第6話
「お嬢様、お荷物は本当にこれだけですか?」
「えぇ」
そんなふうに、どこか心配そうな顔の家政婦長から小さなトランクをひとつ受け取る。
このトランクの中には母の形見のドレスや宝飾品が入っているが、これは家政婦長が渡してくれたもので、それ以外に私は何も持っていなかった。
ボロ切れみたいな服ばかりで、持っていくのも躊躇うようなものだけが私の私物だったから。
「……これ、本当に持っていってもいいの?」
そんな今日は、書類を書いた次の日で、出発の日だ。
本来、普通の貴族はもっと何日も時間をかけて準備をするらしい、とは家政婦長から聞いたが、私にそんな時間が与えられる訳もなく、過去同様、所持金なんて一切無い状態で外に放り出されていた。
「はい。生前奥様より『娘が学園入りする際に』とお預かりしておりましたから。それから……こちら、学園の制服引換券です」
手渡されたそれは、見覚えのあるものだ。
これが無ければ、あの頃の私は学園で唯一の私服の生徒になる所だった。
懐かしいそれをじっと見て、あの時のようにそっとポケットへ入れた。
「こちらもライラック様がお嬢様の為にご用意されていたものですので、どうぞご活用ください」
「……ありがとう……」
あの時はこんな風に見送られなかった。
今日だったあの日、家政婦長が持って来たこれらは、あの下女によって父と兄に知らされたから。
宝飾品は奪われ、ドレスに至っては私の目の前で燃やされた。
赤々と燃える暖炉に、下卑た笑みを浮かべながらドレスを放り込む父と兄の姿は、もはや悪鬼のようにさえ見えた。
ポケットの中に入れていたから制服引換券だけは無事だったが、それ以外にはもう何も残されていなくて。
……それでもあの人たちに愛されたかったなんて、本当に救えない。
今はもう、何も感じないのだけど。
「……ところで、本当に侍女をお付けしなくても宜しいので?」
「いらないわ」
「そうですか……」
残念そうな顔をして引き下がる家政婦長を一瞥だけする。
以前のことを考えると、誰も連れたくなかった。
前の時はあの下女が私の侍女として付けられたから、不安感しかなかったのだ。
もしもあの下女じゃない人が付けられたとしても、その人もきっと父と兄の味方だろう。だったらもういっそ、誰も連れない方が良い。
「それでは、いってらっしゃいませ」
「えぇ、行ってくるわ」
家政婦長に見送られながら、港へ向かう馬車に乗り込む。この景色は何も変わらない。過去と同じだ。
……こうやって以前の時のと違いを逐一考えてしまうのは、学園に行く時と、過ごした一瞬がとても輝いて見えたからなのかもしれない。
そうして到着した港から、魔法石が動力の魔導定期船を使って学園へと向かう。今回は誰も連れていないから、とても穏やかで、静かだ。
過去での船旅は、正直、嫌な思い出でしかない。手癖が悪かったあの下女が他の客の物を盗んで、それが見付かったら私のせいにされたり、本当に酷かった。だけど今回はそれが無い。
そんな平和な船旅は一時間程度。当時はとても長く感じ、早く終われと願った乗船時間も、景色を見ていればあっという間だ。太陽の光に反射した海はキラキラして、普通に見ればとても綺麗なのだろう。
……特になにも思えなかったけれど。
やはり私の感覚は、感情ごと消失しているようだった。
微かにだけ動く感情があるとすれば、面倒、とか、鬱陶しいとか、そういった感情のような気がする。
それはそれで特に害は無いから、別に構わないんだけれど。
マリンフォード学園は、元々孤島を利用した軍事施設だったらしい。
とはいえ戦争は五百年前に終結しているから、今はそれを利用して造られた学園都市だ。
様々な占術士を輩出した、名門中の名門。
そんな学園に、私は二度目の入学を果たす。
港も、門も通路も、どことなく懐かしく感じた。ただ、涙が出るほど嬉しいとか、そういうのは全くない。
ぼんやりと“自分が居た”ことを思い出しただけだ。
かすかに覚えている道を歩けば、あっという間に女子寮へ辿り着いた。
そのまま鉄の門をくぐり抜け、玄関を開けたらすぐそばにある事務室の小窓へと声をかける。
「すみません」
「新入生かい? 書類は?」
すぐに小窓が開いて、恰幅の良いお姉さんが顔を見せたので、促されるまま書類を渡す。
「はい、こちらです」
「…………たしかに。アタシは寮母のカティアだよ。アンタは……ええと、……セリーヌだね。アンタの部屋は二階の角、210号室、一人部屋だ」
書類と引き換えに、部屋の鍵を二つ渡された。
どこでその呼び名が分かったのだろうかと思ったが、よく考えなくても書類からだろう。
そんなことを考えながら受け取った二つの鍵を見つめる。……二つ?
「……一人部屋、ですか?」
「うん。アンタの同室で入寮予定だった子が相部屋は嫌だとゴネてね。そういうこともあるから気にしなくていい。まぁ、部屋は余ってるから問題ないさ。その鍵は予備にしといてくれるとこっちも助かる」
「そう、ですか」
これは、ええと。たしか、そうだ、あの時もそうだった。
記憶が遠いから思い出すのに少し時間がかかってしまったが、そういえば私は二人部屋を一人で使っていたのだ。本当に、ほんの少しの間だけだったけれど。
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