第17話

 

「学園長先生凄くカッコ良かったね」

「ね、びっくりしちゃった」


 ひそひそと、友人同士だろう少女たちがそんな会話をしているのがどこからともなく耳に入った。声音からほんのりと頬を染めているのだろうことは簡単に想像出来た。

 学園長先生が居なくなったあとの講堂では、あちこちで似たような会話や、興奮の冷めていない生徒たちによる雑談が繰り広げられている。

 学園の新入生自体は世界各国から集まっているとしても百人居るか居ないか程度。

 だからこの講堂では本来在校生が座るはずの後方の席はガラ空きだ。

 それには理由があったはずだが、……いったいなんだっただろう。思い出せない。


 それよりも私には、心のどこかで、ずっと、それこそ死ぬまで気にしていた疑問があったことを思い出していた。


「ねえ、メイリン」

「どうしたヨ? セリーヌ」


 隣の席に座ってくれていたメイリンに声をかける。


「私たちって、一体誰に選ばれたんだろうね?」

「ンー……、選考方法は非公開だからなア……」

「……うん、そうよね」


 腐らず、焦らず、慢心せずに研鑽を積めば、将来は約束されていた。

 あの頃の私は、そんなものが自分にあるだなんて思ってもいなかったし、それよりも、家族に認められたかった。

 ……焦っていたのだ。自覚はなくとも、周りが一切見えなくなるほど。


「それよりモ、セリーヌは自分のこと考えなきゃだヨ?」

「……うん、そうする」


 メイリンの言葉は正論だ。過去の私は、自分のこと、将来のこと、なにも考えていなかった。ただただ怯え、焦り、卑屈になって、そして。


「は-い、新入生諸君、静かにー!」


 唐突な呼びかけで、思考の渦に飲まれていた思考が現実を見た。

 壇上の下のスペースで、移動が出来る車輪の付いた黒板の前で、教師たちがなにかするようだ。


「おっさんだぁれ〜?」

「今後お前ら生徒に色々なことを教える教師だ! 先生と呼べ!」

「これも成績に響きますから、注意して下さいねー?」


 ぼんやりとした男子の質問に、教師たちは慣れた様子で呼びかけた。

 そういえば過去もこうだった。当の本人は反抗的な訳でもふざけている訳でもない様子から、前回同様、お咎めは無いだろう。元々がのんびり屋さんな子のようだから、それもそうか。


「はーい、では今から簡易のクラス表が張り出されまーす! 出身国と名前しか書かれていないから、各自で判断するようにねー! 文字が読めない子だけ先生たちに聞きに来るといいよー!」


 そんな呼びかけと共に、移動式黒板に紙が貼られていく。とたんに落ち着きのない新入生たちから、その黒板や先生たちへと群がっていった。

 私はというと過去の記憶を頼りに、席から立ってざっとクラス表を確認する。

 仮なこともあってか、前回と同じように国でクラスが分けられているようだ。


 不意に、とんとん、と肩を叩かれた。


「……セリーヌ、何組だった?」


 どこか不安そうなメイリンだ。


「5組よ」

「……ボクのクラス、どこだか分かル?」


 そんな彼女の言葉で、メイリンが共通語の会話はともかく、読み書きが困難であることを思い出した。それが演技なのか事実なのか、それはこの際置いておこう。


「先生に聞きに行かないの?」

「めちゃくちゃ時間掛かりそうだからネ」


 ちらりと向けられた視線の先には、新入生たちから囲まれ、その対応に追われている先生たちの様子がよく見えた。


「それもそうね。……ええと……あ、7組に星清国、メイリンってあるよ」

「あヤー! セリーヌと別かアー!」

「うん。そうみたい。でも、国や地域ごとでクラスを分けてるみたいだから、仕方ないんじゃない?」

「そっかア……」


 残念がるメイリンだが、それを吹き飛ばすみたいな明るい先生の声が響く。


「このクラス分けは仮だからなー! 気を抜くんじゃないぞー!」

「……だって。メイリン」

「そっかア、まだ決定じゃないんダ」


 ホッとした様子のメイリンがとても可愛らしい。


「せんせーい! なんで仮なんですかー?」

「そりゃもちろん、生徒同士の相性とか、実力差とかあんだろ? だから、正式に決定するまでにはそれなりに段階が必要なんだよ」


「なるほド……、物凄い実力のある生徒と同じクラスになっちゃったラ、その差に落ち込む人も居るかもだもんネ」

「うん、たしかに」


 先生の説明で、そういえばそんな理由だったことを思い出した。

 同じ国の者同士では、どうしても事前教育や知識などで格差が生まれてしまう。

 そうなれば、軋轢や差別意識がクラスの中でも発生してしまうのだろう。


「……───?」


「え……?」


 誰かの声が聞こえた。思わず振り返るけど、そこに居たのはあまり見覚えのない男の子だった。


「セリーヌ? どうしたヨ?」

「ううん。なんでもない」


 メイリンの呼びかけで、彼から視線を外す。


「おい、待て」


 だけど、なぜか呼び止められてしまった。


「セリーヌ、この子知り合いカ?」

「……知らない子よ?」


 小麦色の肌で黒髪の、綺麗な顔をした男の子だ。私とは違う、濃い赤色した瞳がルビーみたいで綺麗だけど、少し、……なんだろう、思い出せない感情だ。どこかで見たことがあるような、無いような。


「お前、……セリーヌ、というのか」

「そうだけど……それがどうしたの?」

「いや、なんでもない。……邪魔したな」


 彼はそれだけ言うと、どこかへ行ってしまった。きっと自分の仮クラスに向かったのだろう。


「なんだヨ、今のヤツ。変な子だったネ。……セリーヌ?」


 不思議そうにしていたメイリンが、突然驚いたように私を見た。


「え……? あ、うん。どうしたの?」

「どうしたもなにモ、顔色めちゃ悪いヨ!?」

「そう……? なんだろう、疲れちゃった、のかな」


 慌てるメイリンの様子から考えると、私の顔色は今、相当悪いのだろう。たしかに少しくらくらする。


「さっきのアイツになんかされたカ? 殴って来ればいいカ?」

「ううん。さっきの子は、悪く、ない」


 今にもさっきの子を追いかけてしまいそうなメイリンを止めて、なんとか笑顔を作る。


「ほんとにカ? 無理しちゃだめヨ?」

「うん、ありがとう、メイリン」


 本当に、あの子が悪い訳じゃない。ただ。

 耳にこびり付くみたいに残っているその声は、あまり心当たりの無い、聞いたことの無い声だった。だけど。


『……ダスティ?』


 その声で呟かれた、嫌悪感の湧き出てくる呼び名には、聞き覚えしかなかった。


 ……どうしてあの子は、私の“前の名前”を知っているのだろう。

 そして、なぜその名で私を呼んだのだろう。


 心臓が痛い。胸が苦しい。

 気分が、悪い。


 さっきの子を追いかけて、詳しい事をちゃんと聞いた方が良いのかもしれない。だけど。


 無くなったと思っていた心が、感情が。


 恐怖というものに染まっていることに気付いてしまった。



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