第19話

 



 あれからすぐ、寮母であるカティアさんは私を迎えに来てくれた。

 なぜだか凄く心配してくれていて、つい恐縮してしまった。


 怒ることも、苛立つこともなく、義務感からくる責任感でもない、ただ心から心配していると分かるその態度にはどうしても困惑してしまう。

 過去には一度も、誰からも感じられなかった感情と態度だったからだろうか。


 ……ただ、あの頃の私には、それに気付けるような余裕がなかっただけなのかもしれないけれど。


 どうして、過去ばかり思い返してしまうのだろう。自分から思い出している時もあれば、無意識で勝手に思い出されてしまうこともある。


 だけど、呼吸もままならない状態になるくらいなら、思い出さないほうがいいのかもしれない。

 いっそ、記憶さえなければ、なんて考えた。

 でも、それじゃ過去と同じ道を辿るだけ。私は過去ではなくて今を見なきゃいけない。そうじゃなきゃ、いけないのに。


 ……自分が分からない。


 ◇


「それでは、ひとりずつ声を出してみましょう」


 仮クラスの担当になった薄桃色の髪と目をした花乙女の先生が、穏やかにそう言った。

 青髪の先生が知らせてくれていたおかげか、私はなんの問題もなくこのクラスの生徒として受け入れられている。仮クラスだからこそ、なのかもしれないけれど、今はそれがありがたかった。

 とはいえ、20人前後の生徒でも、すでにグループのようなものが出来ているようだ。もしかすると、国内の派閥などの知り合いから出来ているのかもしれない。

 誰の顔も分からないから、家同士の派閥がどうとか以前に、屋根裏部屋と地下の牢獄しか知らなかった私には、誰がどこの家の子かすらも分からないのだけど。


「あ、セリーヌさんは、昨日早退したことも鑑みて一番最後にしますね」


 先生にはなんだかいきなり、にっこりと穏やかな笑顔で宣言されてしまったけれど、当の本人の様子から察すると、まったく悪意も作為もない、純粋な厚意のようだった。

 いいひと、なんだろうとは思う。私にはとても都合の良い展開ではあるのだけれど、これがのちにどう影響するのかは予想できそうになかった。


 ……私は、過去と同じように歌えるのだろうか。


「それでは、マークさんからいきましょうか。ゆっくり息を吸って、私と同じように歌ってみてください。いきますよ~」


 マークと呼ばれた生徒が、歌う先生のあとに続いて声を出す。緊張しているのか途中で声がひっくり返ってしまい、彼は羞恥で黙り込んでしまった。


「だいじょうぶですよ〜、最近あった楽しいことを思い出しながら声を出してみてください。はいもう一度」


 今度は、彼の喉から伸びやかな声が出る。聞いている者が楽しくなってくるような、そんな歌声だった。


「いいですねマークさん! では今度は声に魔力を載せて歌ってみましょう! いきますよ〜!」


 明るい声で促す先生に釣られるように彼が歌う。すると彼の周囲を薄いオレンジ色の光が瞬き、そして消えた。

 わあ、という声が生徒たちから上がる。暖かくて、綺麗な光だった。


「おめでとうございますマークさん! 今の光は神々がマークさんをお見止めになられた証です!」


 先生の言葉で、彼の瞳が輝いた。


 あまり覚えていない遠い日の出来事だからか、現実味を感じない。

 こんな感じだったような気もするし、しない気もする。私には自分がこの日に開花した記憶しか残っていなかった。

 ……仕方はないかもしれないけれど、もう少し色々と覚えていて欲しかった。


「それでは、この感覚を忘れず、もう一度。今度は感謝の気持ちを込めて歌ってみましょう!」


 先生のそんな言葉に促されたものの、彼はそれ以上のことは出来ず、そして次の生徒、次の生徒へと順番は移り変わっていく。順番が近づくにつれて少しずつ焦りが湧いてきてしまうのは、きっと私が昨日のように感情に流されてしまいそうだからなのかもしれない。


「皆さん、大丈夫ですよ! 最初はだいたいそんなもんです! むしろ5人も御光みひかりを纏えたのですから上出来です!」


 なにも出来なかった生徒たちを元気づけるように、先生はそう言って優しく笑う。


「では、最後は、セリーヌさんですね。声は出せそうですか?」


 そしてとうとう、私の順番が来てしまった。


「……はい」


 緊張、しているのだろうか。……私が?


 感情は抜きにしても、ここで開花しなくたって問題は無い。元々このクラスは仮で、開花した者から順番に正式なクラスへ配属されていくだけのクラス。

 この学園を卒業したいだけの私は、そこまで気負う必要はない。


 息を吸って、吐いた。


「それでは、私のあとに続いて声を出してみてくださいね」


 先生の歌声のあとに続いて、私も声を出す。


 声はたしかに出せた。


 だけど。


 身体中から、無念さ、悲しみ、苦しみ、そして、恐怖の感情が湧き出てくるかのようだった。


「─────」


 朱い、光が瞬いた。鮮烈な朱を纏った、ぎらぎらとした刃物のような色。

 まるで、私が斬り捨てられた時の刃のような───


「セリーヌさん! セリーヌさん!!」

「っは……!」


 息を吸う。さっきまでの私の声は、いったいなんだったのだろう。


 だけど、周囲の生徒たちの怯えたような目と今にも泣き出しそうな顔、そして、いつの間にか私を抱き締め、目にいっぱいの涙を溜め込んだ先生の姿に、つい呆然としてしまった。


「なんてことなの……、どうしてこんな……あぁ、かわいそうに……」

「……え……?」


 あまりにも優しい手つきで頬や頭を撫でられた。ぽろぽろと零れていく先生の涙は透明で、美しい。

 私には、それだけしか感じることが出来なかった。


「つらかったのね……苦しかったのね……」

「……せんせい、あの」


 意味が分からなくて、声をかける。絶え間なく零れていく涙をそのままに、先生は私を見つめる。


「花の歌声にはね、その時の感情が載ってしまうの」

「……はい」


 それは、基礎的な知識であった。


「だからね、あなたが感じた心の痛みは、聞いている者にも入り込んでしまうのよ」

「……え」


 つまり私の、あのおぞましいまでの負の感情が、先生や他の生徒たちにまで伝わってしまったということか。


「だいじょうぶよ、だいじょうぶ。みんな、あなたがどれほどつらかったか、悲しかったかを、理解しただけよ」


「ごめん、なさい」

「謝らないで。だいじょうぶよ。それよりもセリーヌさん、開花、おめでとう」


「え、……あ」


 私の周囲には、朱色の光を纏ったカードが、風で宙を舞う花弁のようにくるくると回っていた。


 

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