第4話 泡沫のような

 ━━202X年 5月7日 16:09

 東京都渋谷区宇田川町21 渋谷スクランブル交差点にて謎のが出現。

 観測された個数:1

 大きさ:直径約5m

 穴の出現直後、体長およそ4mに及ぶ単眼、緑色の肌をした人型生物(以降“乙”と仮称)の出現を確認。

 舌を出しながら民間人や周囲を確認した途端、民間人1名を掴み捕食。

 パニックとなった民間人による被害で6名が圧死で死亡したと推測。圧死した民間人6名は乙により捕食され、残骸のみが周囲に残存。

 負傷者はおよそ227名に及び、未曾有の大事件となった。


 ━━同年同日 16:47分

 乙の死亡を確認。単眼を鋭利な状態になった道路標識の一部で刺された事によるものと思われる。


 ━━同年同日 16:49分

 穴の再出現、それに伴い2体目の乙が出現。民間人の男子1名が被害に遭いかけたが、2体目の乙上空から飛来した武装した少女と、先述した民間人の男子によって死亡。










 それは本当に突然だった。ガラス張りの複合商業ビルからハチ公前に繋がる横断歩道、そのすぐ近くで何も無い空間にとてつもなく大きな穴が現れた。それに気付いた途端、人の流れは止まり視線は否応無しに穴に注視されていた。


 そしてその穴の中からフィクションのような存在が地に降り立つ。目測からして身長は約5m、緑色の肌に一つ眼と、神話に出てくるサイクロプスのような風貌のそれを、他の奴らは興味や好奇心で撮影したり、何かのイベントなのかと不思議がって動かずにいた。


 ただこの時、俺の中で嫌な予感が体中を駆け巡った。その予感通り、サイクロプスのようなそれは、自身の周囲を一瞥したあと、大きな足音をたてながら横断歩道上に居た人を大きな手で掴み、何の躊躇もなく人間の上半身を噛み砕いた。



「きゃああああ!?」



 女性の声が響き、蜘蛛の子を散らすように人々は逃げて行く。しかし近くに居た人々はその光景を見て腰が抜けてしまったのか、全く動かないまま捕食シーンをずっと見続けてしまったり、道路に嘔吐したりと悲惨な状態にあった。


 俺もカナデを抱えて一目散に逃げようとしたが、このまま逃げても人の波に呑まれることは確実。なので現場から離れるように人の波に一旦追従し、タイミングよく建造物の敷地内に入って難を逃れられた。


 咄嗟の出来事のせいでまだ現実味が湧かないが、自分の頬を引っ張ると痛みが感じられる。信じられないが、これは紛れもない現実らしい。



「何が起きてる……?」



 悪い夢、仮想現実、何かの撮影。そんなもので済むのなら良かった。けれど俺は今まさに痛みを感じて、疲労を感じて、そして人が食われた瞬間をその目で見た。正直、頭が混乱していてどうにかなりそうな気分で、これが現実なのか未だに整理もつかなかった。



「ショウ……。」



 カナデの声はか細くなっており今にも消えてしまいそうになっている。正直、今は俺も自分の体温が5℃ほど下がったような感覚に苛まれてる。くそっ、まだちゃんと頭が回ってない……警察は、確実に来るだろう。だがあれに敵うのか? 完全に人の領分を越えている。


 あれはよくて最低でもSATとか、そういった辺りの実力者ぐらいじゃないと無理だ。でもあの音を聞く限り、あのサイクロプスみたいな奴はトンは確実にある。道路を陥没させない程度の重さとするなら、雌の像一頭の重量と同等あってもおかしくない。



「ショウ、ショウ。」



 ! しまった、計算に夢中になりすぎた。人間を噛み砕ける咬合力こうごうりょくまで計算するのは違う、今はどうにかしてこの場から脱出するのが最優先だ。



「カナデ、わるい。」


「良いよ。ショウ、これからどうするの?」



 どうする、か。まず向こう側の行動原理を、いやそれは時間が掛かりすぎる。音を出して誘導できたらいいが、多分そうも言ってられない状況になる。


 そう思うや否や、遠くの方から車のアラーム音が耳に入ってくる。建物の影から覗き込むようにして探ると、サイクロプスのようなそれは音に釣られて行くと、次に物を破壊するような音が聞こえてきた。今なら駅の方に近付けるはず!



「カナデ、あのバケモノが車に気を取られているうちに今から移動する。動けるか?」


「……ごめん、さっきので腰が。」


「わかった。なら、バレないように息を殺せ。タイミングを見計らって上手く逃げ出してみせる。」



 まずはここからの脱出だ。アラート音は消えてしまったが、それでもあのバケモノの隙はあるはず。カナデをおぶって、まずは様子を伺う。視線は俺たちの方を見ていないが、下手にこのまま突っ込むのは不味い。迂回するしかないか。


 建物の影から出て、気づかれないように歩いて井の頭通り方面に向かう。時間はかかるが、安全を考慮するならこの方が良い。その間、俺は頭の中で色んな考えが巡っていた。


 あのサイクロプスのようなバケモノは一体どこから来たのか。あの穴が何であるのか。そもそも帰ることが出来るのだろうか、駅に着いたとしてもあのサイクロプスに電車を潰される可能性は無いか。あーったく、こういう時に悪いことばかり考えてしまう。悪い癖だなホント。



「ねえ、ショウ。」



 井の頭通りまで直進すれば良い地点まで歩いたところで、おぶっているカナデが口を開いた。この辺りならあのバケモノも気付く可能性は少ないだろうと考え、俺はその声に応えた。



