第12話
あのまま指輪を返却された私は、その足で銀行へと向かった。過去では一度も来たことがない施設だったから、少しだけ不思議な感覚がした。
指輪を見せたら、なんだか微笑ましいものを見るような顔をされてしまったけど、あれはなんだったのだろう。
そうやって銀行の人に案内された母の口座、金庫には、たしかにお金が入っていた。そして、母からの手紙も。
“私の将来の娘へ
この手紙を読んでいるということは、指輪もちゃんと受け取れたのね。よかったわ。
ちゃんと銀行員さんの指示に従って、名義変更は出来たかしら?
まだならなるべく早くすませるのよ。
それから、五年後の物価高騰に向けて、金額がほぼ変わらないものをいくつか言っておくわね。
金、銀、白金、それと、宝石なら金剛石よ。
どれでもいいからちゃんとしておくこと。いいわね?
あなたがとても苦しい思いをするって知っているのに、このくらいしか出来なくてごめんね。
そうそう。他にもあちこちに手紙を残しているから探してみて。
私は早くに死んでしまうみたいだけど、だからこそたくさんたくさん残しておくことにするわ。
また、別の手紙で逢いましょうね。
セリーヌより”
そんな手紙を読んで、胸に抱きしめた。
心の中にあったどうしようも無いほど大きな空洞が、ほんの少しだけ、気のせいかもしれないくらい少しだけ、埋まったような不思議な感覚。
母の遺した手紙を探したいと思った。
……だけど、空洞が埋まってしまう。
いつかこの穴をすべて埋めてしまわないといけないんだろうけど、それは今じゃない。
───────どうしたらいいんだろう。
分からない。
だけど、私は。
手紙の忠告どおりに、口座の名義を自分のものに変えて、生活費として少し持ち出した。
下着、化粧品、衣服、必要な物をたくさん買い込んで、寮に送って貰うように手配もした。
誰も私を馬鹿にしないし、噂もしない。皆が親切で、笑顔を向けてくれる。
その現実が、不思議だった。
◇
「おやセリーヌ、おかえり。買い物は出来たかい?」
寮に戻ると、カティアさんがちょうど玄関の掃き掃除をしているところだった。
「はい、ですので、昨日お借りした服の返却を……」
「あれはアンタにあげたんだよ。気にせず貰っちまってくれ」
「え?」
困ったような笑顔で、予想外の言葉を投げ掛けられた。
「実はアレ、アタシが学園生時代に着てたり買ったりした服なんだ。気に入らない服は売っちまっても構わないよ。流行遅れだしね」
「で、でも」
「ねぇセリーヌ」
なんとか服を返す方向で話を進めたい私の言葉は、カティアさんが私を呼ぶ言葉で遮られた。
「はい」
「アタシが学園に通ってる時にね、アンタと同じ呼び名の同級生が居たんだ」
「……え」
懐かしそうに目を細める彼女の姿に、つい言葉が漏れた。
「その子も銀髪で、赤い目をしていたよ」
「そう、なんですか」
「すごく仲が良くてね。紙に、炙り出しで見えない秘密の暗号みたいなのを書いて、遊んだりしてたんだ」
「……あぶりだし、ですか?」
聞いたことのない単語だったからか、聞き返してしまう。
「そう。レモン汁で書いた文字って、乾いたら見えなくなるんだけど、そのあとにロウソクの火でちょっとだけ炙ると書いた文字が浮き上がるんだ。それが炙り出し」
「……あぶりだし……」
きっとそれは、母だ。
この学園に通っていた頃の母。
彼女から、もっと色んな話を聞いてみたかった。
だけど、なんだろう。聞いてはいけないような、そんな気がした。
「まぁ、そんな友人とセリーヌがそっくりなもんだから、つい、なんかしたくなったのさ。遠慮なく受け取っておくれ」
「……わかり、ました。ありがたく、いただきます」
それだけを伝えて、なんとか笑顔を作った。
ちゃんとした食事があって、入浴も出来て、寝るところも着る物にも不自由しない。それだけで夢のようだ。
どうしてこんなにも、みんなが親切なのだろう。
私が死んだから? そんな訳ない。
誰も、あの下女の流した私の噂を知らないからだ。
当時は、私本人が実際はどんな人間かも、誰も気にせずに邪険にされていた。『私』が『ダスティ』というだけで。
……あれ?
そうだ。私はもう『ダスティ』じゃない。
あの時とは何もかもが違う。母が視た私は過去の私。
そう考えた時、私は気付かない方が幸せだったかもしれないと思った。母の手紙は私宛てではなく、『以前の私』に宛てられたものなのだから。
体も、心も、重くなってしまった気がした。
不幸に酔っているような人間にはなりたくないのに、今回はどうしても、無理そうだ。
……見付けた手紙は全て燃やしてしまおう。そして、二度と探さないようにしよう。
心が、気持ちが、感情が、どうしても揺らいでしまいそうだから。
今日の買い物で見付けて、つい買ってしまった手紙を保管する為の箱も、不必要になってしまった。
部屋に戻って、箱の入った袋ごとゴミ箱に捨てる。
それから、マッチで机の上に備え付けられたロウソクに火を点けた。このロウソクは手紙を誰かに送る際、蝋で封するためだけに使われるものだ。
だけど私はその火に、手紙の端を近付ける。
火は手紙を焦がし、少しずつ焼いていく。その時、手紙の空白に文字が浮かび上がった。
「……え?」
“一回目じゃない私の娘へ”
思わず燃える手紙の火を素手で叩いて消した。熱さに火傷するのも構わずに消して、浮かんだ文字をじっと見つめる。今度は燃やさないように気を付けながら、慎重に別の場所を炙るとまた文字が浮かび上がった。
“こら! 燃やそうとしたでしょ!
全部あなた宛なんだから、変なこと考えないの!”
「怒られ、ちゃった」
目の前が滲んだ。世界がぼやけて、なにもわからなくなる。
目を擦ったら濡れていたから、そこでようやく私は泣いているのだと気付いた。
また別の場所を炙る。
“まったくもう。この手紙が届いてる時点で、あなたは私の娘なのよ。”
「ふふ、ふふふ」
浮き上がった文字を読んで、またぽろぽろと涙がこぼれていく。
なんでもお見通しなのね。お母様。
泣きながら笑って、焦げた手紙を抱きしめた。
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