第十三幕 瓶詰の心

私は、エノ。


ただのエノ、黒いぬいぐるみを持って。

コックローチをペットにして、スライムを抱いて眠る。



あらゆる神に虐められ、あらゆる人に役たたずと言われ。

その度に、出来る事やれる事を増やしてきた。


真面目に、誠実に対応していつも裏目にあい裏切られ。



そうして、長年繰り返すうち。

彼女に出来ない事が、この世から消えてしまった。


いつも自分を握りしめて泣いている彼女の素顔を、スライムは知っているいつも彼女が裏切られて来た事を。


スライムは欲した、どんな事も見落とさず彼女が泣かなくて済むような監視の眼を。

そんな願いすら、彼女は叶えてしまったのだ。


自分の存在値が消えようとかまわない、自分が死んでもかまわないと。

飛び切りの奇跡を与えて来た、そしてペットはそれを歯がゆい気持ちで見ていた。


それは約束であり、誓いであり契約でもある。

彼女に優しくできるのが自分だけでも、泣かなくて済むのなら。


スライムは、それで良かった。


いつも、涙をぬぐうだけではない。もっと、自分の出来る事を増やせるのなら。


娯楽に溢れた場所を作ろう、誰も泣かなくていい場所を作ろう。


最初の怠惰の箱舟は畳三枚分の豆腐ハウスの様な所だった、それを長い長い気が遠くなるような時間をかけて。


最初はエノが寝る為の段ボールが一個置いてあるだけだった、そこに自身の神具である布団と枕をいれてあるだけの場所。



彼女は最初から邪神だった訳じゃない、位階神でもなかった。

ただの、ちっぽけな幼女神。路肩の石より小さく、人より無力だった。


彼女を変えたのは、他ならぬ世の中だった。


彼女は出来る事を増やし、力を増していった。



ニートでありながら、勤勉で。

ニートでありながら、執念で。

ニートでありながら、力を蓄え続けた。



表情が死に、誰かが声をかける度に荒み切り。

いつしか、彼女には黒い翼が生えていた。

羽ではなく、黒い暗黒の人の手の形が折り重なり。


その隙間には真紅の血管が流れる様に、蠢いていた。



その翼が一枚増え、二枚増えるうちに…。


彼女は、普段は元の幼女の姿をする様になる。

力も、本当の姿もその裏側に押し込むようになる。


その手が、何かの印を結ぶ度に彼女の莫大な力をそのままに奇跡を行使するようになっていく。


あらゆる神が、彼女を自分の陣営に取り込もうとした。


だが、もうその頃には彼女は全ての自分に関わる神を一柱で踏みつぶした。

そして、人の手だったものは。取り込まれた神の手に変わり、そしてその手一つが神一柱の力に相当する程強大になった。


それでも、彼女は自分に関わるなとだけ告げるとダンボールで眠り続けた。


全ての陣営、彼女に挑んだ神。大小合わせて二千憶、その全てが彼女にすりつぶされて彼女の羽に取り込まれた。



ぬいぐるみは、失笑した。

スライムは、身震いした。


ぬいぐるみは、彼女が楽しくなれるように料理を覚え娯楽を探した。

スライムは、一つでも彼女が働かなくても良い様になんでも出来るようになった。


相も変わらず、スライムは枕にならない時は丸い円筒状のいれものに納められていた。


邪神も、悪魔も、天使も、神も、獣人も、人の軍も彼女に挑んだ。

奇跡が欲しくて、欲望にまみれて。



結果彼女は、現実すら見たくなくなっていく。


両肩から肘にかけて五個づつの、魔眼を開眼する。

あらゆるものから攻められて、あらゆるものからなじられて。


その度に彼女は、もとの姿を捨てていく。




(もう、どんな言葉も彼女には届かない)