「どうした?」


「帰れるかな、私たち。」



 首に回されたカナデの腕の力が僅かに強まった。正直なところ、気づかれればただでは済まないだろう。簡単に人を殺せるぐらいには強いし、少しだけ見ていたが理性というものを感じなかった。情に訴えるような真似は通用しないだろう、簡単に帰らせてくれるのは期待しない方が良い。


 ただここで本当のことを伝えるのは悪手だろう。かといって、誤魔化すようなことを言うのも悪手だ。出来るかどうかは分からないが、死ぬ気でこの危険地帯から脱出しなければ。



「帰れる、絶対に帰ってみせる。」


「できるの?」


「やるからな。」



 そう、やるしかないんだ。少なくとも俺は一刻も早くカナデを安全な場所に運ばなければならない、今注力すべきはそこなんだ。


 そうして少し早いペースに切り替えて、井の頭通りに到着し、山手線の高架下近くまで到達すると、線路を沿って移動し、渋谷駅出入口まで目と鼻の先にまでの距離になった。


 道中追ってくる気配も無かったので、俺はアイツが今何をしているのか調べる。遠目に見えていた嫌な予感が、ほのかに漂ってきた臭いに嫌悪感を催した。



「……カナデ、目を閉じとけ。」


「えっ?」


「出来るなら臭いも嗅ぐな、俺の肩に鼻を押し付けるなりなんなりしといた方が良い。」



 そこまで言って勘づいたのか、カナデは目を瞑り俺の肩辺りに鼻をくっつけた。正直、これはさっき嗅いだだけで慣れるようなものじゃない。鉄くさい臭いと辺りに散乱した肉、服の残骸、骨の残骸等々……。


 肝心のサイクロプスはというと、をまだ食べている途中らしい。本当に現実味の無い出来事が目の前で起きていると、改めて実感する。とはいえ夢中になっている今がチャンスだ。すぐに駅の中に――。



「ママ゙ー!」



 !? まだこの場に子どもが、いやそれより脱出を……! でもこのままじゃあ、サイクロプスに……!



「くそっ……。」



 悩むことじゃないだろ! あのまま行けば俺は死ぬかもしれない、何よりカナデも居るんだ! ここで逃げるのは間違いじゃないだろ! なのに……何で俺は、ここで足を止めている!? 何で!?



「ショウ。」


「カナデ?」



 不意にカナデから呼びかけられた。その声にはどこか落ち着きを孕んでいて、いつもより少しだけ低くなったカナデの声は、俺に向かって言葉を紡いだ。



「ショウ、あの子を助けて。」


「……はっ?」



 俺はカナデの口から出た言葉に唖然としていた。それに対して疑問を呈する前に、彼女は続けて俺の心を見透かしたかのような事を言った。



「あの子を助けたいんだよね、ショウ。」


「む、無茶言うな。あのバケモノに捕まったら俺は」


「じゃあ何で足を止めているの?」


「それはっ……それは」


「それに、私はさっき君の意思を聞いたんだよ。できる、できないとか、そんな事じゃない。君が、そうしたいんだって思いが、私にも伝わってきたから。」



 カナデ、お前は本当に。それを言われたら、何にも言い返せねえじゃねえか。俺の思いを汲むのは、反則だろうが。


 カナデは俺から降りて真正面に立つと、俺の両手を取って、覆いかぶせるように握りしめる。その手から受け取る暖かさは、ほんの僅かに重さを感じられた。



「ショウ、君は自分が望んでいるもののために動いて。」


「ッ!」


「君が望む、誰かを助けるヒーローとして。君の優しい心が叫んでいる、と願う声に従って。私は、もう歩けるから。」



 ぐっと、握った力が強まった。俺を見るその目は、まるで俺がそうすることを信じて疑っていない。その目に俺は――己の答えを真っすぐ見つめた。










 穴から出現した単眼の巨大な人型生物は、座りながら圧死されて死んでいる人間たちを食っていた。その所作に行儀はなく、獣のように人間を貪りつくしている。人間の着ている衣服は不味かったのか、乱暴に破り捨てられ辺りに散乱していた。



「ママ゙ー! ママー!」



 子どもの声が響き渡る。その声にバケモノは反応しているが、いつでも殺して食えると思っているのか、悠々自適に人を食い漁っていた。その食事中に、バケモノは後頭部に何かがぶつかった事を知る。特に気にする程度のことではないものだが、その単眼で後ろを見る。


 そこに居たのは、小さな瓦礫を持って投げたのが自分であると示している人間原川彰だった。取るに足らない弱い存在の必死の抵抗、気だるげな様子で立ちながらそちらへと顔を向けた直後、大きな目に鋭い痛みが走った。



【ヴぉオオオオ!?】


「やっぱテメェの弱点はそこか。」



 驚きと痛みのあまり悶絶し、バケモノは目を押さえながら尻もちをつき倒れる。近くに居たショウは腰に結びつけられた、靴下による即席のブラックジャックを手に取る。



「テメェみたいな奴に言葉が通じるか知らねぇけどよ、ここはお前みたいな奴が居ていい場所じゃねぇんだよ。」



 充血した眼が、ショウを捉える。原始的な怒りによる視線の圧に、彼はただ一度深呼吸をして、そのバケモノに啖呵を切った。



「来な、ウスノロ! テメェ如き、俺がぶっ倒してやる!」

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