第7話
無言になってしまった私を見て、どうやらお姉さんには戸惑っていると思われてしまったらしい。彼女は軽く肩をすくめた後、にっと歯を見せるように笑った。
「まあ、その子はアンタの隣の部屋に居るけど、まったく悪い子じゃないから安心しな。家庭の事情ってヤツさね」
「……はい、わかりました」
「んじゃあ次ね」
納得した私を見て、お姉さんは置いてあった小さな冊子を開いて、あるページを指を差した。
それぞれの項目に様々な時間が書いてある。授業の時間割りとはまた違う、寮で生活する上での最低限必要なことだ。
「朝食、夕食は午前と午後の5時から7時、それ以降は食堂が閉まるから注意しな」
「昼食は学園の食堂を使えばいいんですね」
「そうそう。あ、風呂は各部屋に付いてるけど、大浴場もある。好きな方使うといいよ」
「はい」
大浴場は一度使おうとしたけど、案の定下女のおかげで酷いことになった思い出がある。
男性物の下着を用意されて、その上で大きな声で馬鹿にされたのだっけ。
連れている人間が最悪だと、その時はまったく気付いていなかったあたり私も相当な馬鹿だったのだけど。
「大浴場は午後の7時から10時までだから気を付けるんだよ」
「はい」
知っていることのはずだけど、あんまり覚えてなかったから説明があるのはありがたい。
後で確認するつもりではあるけど、どうせなら説明されずとも覚えていたかった。
それもこれも、学園で過ごした時間が短すぎたのが原因だろうけれど。
「あぁ、それと、長期休暇中の里帰りなんだけど」
「しません」
「……」
きっぱりと言い放つと、お姉さんは何かを察したような顔をしたあと、何も言わずに頷いた。この反応から考えると、同じような生徒はそれなりに居るんだろう。
「……次に、門限は6時までだから気をつけるんだよ。それより後は許可がある時以外減点対象だからね」
「はい」
素直に頷いた。
減点されると成績に響く。
随分前のことだから正直あまり覚えていないけれど、生活態度、授業成績、授業態度が主に評価されて成績が付けられていたような。
その中でも生活態度は重要だった。
占術師というものは人々に癒しや導きを与える存在で居なければならない、という理念のもと、この学園は成り立っている。
つまり、人柄が良くない、または、それを隠すことが出来ないような者は、占術師に相応しくないということになる。世間の人々からすれば、私達は偶像であり娯楽でもある存在なのだから、いくら占術の腕が良くても、イメージの悪い人間に熱狂なんて人々にはさせたくないのが学園や国の本音なのだろう。
今回は落第する気なんて一切無いから、よっぽどのことがない限りは頑張りたい。
むしろ私は、今後誰よりも良い成績を残して、兄と父にすら手が届かない存在になるべきだろう。
そうでもしなければ、私は。……私は?
「さぁて、説明はこんなもんかね。他の細かい説明はこの冊子に書いてあるから確認するように」
「はい」
思考はお姉さんの言葉で中断されてしまった。……何を考えようとしていたのだっけ。
ちゃんと考えて、ちゃんと気付いた方が良いのだろうけど、今の私には、その余裕は無さそうだ。
「じゃあ、学園へようこそ、セリーヌ。卒業まで宜しくね」
冊子を渡されたついでに、握手を促された。そっと手を握ると、予想よりも強い力でぎゅっと握られる。快活な笑顔が眩しくて、何度も瞬きをしてしまった。
「……宜しく、お願いいたします、カティアさん」
それでも、私は笑った。作り笑顔だけど、それが人付き合いには必要だから。
目標も無い。やりたいこともない。だけど。
今度は、今回は。生きるのだ。
二つの鍵を手に階段を登る。ふと、誰かが居ることに気付いた。
「あっ、来た!」
「えっ?」
聞き覚えのある声だった。
「アナタがボクの同室予定だった子デショ?」
「えっと」
階段の踊り場、黒髪の少女。窓から差し込む光が眩しくて、なんだか涙が出てしまいそうなほど懐かしい景色だった。
出そうな気がしただけで、まったく出なかったのはきっと私の感情が麻痺しているせいなのだろう。
「ボクはメイリン! 星清国から来たんダ!」
独特の訛り。明るい笑顔。
懐かしい彼女の姿を目に焼き付ける。
細くて少し吊り上がった目。猫と狐を足して割ったような、そんな可愛らしい顔立ちの、小さな女の子。
「セイシン国……? 私はフローラテイア王国から来たの。セリーヌよ」
「じゃあ国もお隣さんだネ! よろしくセリーヌ!」
「うん、よろしくね、メイリン」
かつての友人。ほんの少しの間しか一緒に居られなかったけれど、私の友人になってくれた大事な人。
星清国。フローラテイア王国の隣に位置する山岳国家。星舞いという占術が盛んな国で、そして、今から五年後、火山の噴火で滅亡してしまう国。
彼女は、どうしても外せない用で仕方なく帰国したその日に、噴火に巻き込まれて死んだ。
私は、ずっと手紙を送ってくれていた彼女の訃報を地下牢で聞かされた。
心の支えにしていたのだ。ときどき届く彼女の手紙は、私にとって一筋の光だったから。
本当に救われていたのだ。暗く冷たい牢の中で、命の灯火を消したくなるくらいの絶望から。
だから、今度は。
今回は、私があなたを救うわ、メイリン。
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