ただ、そこには圧倒的すぎる化物がいた。


ぬいぐるみは知っている、彼女は最初こんなのではなかったと。

スライムは知っている、彼女はもともと小さく丸くなって寝るだけの存在だったと。

コックローチは震えた、元々は自分よりも小さいか弱いか細い幼女がここまでになるなんて思わなかった。



私と彼女は、同じ最弱だったはずだ……と。



彼女は、その魔眼と翼であらゆるすりつぶした相手の欲望や魂等を力に変えて蓄える。


それにより、更に顔中に血管が走り浮き出る。



その、防風の様な荒れ狂う力を制御する為にさらに額に魔眼が生まれる。


全身にその血管が浮き出た状態になっても、彼女は眠る時だけは一番最初の幼女の姿で親指を加えて眠る。



まるで、起きている事が苦痛だと言わんばかりにいつも眠っているのだ。


昼には見えて夜には見えない、夜には見えて昼には見えない。


ただ消えてしまいたいと願い、眠るのに邪魔な存在をまるでハエでも叩き潰すかのようにしてきただけなのだ。


(夢をみて、その夢を現実にしてみようと思ったのはいつだったか…)


自分と同じ目にあう事のない世界、自分みたいに惨めにならない世界。


支配でも洗脳でも構わない、努力が報われ弱いものが虐げられない世界を眷属は望んだ。


自分が、世界を何千憶回でもやり直せる神になった事すら忘れて。

自分が、願いを叶える側になった事も忘れて。

自分が、望みのままに振舞える存在になったことさえ判らず。



そして、彼女は位階神となり「その権能」を開眼してしまう。



彼女の決めたルールに則るかぎり、自分も含めたどんな願いも無制限に叶えるそれを出来るようになってしまう。

ただし、その力を何よりも彼女自身が嫌悪し意味嫌っているという注意書きがつくが。


結果、怠惰の箱舟はポイントで全てを叶える今のシステムが出来上がってしまう。


本当の力も姿も、内側に押し込んで。


小さな眷属がそう願ったから、自分もそうであったならと思ったから。



これが、怠惰の箱舟の始まり。



コックローチは憧れた、憧れ憧憬し。

いつかはと、その戦闘スタイルをまねるようになる。


彼女の力は基本その紅葉の様な手と、ぺたぺたと音がしそうなほど小さな足。

変神後の姿と違い、一番最初は小さな両手があるだけだった。


痛いのが嫌で、丸くなるように構える。

それがピーカーブーだとも、知らず。


変神後は白い指抜きのレザーグローブ。純白のスニーカー、背中の漆黒の羽、但しその羽の一枚一枚は取り込まれた神の手を形作る。


袖の無い貫頭衣、両肩に五個づつの魔眼。ただし、この魔眼も眼の中の水晶体がまるで蜂の巣の様にびっしりと眼が詰まっていた。


あらゆる刃は角度によって切れる、だから彼女は刃を持つことをやめた。

うち合い、とどめ合えば角度を維持できなくなり。それは切れなくなるからだ、だから武器等不要と刃のついた武器を投げ捨てた。



あらゆる魔法はイメージによって、それを具現化する。

だから彼女は魔法も魔術も捨てた、その背中の羽はもはやそれらを不要とする程の権能を内包していたから。


彼女は盾や防御に使う一切をすてた、もはや彼女に傷をつけられる程の存在値を持つ存在はたった十一柱になっていたからだ。


魂も心も感情も残りはしなかった、彼女は力以外の全てを投げ捨てた。

それでも彼女がピーカーブーに構えるのはただの名残、在りし日の自分の残り香。



その羽が、指が僅かにでも動けば。

それは、結果となって表れる。


コックローチは修行して、鍛錬して、錬磨したが。

どこまで行っても、強すぎる格闘技以上にはならなかった。



魔法を砕き、権能を突き崩すだけの力にはなった。


それでも、彼女の様に全てを叶えるまでには至らない。


目指す高みが遠すぎて、コックローチは自らがペットである事すら忘れてしまう。

門番を気取ってはいても、自身がペットである事は変わらなかった。


結局コックローチを突破できたのは、長い長い時間で三柱。

ラストワードとハクアそして、位階神の頂点が一柱。


ラストワードは、知りたくて。

ハクアはただ、退屈しのぎに。


位階神の頂点は、新たに生まれた最強の存在に会いに。


彼女は上半身の動きこそピーカーブーからのウィービングであるが、足運びのそれはまったく別ものだった。


