第二十九幕 牡丹雪

エノは久しぶりに、眼をあけていた。


翼と腕の魔眼をしまい、顔にある三つ目の力だけを駆使して。


額の眼を元素、左目が闇、右目が光を司る。


乃ち、この三眼をあけた状態のエタナは死角がない。

閃光でも闇でも過量の音ですら、彼女の力を遮断できない。



無限の無を操り、魂を操り、物質までも自在に操る。

その眼球をよく見れば、彼女の眼は昆虫の複眼の様に目が寄り集まったものだと理解できる。


そして、さらにその眼には多種多用の魔法陣や梵字そして紋章等が映し出されている。



光と闇を同時に支配するそれはまだ、時間や空間には干渉できない。

もっとも、彼女は自身の力をコントロールしているだけなので干渉しようと思えば更なる力の出力を上げるだけで良いのだが。


彼女はダストの監視業務や日々の作業を肩代わりするだけなのだから、それ以上の力の解放は必要ない。


「やはり、全てが見えるというのは実に不愉快だ」



彼女はぽつりとそんな事を言った、知識は力だ。

情報は力で、それを手に入れる為の努力を惜しまない連中からしたら傲慢にも映るだろう。


全ての命の、心や営みをログで追っている様な感覚。

一切の無駄なく、自身が否としたことに赤線の強調が入ってそこで止まる。


それを、みて溜息をついては人差し指をこつんと一つ。

それだけで、あらゆる事象が修正された。


抗う事を許さず、最高効率でその結果を引き出す。


エリアを指定し、そのエリア内での絶対的な能力それ自体はダンジョンマスターと変わらない。


その指定するエリアの規模も場所も時間も、全ては彼女の意のまま心のままに。


やはり、全てが思いのままというのは実に退屈だ。


それでも、彼女はログの下の時計を一瞬だけ見つめた。

ダストに与えた休暇、その残り時間を。


そして、ダストがクソ真面目に働きたいという意思を殺して休んでいる様も溜息交じり時に見ていた。


「早く言いに来い、クソ真面目め」


自分がふるのは間違っているから、彼女は必死に願う。

思い通りにすれば、約束された未来にすら叶う彼女でも。


やはり、己の意思で「願ってほしい」。


私は、我儘なのだろう。私は、やはり塵屑(ごみくず)なのだろうな。

それは私の我儘で、生きている全てにそれを強要できたとしても。


「命の輝きとは、希望そのもの生きるという事象そのもの」


だから、眷属といえどその輝きを失わさない為に。


「自らの意思で、私に言うのだ」


心で何をいっても私には聞こえているが、それでも己の口で私に伝える努力をしてくれ。


普段の私は、力を開けない。ワザと、遮断している。

生きるという事は緩急をつけ、壊れないことなんだよ。


治す事も癒すことも私には容易かもしれないが、お前達はそうじゃない。


心を壊せば、酷く時間がかかる。

再起不能な程体が壊れれば、治らない事すら普通だろう。


時間は私にとっては自在だが、お前達は生まれてから死ぬまでもどれはしないのだ。

私が力を使えば戻るのだろうが、なるべくならそれはしたくないものだな。


だから、お前らが美しく私がヘドロの様な屑なのだ。


「ダスト、お前は望んだのだろう。報われる世界を、この私に」


私は、それを叶えるさ。愛する眷属の願いだ、それ位は片手間でも叶うとも。

私にとって可愛いのは、眷属で弱者じゃない。



ダスト、だからこそお前は私に「休みたくない」と口にすれば良い。

私の言葉だからと、そのまま鵜呑みにする必要などない。


私は、お前達に輝いて生きて欲しいんだよ。


大の字になって、良い生き様だったと笑える様に。


私はゴミでも、世に居る連中の様に都合のいい事並べたててその実報酬や福利厚生をおろそかにするような連中とは違う。


「労働者や弱者に寄り添うのとも違うし、勿論環境をおろそかにする連中とも違う」


「己らは約束を守る事を強要する癖に三年以内に約束そのものを忘れ、守らない様なゴミどもとも違う」


「自分が弱者だから救えなどと宣う怠慢極まる連中でもなければ、優しくしろといけしゃーしゃーと唱える連中とも違う」


「私が誠実なのは、値段に対してだけだ。努力に値段をつけ、奇跡に値段をつけ、その道を歩き続ける事に値段をつけ。その値段には割引も分割も何もない、無慈悲に一切の呵責なく何万年でも約束と値段を守る」


