第11話 わからないような
家に帰り自室のベッドで横になり、俺は武田さんの言っていたことを考えていた。割り切ることを覚えた方がいい、その言葉に釣られて思い起こされるあのクソアマのやった許されざること。あぁくそっ、思い出すだけで腹立ってきた。
そもそもアイツも、相手は人間だってことを理解してたのか? あのサイクロプスみたいなバケモノはおよそ人間どころか生物の範疇を超えていたし、何より人を襲って喰っていたから力を振るうのは当然のことだ。
けど半身不随になるほどの力を人間に使うのは違うだろ。ヌマヌカって刑事さんは顔に18針縫わなきゃならない上に上手く喋ることさえままならなくなって、一人は複雑骨折って……振るっていいものじゃないだろ。なのにさも当然のごとく、襲われたから抵抗したって。
「あぁ゛っ、モヤモヤする!」
たまらず俺はベッドから起き上がる。スマホの画面を表示すると時間は午後3時22分、腹はまあまあ減ってる。この胸の内に溜まっている猛毒のような溜め息を吐き出しながら、一階のリビングまで降りていく。昼食ってないけど、流石に晩飯に響くのはマズいよな。何かあったっけ。
一階に降りて冷蔵庫を物色したけど、目ぼしいものが無いな。お菓子置き場には一応なくはないけど、ポテチとかって気分じゃないんだよな……しゃあない、取り合えずコンビニ行こ。おにぎりかパン、どっちにしようか。
財布と家の鍵の必要最低限の物だけ持って、靴を履き玄関を出て鍵を閉めたあと、徒歩で近場のコンビニまで向かう。自転車で行く方が早いが、今は何故だか歩きたい気分だった。
2.4m/sという若干早い移動速度で歩き、周りの景色を眺める。この時間帯はまだ仕事をしている社会人や中高等教育を受けている学生は学校に居て、学校終わりの小学生らが下校していたり、自転車に乗って移動している人が居たりしていた。
そういえば昨日の事や今日の用事ありきとはいえ、こんな月曜から学校を休むというのは初めてだ。ちょっと新鮮な感じがするものだから、いつも見ている景色が少し違って見えている。
近場のコンビニに到着し、店内に入る。開かれた自動ドアと店員の間の抜けた挨拶を通りすぎ、おにぎりやパンのコーナーに入って何にしようかと確認していく。腹持ちがあんまりよくないヤツが良いよな、って考えるとおにぎりは論外……あぁ、ヘルシー麺とかあったな。それでも良いかもしれない。
んー、ホットスナックは買わなくてもいいんだろうけど、口寂しくなるんだよなぁ。いやでも最近暑くなってきたし、ここはホットスナックじゃなくてアイスを買うのもありか? 軽くつまめるものでも良いかも。
「どうしよっかねぇ。」
不意にそんな言葉が漏れ出る。どうしたものかと悩んでいたものの、一旦このコーナーから離れて今度はカップ麺系のコーナーに移動した。カップスープとかでもいいかもしれないと思いながら、幾つか候補を決めていたところに俺の後ろを誰かが通り過ぎる。
少し視線をそちらに向けると、ランドセルを背負った下校帰りと思わしき男子小学生が文房具コーナーに立ち寄っていた。小学生か、特に気にする必要は無いんだけども……ふとまたその子に視線だけ向けると、何やら周囲を忙しなく気にしている。まさかと思った矢先、その子が消しゴムを一つ持って素早く――の前に俺は動いていた。
「っ!?」
二歩ほどで詰められる距離を、軽く地面を蹴っただけで詰めて、ポケットに入れようとしていた消しゴムを持つこの子の右手首を掴んだ。その子は俺に驚いているが、正直俺も驚いている。ここまでのことが出来るような瞬発力を、何の理由か持ち合わせているのだから。
とまぁ、そんな事よりもだ。今はこの子のことを収めるのが先、握力に関しても強化されているので、危うく壊さないように細心の注意を払って握力を調整する。逃げようとしている目の前の子は、必死に逃げようと俺の掴んでいる手の指を引きはがそうとしているが、無駄に終わっている。
「君、やめな。そんなことしても自分が一番後悔するだけだ。」
「はなせっ!」
そう言ったけど、目の前の小学生は聞く耳を持たない様子で、大きな声を上げた。それは悪手でしかないと言いたかったが、その声に引き寄せられて店員がやってきて尋ねた。
「どうしたんすか?」
「……万引きですよ、ほらこれ。」
正直、この子には思いとどまってもらって商品を戻した後すぐにでも帰ってほしかったが、そうも言ってられなくなった。万引きをしようとしていた事に対し、店員は面倒そうにしながらもその子を捕まえて、俺も事情を聴く形でバックヤードの方に向かった。
とはいえ待っていた結果は、この子のだんまりだけだった。途中俺に指示されてやっただとか言っていたが、そもそも顔も名前も知らない間柄なのでその発言は無意味になり、結局その子の母親が来る形で騒動がうやむやになった。
こんな事があったけれど、俺の食欲は空腹のサインを鳴らしたため、カップタイプの中華スープを買って家に帰った。