普通のピーカーブーは上半身だけが激しく動くが腰から下はどっしり構えている事が多い、だが彼女の場合足の歩法はどちらかと言うと古武術やバレエに近いのだ。


翼を模るその手は、印を結び。影絵の様に指を結べば幻獣が咆哮をあげ、肩の魔眼からあらゆる武器と力を具現化した。



望んだ元素を望んだ範囲から取り込み、望んだ配列で吐き出す。


魔素も水素も窒素も、化学物質や毒物さえ。彼女は取り込んで力に変えて蓄えるのだ、怠惰故にひたすらにため込んで。


ため込む為に、虚数空間を内蔵するに至る。


ラストワードは見てしまったのだ、この世の理不尽を体現する彼女の姿を。


神とて存在値がなくなれば、消滅する。


それを、彼女だけがあらゆる元素を吸い込んで存在値に変えてしまっているのを。

原子、元素、力場、魂あらゆる力が一かけらでもあれば。

それを五感にかえ、情報を無制限に蓄え。

そして、情報そのものを自在に好き勝手にできる存在を。



存在値は神の本質に近く無ければ、けっして軽々しく貯まるものではないのだ。



(まるで、海の上にある台風の様にただ力だけバカでかくなるだけの存在)



ラストワードは変神した瞬間から、自身の存在値を吸い尽くされるのが判った。

彼はそれなりの神ではあったので、吸い尽くされて尚戦うだけの権能を駆使できたが逆にいえば彼以下の神の中にはそれだけで彼女の力に分解されて蓄えられる事すらあった。



本来神は権能をぶつけあったり、陣取りの様に神域を染め合う所から戦いを始める。


しかし、彼女は最初から神本体のエネルギーにかわった瞬間から食いつくすのだ。


彼女が段ボールに戻った時、ラストワードの存在値は全部返された。

だが、きっとその気になればいきなり存在値をゼロにする事もできたのだ。


ラストワードには、それが判ってしまった。


だから…、そこで納得した。


次に来たのは、ハクア・ニューブリッツ・ユグドラシル。


位階神第七位であり、退屈を持て余した神。

胸がやたら大きい、白銀の髪が美しいハイエルフの姿をした位階神。


暇だから来た、彼女はそう告げた。

働かせようなんて思わない、世の中は余りに退屈だと。


生まれたての位階神と第七位は互角だった、だがハクアは帰り際にポケットに手をつっこみながら振り返ると。


今後も俺は、働かせようなんて思わねぇさ。

生きてると退屈で、友人の家にお邪魔して帰る事はあるかもな。


それと、お前を働かせようってなら俺より上の位階神がこなきゃ無理だろ。

お前のペットは、負ける事もあろうが俺と互角なんてなぁ。



(俺に取っちゃ、夢も希望もここにしかなさそうだ)



そして、位階神の頂点が訪れて。



エノは初めて知る、神の頂点その頂に座る少女。


見た目は、ただの少女。


金髪で、紅い眼。漆黒のローブに頭には青い蝶の髪飾り。

優しく微笑んでこそ居たが、エノには表情どうりに受け取る事は出来なかった。


自身の存在値が砂粒に感じられる程の、膨大な存在値。

それでも、自分同様に抑え込んでいるのが判る。


存在するだけで空間がきしみ、悲鳴をあげ。


そんな、位階神の頂点は挨拶に来ただけよと笑い菓子折りを一つ置いて帰って行った。


そのお菓子は手作りの、形のいびつなものだったけど。

エノには、初めての経験だった。


優しくされた事も、本心から微笑みかけられたことも。

コックローチは、三柱を通してしまったが。

貴方が死なない方がよほど大事と、エノは笑った。


そして、菓子折りから菓子をコックローチの口に突っ込んだ。


バターの入りすぎたそれは、普通の神や人には胃もたれ必須だったが。

コックローチの光無は、油が好物だけに美味しく食べる事ができた。


そして、ぬいぐるみとスライムは元はダストという黄金色のスライムだ。

ただお互いを、主と副とし異なる思考をしあう同一存在。


ダストは無制限に同一存在を創り出すがその意識は全てリアルタイムで意思疎通出来ている。


縫いぐるみがゆれて、ダストもぷるぷると揺れる。

最下層で、二つのダストが天井を見上げ。


「いつかではなく、いつも…か」

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