第5話
そうやって下女を追い出したあと、家政婦長から父に呼び出しを受けていると知らされた。
あの頃の私は、入学が認められたことによって、もしかしたら褒められるかもしれない、もしかしたらなにかが変わるかもしれない、……なんて変に期待して、そして、変わらない現状に落胆した。
……今考えると期待してばかりで、本当に滑稽だ。
だって自分のことしか考えていないのだから。
あの男たちも、そして、私も。
あの頃の私は一体何に期待していたんだろう。
家族だから? 血が繋がっているから?
絵本の中のかわいいクマの家族みたいに、普段と違うなにかが私に起きれば、無条件で愛されるとでも思っていたのかもしれない。
勝手に期待して勝手に落ちこんで、馬鹿みたいに愛を欲しがっていた自分が、酷く幼く思える。
……実際に幼かったとはいえ、死んだ私からすればどうしてもそう感じてしまうのだ。
どれだけ望んだって手に入るものじゃなかった。努力もさせて貰えない環境で出来ることなんてたかが知れている。私は何も出来なかった。
地下室で何回か冬を越えたけど、日付けまでは数えられなかったから死んだ時の正確な年齢は分からない。だけど、多分18か19くらいだったと思う。
あの当時は病気をしたり、怪我したり、血を流しすぎたりで本当に苦しかった。
でも、これからは違う。
学んで、知って、考えて、行動出来る。
自分が変わる為にも、この先を変える為にも。
父と兄がよく私を呼び出していた、なんの為の部屋なのか分からない部屋の重いドアが開かれてすぐ、声を掛けられた。
「マリンフォード学園から連絡が来たそうだな」
視線を上げるとその先には、堂々とソファに腰掛ける、燃えるような赤毛の男が居た。
父のローザンだ。
薔薇の名を冠しているけど、その花のような明るい華やかさは無い。どちらかというと、黒赤色の薔薇の花言葉“嫉妬”というのが似合う、なんとも言えない顔と雰囲気だ。
客観的に見ても父は整った顔立ちをしているのだろうに、その底意地が悪そうな表情が全て台無しにしている。だからこそ、あの頃は目を合わすことすら恐ろしかった。
そして、その反対のソファで寛ぐのは兄のサリオン。まるで父をそのまま子供にしたような容姿なのに、何をしていても品のある父とは違い、兄の品性はどこかへ消えてしまっているらしい。粗野な動作で腕を組みながら、奴は私を睨みつけている。
兄との思い出というと、暴言を吐かれ、殴られ、蹴られ、髪を引っ張られ、池に落とされ、首を絞められたこと。そして、口に出すのも憚られるような辱めを受けたことしかない。
兄にとって私は、何をしてもいい人形だった。
父そっくりの顔を怒りで歪めながら、兄は声を荒らげた。
「……聞いているのか、お父様がわざわざお前なんかに話しかけているんだぞ!?」
この怒鳴り声が怖くて、本当に嫌いだった。
どうしてだろう。二人の何もかもが全く怖く感じない。
それよりももっと怖いものを知ってしまったからなのだろうか。
人々の怒号、糾弾する声。全身の骨が砕けてしまいそうな痛み。そして、思い出したくもない、死の瞬間。
死ぬのは本当に怖かった。全てを間違えながら生きてしまったから、何もかもに後悔しかなくて。
もっと色々と出来たはずだった。そんな中で、自分という存在が消えていく恐怖は、なににも例えようがないくらい、恐ろしかった。寂しかった。悲しかった。
だから、もしもこの生がやり直せる機会であるのなら、私は。
「まさかとは思うが、断ろうなどと思うなよ。あまりにも体裁が悪過ぎる。どうせなら入学し、落第してから辞めてこい」
あまりにも冷たい声で思考が途切れた。
随分な言いようだが、この男はそれが本当に出来ると思っているのだろうか。
それはそれで体裁が悪いだろうに。
「……なぜ黙っている?」
「いえ、入学をお許しになるんですか」
「ふん、お前のような出来損ないでも、学園からの指名入学は拒否出来んからな」
それが分かっていて、なぜ落第させようとするのだろう。
……本当に頭の悪い男だ。
今になってようやく、この男たちの愚かさがよく見える。
その時兄が、下卑た顔でこちらを見た。
「お前みたいなバカじゃ、あの名門学園で生活出来る訳ないからな。早く落ちこぼれて来いよ」
こいつはこいつで何も考えてないのがよく分かる。
少し考えれば、この男たちがどれほど意味不明なことを言っているのか理解出来た。
学園は、確かに甘い所ではない。だからこそ、入学許可が出るのは名誉なことであるはずだ。
それをわざわざ自分から捨ててくるように行動させようとするなんて、家門がどう思われようと構わないとしか思えない。
あの時は分からなかったけれど……、この男、父の目的は。
「おい、おまえ、なに黙ってる!」
「……いえ、善処致します」
頭が悪そうな声が響く。それに答えた瞬間に、私を堂々と見下しながら、ふん、と鼻白む兄。それは嫉妬と優越感と傲慢さが透けて見えているようだった。
臆病で従順で、愚かなあの頃の私なら、宣託の力を発現しなかったとしても、きっと言われた通りに過ごして落第したのだろう。
しかし有難いことに、学園は全寮制だ。
つまり、私が二度とここに帰って来なくても、なんら支障がないということ。
「……では、お兄様、お父様、ごきげんよう」
彼らにとってはこれまで通りに、私にとっては昔みたいに。
そうやってわざとらしく媚びるように笑ったら、男たちはどこか満足げに顔を歪めた。それを一瞥し、退室する。
次に見た時、この人たちは一体どうなっているんだろう。
そんなの、もうどうでもいいことだけれど。
出来ればもう二度と、顔すらも見ないでいられますように。そんな風に思いながら、歩き出したのだった。
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