの素材であり、自身以外の彩も含めて皿の上にのっているだけに過ぎない。
「貴女は、落とさなければ良いと言いますが。大抵の場合、自身がもつ細やかな可能性や幸せも眼先にとらわれて容易く手放すものですよ」
光無は知っている、自身が誰より底辺を長く歩く事を宿命づけられたコックローチだけに。
生きるというただそれだけが、どれだけ困難を極め生き残るというただそれだけがどれだけ底辺に生きるモノには得難いものかを。
エノは、光無に笑顔を向け。
「私はいつだって、選択肢は用意するしゴールも用意しよう。強制など出来てもしないし、洗脳等ももちろんしない。他の連中の様に試練を与えるなんて事もしないし、もちろん綺麗ごとや甘言も一切言うつもりはない。私は位階神、あり方であるお前達の幸せ以外に何の興味も持つつもりはない」
但し…、と言う瞬間一気にその表情が邪悪なものに変わる。
「かつて、地獄の日にあったようにお前達の幸せを脅かすものは正義も悪もない。等しく私の敵でありどのような存在も細胞の一片、魂のカス一つ。この世にもあの世にも未来にも過去にも存在を認めるつもりはない」
ふと、表情がもとの幼女の笑顔に戻った。
「さぁ、また何でもない日常を始めよう」
光無も、エノに笑顔を向け。
「はい、黒貌が足りないと喚き散らし。ダストがワーカホリックで、貴女がエタナとして遊び倒し。俺が、敵が来ない警備に嫌気がさしてはろわ行く感じのですね」
「あぁ、かつての私達には叶う事の決して無かったものだ」
なぁ、レムオン。
お前、本当にやり遂げられるのか。
もしも、成し遂げられたなら歓迎するよ。
黒貌の野郎にたかって、歓迎会でもしてやろうか。
エノ様も、いつもの無表情じゃなくあんなに嬉しそうで楽しそうで。
本当に、おかしな神におかしな場所だ。
だけどな、俺は心から。
この、可笑しい場所が大好きだ。
まぁ、悪魔は契約にシビアで。腐女子より粘着質で執念深いのが多いからな、やりとげそうではあるが。
小さな箱一つの聖域、神具と呼ばれるのが布団と枕だけ。
あの頃を知っている俺からすれば、あの頃を忘れられない俺達からすれば。
お前に求められるポイントは、相当高くつくはずだ。
誰かの気持ちが絡むとき、その相手が叶える事に同意する確率が低ければ低い程に必要なポイントは高く高く高くなるのだから。
実際、パラレルワールドから無数にある可能性から無理矢理歴史としてつなぎ合わせるのだから。その可能性がか細く、それでいて未来の幸せを担保できないのならその選択肢は除外される。
叶える事が出来ない事が無い代わり、そのか細い可能性を力技でねじ伏せる力がいる。
そして、ポイントで認めた分しかその力技を行使したりはしない。
ポイントは力ではない、彼女が認めた分を数値化しているに過ぎない。
彼女はその気になりさえすれば、誰からの力も必要とせず。即時に全てを叶える事ができるのだ、他ならぬ彼女自身がそれをしたくないだけで。
彼女は、誰よりも自分も自分の力も嫌っているのだから。
我らが主は、戦い歩むものだけに微笑む。
俺はエタナが好きなんだ、エノじゃねぇ。あの頃のエタナが好きなんだ、だから長生きしなきゃな。
黒貌の変態と、ダストを戒める。
そんな、毎日が俺は楽しいよ。
だから、エタナ。
あんたが、少しでも楽しくなるように…。
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