報われたいなら、相応の努力をしろ。私は結果に値段をつけるだけで、値段に届く努力をするのはいつだって生きてる連中だ。


イヤならしなくていい、逃げていい。

その奇跡は自身で辿りついても、他者からもらっても構わない。


あくまで、私が叶えるのならばという値段なのだから。

私は、強制するのも面倒で億劫で退屈なんだ。


また、腕置きを指で一つ叩く。


事象が改変され、一瞬でエラーは正常に直る。

エノにとってはやり取りも、殺しも、季節の移り変わりも世に存在する全ては思いのままに修正する事は可能だが彼女はこの力を酷く嫌っていた。


本来エラーは膨大な複合要素から取捨選択した上で、なおすはずのそれは。

指を一つ叩くだけで、全てが彼女の望んだとおりに修正されて結果だけが残る。


私は、お前達眷属の強い意思ある言葉を待っている。



いつでも、いつまでも……。


エノとしての力は絶大でも、エタナとしての心は未だ幼い女神のまま。


思い出す、地上が騒がしかった頃を。


貴族も王も政治の闇に飲まれた屑ばかり、商人という詐欺師が横行していたあの頃を。


道を横目にみれば、子供や年寄の死体が転がっていた。

神を恨む声も、人を妬む声も。


「全てを知れるというのは、実に不愉快極まりない」


その祈られる神でさえ、人と何が違うのか判らん。

神は争い、叩きあい利用しあい。


寿命がなくて、力がある分だけ飛び火と余波だけで周囲はあっけなく消し飛ぶ。


「だから、私はその全てを握り潰す事にした。実に簡単な事だ、力無き幼女を辞めるだけで良かったのだから」


結果、国も人も年寄も子供も神も宇宙の星々でさえ気に入らなければ全て握り潰した。


私が自分に課したルールはただ一つ、「絶対に自分からは手を出さない」。

それでも、私に挑んだ数の多さには失笑したが。

私に嘲笑を向けたり、怒らせり、手を出させようとした愚か者も沢山いた。


全てを思いのままに出来る、神相手にそれは無謀以外になかったが。

神は存在値が許せば、なんでも叶う。


それでも、私一柱より全ての神が集まって尚劣っていただけの話だ。

私の眼は最初、本当に三つしかなかった。


最初は眼が複眼になり、吸収した連中の権能の数だけ羽が手の形で増え。


両肩に五づつの魔眼がごとき模様が浮き出、それが本当の魔眼になった。

私自身は、権能を使う時に一瞬だけ魔眼から火柱の様に光る様にした。


(光らずとも、それは権能である以上力を流すだけで使えはするのだが)


