第11話

 


 カティアさんに言われた通り、部屋中を確認したら、本当にあちこちに色んな物が置いてあった。

 歯ブラシとコップ、タオル以外にも、櫛、歯磨き粉、替えのシーツ、冬用の毛布、それから、一番驚いたのは化粧品だ。


 占術師は人々の偶像である。つまり、着飾ったり化粧をして自分を美しく魅せることは必要なことのうちのひとつなのだろう。


 洗面台の戸棚に納まる、化粧を落とす為の洗顔用の石鹸と、化粧水、それから口紅と頬紅、そして、香水が入った小さな小瓶。

 量は少ないけど、デイジーの香りが爽やかだった。


 ……とても、嗅ぎ覚えのある香り。学園に来た翌日から下女が付けていた香水だ。この口紅も、頬紅も。使っていた化粧水もなにもかも。あの下女が使っていた。


 あの女は本当に、なんというか。うん。もういい。これ以上思い出したら腹の中で何かが渦巻きそうな気がする。

 これは多分、苛立ち、なんだろうけど今は不必要だ。


 それから、改めてカティアさんから貰った紙袋の中を確認すると、暫くはこれで問題なく生活出来るくらいには衣服が入っていた。

 その中にもまた、どこか見覚えのある服があったけど、考えないことにした。


 なるべく早く、新しいものを揃えてしまおうと思う。なんだか、全部にあの女を思い出して気が滅入る気がするから。

 それに、これは借り物だ。次に必要な人の為にも早く返せるなら返したい。

 自分だけの物を手に入れるためにも。


 ぼんやりと、なんて傲慢な考えだ、と思う。

 それでも、生きる為に必要ならそれを受け入れなくちゃならない。

 そうしなきゃ私は、また逆戻りしてしまう。それだけはダメだ。

 私は、もうあの頃の私には戻りたくない。


 そう強く思おうとする心が、何故かぼんやりとしているのは、やはり、全てが麻痺しているからなのだろう。



「いらっしゃませ。ようこそ、……あ、昨日のお客様ですね。お待ちしておりました」


 店内に足を踏み入れると、昨日よりも静かな店内のカウンターから、昨日と同じ女性店員さんが声を掛けてきた。


「こちらこそ、時間を取らせてごめんなさい」

「いえいえ。さっそくですが、こちらへどうぞ」


 そう言われて案内されたのは、落ち着いた雰囲気の応接室だった。

 ソファへ腰掛けながら周囲を見回していると、店員が小さなトレーをテーブルの中央へと置く。


「換金する予定の指輪は、こちらで間違いございませんか?」


 そんな問いかけで、トレーの中に置かれていた指輪を見つめた。

 大きな赤い宝石がついた、蔦のような装飾の指輪だ。

 家政婦長に渡された時は時間が無くて、ちょっとだけしか見ていられなかったけど、その指輪であるように思う。


「はい、他に指輪はなかったでしょうし……」

「そうですか……、でしたら大変申し上げにくいことなのですが、こちらは当店では換金出来ません」

「……え……」


 血の気が下がる。息が詰まる。

 次の手を考えなければならないのに、頭が働いてくれない。


「ですので……」

「ま、待ってください。いったい何が問題なのですか。それとも私がなにか」


 動揺からか、店員の口を挟むように声を出してしまった。

 私の様子に気付いた店員が、何故か優しく笑う。


「どうか誤解なさらないでください。指輪にもお客様にも何も問題ございません」


 店員の、なんでもないような様子に少し冷静になった。


「……では、なにが原因なのです?」

「ご存知ないと思いますが、実はこの指輪はですね」

「……はい」


 問題ないはずなのに、換金が出来ないなんて、いったいどういうことなんだろう。ぐるぐると腹の中を何かが回っているような不快感を押し殺しながら、じっと見つめた。

 

「簡単に説明しますと、銀行口座の証明書なんです」

「……え?」


 銀行口座……?


「通帳でもありますね。ですので、売却や換金などの流通が禁止された魔道具なんです」

「そんな……」


 だとすれば、どうやってお金を用意すればいいんだろう。

 銀行口座は本人じゃないとダメだから、もし口座にお金があったって私じゃ引き出せない。

 こうなるとやっぱりレンタル制度を利用するしかなさそうだ。


 そんな私に、店員はまったく気にした様子もなく、指輪を見せてくる。


「ほら、この石の裏の所、見てください。魔法陣が刻まれてますでしょう?」

「……そう、ですね」


 これが銀行で作られた魔道具っていう証拠なんですよ、と店員は続けた。

 今の私はそんなのどうでもいいんだけどな、と、考えたその時、店員はにっこりと笑って指輪を置くと、胸ポケットからひとつの封筒を差し出した。


「それから、こちら。先代が4392番の制服と一緒にお預かりしておりましたお手紙です」

「え、……え……?」


 意味がわからなくて、何度も手紙と店員を見てしまった。

 前回は全てあの下女に任せてしまっていたから、手紙があるなんて知らなかった。

 心臓が、少しだけどきどきする。私に向けた手紙なんかじゃないとは思うけど、それでもなんだか、不思議な高揚感がある気がした。


「たまにあるんですよ。こういうこと。ですのでどうかお受け取り下さい」


 目の前に差し出された封筒を、そっと受け取る。封を開けて、中の手紙を取り出した。


“将来の私の娘へ”


 一行目のその言葉に、息が止まりそうになった。


“入学おめでとう。

 これが我が家の伝統なのですって。あなたも自分の子のためにちゃんと働いて引換券と口座のお金を用意するのよ。


 なんで娘だと分かったか、気になる?

 もちろん、宣託の力よ。

 とても苦しい思いをすることになるって出てたから、口座には私が貰ったときよりちょっと多めに入れてるわ。

 宣託の通りなら手紙を書いている今よりも物価が下がっているはずだけど、物価が急に上がる入学から五年後までになんとかしなさいね。

 血縁であれば指輪と魔力で引き出せるはずよ。

 でも、八年は使う口座なんだから、ちゃんと口座を自分の名義に変更しておきなさいね?


 指輪と引換券はちゃんと信頼出来る人に託す予定だけど、問題はその後のあなたの行動次第ね。

 あなたが私の用意したもの全てをちゃんと受け取れるかは分からないけれど、どうか奇跡が起きて、ちゃんと私の子に届きますように。


 願いを込めて。セリーヌより”


 ふと、幼い私が眠りにつく直前に、母が私の頭を優しく撫でながら名を呼んでくれて、嬉しそうに微笑んでいた姿を思い出した。あまりにもぼんやりしていたから夢だとずっと思っていたそれは、もしかすると幼い私の思い出だったのかもしれない。


 そして、それと同じくらいに、とても優しくて、暖かい手紙だった。


「おかあ、さま」


 母の思い出は、私の記憶にはほとんど残っていない。物心つく前に亡くなってしまっていたし、父も兄も、母の遺品なんてひとつも残してくれなかった。ちょっとした思い出話さえも、私の中では呼び名に関することくらいだ。

 だけど、まさかこんなところに遺されていたなんて。


「お客様、どうぞ」

「えっ、あ」


 店員に差し出されたハンカチで、自分が涙を流していることに気付く。

 ぽろぽろとこぼれていく涙を、渡されたハンカチで拭いながら母を想った。


「ありがとう、ございます」


 母の暖かさを思い出した。私のことをちゃんと案じて、幸せを願ってくれていた。

 一度目には知りえなかった事実。本当ならこんな風に感情を揺らがせるのは今後のことを考えてもダメだ。

 だけど、今は、今だけは少し、母を想わせてください。



 

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