警視庁の一室、武田は17階にあるその部屋の扉前に立ち4回ノックした。
「入りたまえ。」
「失礼します。」
ドアノブを捻り、武田は入室する。部屋の中は広い造りとなっており、入ってすぐ目に付くのは部屋の中央に設置された4席の一人用ソファと、茶色の木目調テーブル。そして茶色の両袖机に鎮座する五十代の男と、彼の後ろの壁に掛けられた大きな桜の代紋。
机の上に置かれた警視総監のネームプレートが、この男が警視庁のトップに立っている証であることは明白であった。静かにドアを閉めて敬礼を行い、武田は男の座る両袖机の前まで歩き、その地点に立つ。
「昨日の未確認生物出現に関与していた彼女と青年の件にて報告します。」
「どうなった。」
「結論から申しますと、青年が彼女の起こした被害に憤り話は中断。今週の土曜日、午後13:00に日を改めて来るようにと。」
「そうか。」
「それとは別に、申し上げたいことが。」
「何だ?」
「件の青年ですが、彼女の力に真っ向から対抗していました。」
「……なに?」
その一言で眉に皺を寄せながら男は武田を見た。信じられないものを聞いたような表情のまま、話は続けられる。
「あの常識外れの力にか?」
「はい。」
「……嘘、という訳では無いようだな。」
「はい。確かに手錠の鎖を容易く引きちぎり、人ひとりを軽々と持ち上げる彼女に、真っ向からの力比べで。」
「帰らせたのは悪手だとは思わなかったのか?」
「それについては御安心ください。彼は少なくとも無闇にその力を振るうことは無いと判断しました。」
「その言葉、信用して良いのだろうな? 武田警部。」
「もし判断と違った結果が起こった場合は、如何なる処罰をも受ける所存にあります。」
若干の静寂が部屋を支配したのも束の間、警視総監である男が吐いた呼気がそれを破る。軽く二回ほど首肯して一先ずの理解を示したところで、彼は席を立つ。
「ならば、君のその期待が裏切られないようにするといい。」
「感謝します、田村警視総監殿。」
「今日はもう良い、業務に戻るように。」
「はっ。」
部屋を出た武田はエレベーターに乗りこみ、自身の仕事場のある15階に到着するまで緊張の糸を緩ませることなかった。仕事場に戻るや否や、少しだけ疲れた様子を見せたあと、彼女の居る会議部屋に向かった。
「今戻った。」
「お帰りなさい、警部。」
「お、おっさん!」
部屋に入って武田が見たのは、なぜか助け船が来たことで安心しているような表情をするラウリ・ユーティカネンと、どこか満足げな表情を浮かべている本居の姿。その様子に、武田は何となく察しがついた。
「またか本居。」
「そこで私だと確信するあたり、かなり信用されてますね。」
「嫌な信用だな。で、またお得意の恋バナマシンガントークか?」
「おっさん助けてくれ! コイツ、何か色々とヤベェんだよ!」
「よく知ってる。だから言うぞ、ソイツは無理だ諦めろ。」
若干絶望したような表情で困惑する彼女の反応を半ば無視し、武田はラウリの真正面にあるソファに座り、軽く息を吹く。
「本居、話をしたい。」
「わかりました。」
「いや急に落ち着くな!」
「それで、話とは?」
「彼女の当分の宿泊先についてだ。」
「アンタ、よくコイツと真面に話せるな。」
ラウリ・ユ―ティカネンのツッコミは置いておき、二人は彼女のこれからの宿泊先について話し始めた。また土曜日に原川彰と顔合わせして対談するとはいえ、このまま土曜まで警視庁に居させるのは躊躇われるためである。
ましてや武田や本居は警察の中でも機密の多い部署の所属であるため、部外者を放置するわけにもいかず、かといって留置場に置けば鉄格子など簡単に破壊されかねないので、彼女をどこかの宿泊施設に置いておく方が無難だと武田は提案した。
「それで、彼女を近場のホテルにでも置こうかと思うんだが。」
「監視はどうします? 正直なところ彼女には無意味に終わりそうですが。」
「アンタよく本人の前で監視とか言えたな。」
「必要ではあるが、適任が「じゃあ私が彼女の監視役を。」早い。」
「アタシは嫌だ!」
「えぇー。」
「……ともかく同性の監視役を一人か二人、本居以外で配備するとして。」
「警部、後生なので監視役をさせてください。」
「当人が拒否しているから諦めろ。」
顔には出ていないが、本居が若干落ち込んだような雰囲気を出す。そのことは置いておき、ラウリにはまだ色々と足りないものが多いことも踏まえて、部下の一人にそれらを任せることに決まった。
「ひとまず監視役は決まったが――」
「あん?」
「服の方をどうにかしないとな。」
「なら私が!」
「い・や・だ!」
「随分と嫌われたな。」
「なぜでしょうか?」
「こっ、コイツ……自覚が?!」
「服の方も彼女に任せるとするか。」
そう淡々と目の前の騒がしさをよそに、武田はある一人の部下に連絡して監視役を頼み、服の方も見繕ってもらうように頼んだのだった。
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