百鬼夜行の和彫りが、両肩の魔眼を握りしめ。

背中の神乃屑の輝きが、六対十二枚の蠢く手でかたどられた羽の中心でかでかと輝く。


エタナの時には肌色のぷにぷにだったそれが、エノの時には視界に見える様に出てくる。


体のパーツをしまう事で、力の桁数を下げている。

だからこそ、普段は塔などのバカでかい権能すら消しているのだ。


今生きているものは知らぬだろうな、宙域に命がある星はここ一つになってしまっている事など。


命がなくとも、太陽も月も海も正常に保つなど私には容易い。


自転の位置すら、私には瞬きだけで十分掌握可能だ。


この私が久しぶりに権能を使わされる程の男の望みが「私を見てみたい」という望みを持ってここに来た事は私にとっては久方ぶりに面白くはあった。


全開といっても、完全体ではない。


あくまで、三の魔眼だけを全開しただけの状態で私が未来視や過去視も含むリアルタイムで把握できる広さがパラレルワールドの宙域に及ぶというだけだ。


眼を一つ、翼の手の指を一本力を開放するだけで力の桁が上がる。

だから、私は普段魔眼すら閉じているのだから。

私が普段、人間の眼をして見えるのはマジックで瞼に眼を書いているのと大差ない。


だから、三眼状態でも怠惰の箱舟全域を見るだけならばオーバースペック。


それで、眷属の本音を聞けば「働かないと死ぬでは笑えない」。


私に報われる世界を望んだのだ、私以外の全てが報われずにどうするのだ。

私は嫌悪しているのだ、心や魂さえ自在に変え握り潰すことが可能なこの身を。


だから、力を使わせるな。


私に偽りの幸福など提供させるんじゃない、燃える様に生きよ。


休め、ちゃんと英気を養え。


英気を養う事が、働く事なら言い訳してでも働け。


私はその言い訳を指摘したりしない、ただ無理をすることを否定するのみ。


山の様な書類も、まるで巨大な輪転機にかかっているかの様な速度で処理されて。

必要な所に、リアルタイムで消えていく。


全てが同時に進んでいくのに、彼女は顔色一つ変えていない。

ただ、溜息と退屈な表情があるだけだ。


私という存在は酷く邪悪なのだろう、思いのままに出来る事と実際に思いのまま振舞う事は天と地ほど違う。


病院という施設では病や怪我に対し、治療を行う。

生き物が生きているものを治すために努力し研鑽し、それでも死んでしまったものに涙するような場所が。


私のは違う、指や口を動かせば際限なく病も怪我も立ちどころに治る。

死んでしまっても、魂を押し込んで健康にすることも任意の年齢まで子供にも老人にもできる。


私が思いのまま振舞えば、それは誰も死なない世界が出来るだろう。


「それは、違う」


だから私は、病院という場所で治す為の努力をする事には値段をつける。


どんな手を尽くしても、治らないものでさえ私が治すのならという値段をつける。

生きる為の努力をしないものなど死ねばいい、それが私の答えだ。

奇跡を手にできるのはいつだって、諦めないものだけだ。


私の提供する奇跡など、その辺の石より価値がない。


派閥争いや利権などの、努力に値しないものは減算すればいい。

浅ましく望み、他者を蹴落とす算段をするものを容赦なく潰せばいい。


私には、陰口から心根まで把握できるだけの力があるのだから。

この次元世界の何処にも私の把握できない場所などないし同時把握する数にも制限はない、だからこそ普段力を閉じているのだから。


眷属すらしらない、エノの本当の素顔は邪悪で醜悪に笑みを浮かべていた。

屑はどこにでもいる、私に関わらないのならばそれで構わんさ。


黒貌が知ったら驚くだろう、光無がみればやはりなと思うだろう。

ダストは恐らく敬礼し、姿勢を正すだろう。


三千世界でもっとも平等に種族差なく大量に殺した私の願いはいつだって決まっている。


「私以外の全てよ、その生に希望あれ。喜びこそが進む道、欲望とは風なり。他者の香りを運び、幸せを彩り。そして、過ぎた風は全てを吹き飛ばし己も含め周りを巻き込む」


私という神にたどり着いたもので、終わらなかったものなど片手の指で事足りる。

私が見逃した、というのであれば多少はいるのだろうが。


「あれは、本心から見て見たかったんだこの私を」


まぁ、完全体で向かえば気配だけで消し飛ぶ可能性があったからこそそれは控えたが。


あいつは今、時代劇をみてビリヤードやダーツやしボウリング等休暇を満喫して口では文句を垂れ流しながら大満足で働いているようだが。


そこでふと無表情に戻る、そしてその左手を握りしめた。

誰かが導くなど傲慢極まりない、運命などクソ以外ない。


前例があれば縋り、例外があれば己でなくば恨み。


力があれば行使を望み、他を守らねばなど吐き気がする。


いつだってきれいごとを述べるのは悪党で、理論を並べて講釈を垂れる。

生きるという事は己の力で歩く事だ、己の力で歩けないのは幼子だけよ。


幼子以外の己の力で歩けぬ歩かぬものは死ね、生きてるだけで迷惑だ。


歩く事を妨害する事まかりならん、休むのは自由だが他者の希望を取るのは違うだろうに。


共に歩く、支え合うまたは一人で歩く事もあるだろう。


歩いた道が固まり、それが道しるべになる。

最初の道が険しくて、道ですらないから方向すら判らない。


先達なぞ、精々道はこれだけあると見せるだけで良い。


誇りなど、希望という水に比べたら何の価値も無い。


「ダスト、牡丹雪は実に景色に同化している時は美しく。同時に地面に落ちて溶けかかるとヘドロの様に地にしがみつき泥の色をして醜いものなんだよ」


命の営みなど、雪景色と変わらん。

寒くて、美しくて、その景色の下はヘドロだらけという訳さ。

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