落とし穴

 本当に伊緒楽はダックスバックに来なくなった。

 まだ三日しか経っていない。しかし三日というのは永遠にも似た年月だ。なにせ伊緒楽は、もうあんな店には行かない、と言っていたのだから。


「オリーブとツナのパニーニに、ポテト……それから、スプライト……持ち帰りto goで」


 カウンターの前で俯いて、アレックスは力なくオーダーをする。

 何が悪かったのか、何が伊緒楽の癇に障ったのかを考えると、とにかく何もかもが悪かったような気がしてくる。

 食べるところを見ようと追いかけ回したことがよくなくて、彼女がその日食べそうなメニューを予想して頼むなんて気持ち悪かったし、伊緒楽と喋れることに舞い上がって何でもぼろぼろ正直に話したのもぜんぜんダメだった。変なことをして気を引いて、伊緒楽が気にかけてくれたと勘違いしたのだ。

 伊緒楽と自分は違う。

 あっちは『中庭』を守る立派な魔法使いだが、アレックスは『ゴミ捨て場』を這いずり回ってゴミを拾うことしかできない、自分では何も生み出せない無力なガキに過ぎない。

 そういうことを、伊緒楽にも思われているような気がしてきて、辛かった。


「今日も来ねえみたいだな、伊緒楽のやつ」

「……うん。紙袋代払うよ」


 何気ないディブロの言葉に暗鬱に答えて、アレックスはポケットを探る。


「いらねえよ。すっかりしょげちまいやがって」

「でも、伊緒楽がこの店に来なくなったのはさ……」

「そういうこともある。ほら」


 手際よく紙袋に商品が詰め込まれて、カウンターの上に置かれる。アレックスは代わりにコインを差し出したが、ディブロは首を横に振った。


「今日は、俺の奢りにしておいてやる」

「え?」


 目を瞬かせ、アレックスは顔を上げる。


「もう、無理して魔法使いを追いかけなくたっていい。

 この店に来ねえんじゃ、お前にゃ探すのも難しいだろうからな。お疲れ様ってやつだ」

「……」


 紙袋を受け取ってディブロの笑顔を見上げ、少しのあいだ言い返す言葉を考えていたが、何も出てこなかった。

 ただ、見つけるあてもないのに持ち帰りにしてしまったな、と思いながら、店で食べるわけにも行かずに踵を返した。



 どうにも食欲が湧かず、しばらくあてもなく『ゴミ捨て場』をぶらぶらとさまよった。

 パニーニやポテトは冷めないうちの方が美味しいし、スプライトは炭酸が抜けないうちに飲む方が美味しい。そんなことはアレックスも知っている。

 ただ、ここしばらくは冷めた食事とぬるい飲み物しか飲んでいなかった。もちろん、伊緒楽を追いかけ回していたからだ。


(何してたんだろう)


 今ごろ、伊緒楽は別の店で昼食を買って、どこかでひとりで食べているのだろう。

 彼女は魔法使いだから、いくら時間が経ってもできたてみたいな食事をとっているかもしれない。そう思うと、なおさらむなしくなってくる。

 だというのに、視線は伊緒楽を探していた。


 ビルの上や上空、あるいは『中庭』の壁の近く。どこにも姿はない。

 この前のように低空を『鯨』が通って警報が鳴れば見つけられるのだが、少なくともこの三日は気配ひとつしなかった。


(だいいち、見つけたって仕方ないんだ)


 自分に言い聞かせて、アレックスは紙袋を抱える腕に力を込める。伊緒楽の言う通り、見つけて捕まえても、食べさせる方法が思いつかなかったらどうしようもない。

 すっぱり、諦めた方がいい。そう思っても、目は勝手に伊緒楽を探している。

 そうやって、上ばかり見ていたのがよくなかったのだろう。

 ずるり、と足が滑った。

『ゴミ捨て場』の地面は、無数のゴミが堆積して形作られている。ところによっては折れた傘の骨なんかが突き出していたり、穴の上にゴミが被さっているだけだったりして、下を見て歩かないと危険な場所もある。

 アレックスが引っかかったのは穴の方だった。紙袋を片腕に抱えたまま、慌てて手を突っ張り、落ちてしまわないように踏ん張る。

 ブリキのおもちゃとハンディマッサージャーのあいだに腕が突っ込まれ、何とか穴の途中で落下は途中で止まった。


「……シッ!」


 だが、胸を撫で下ろして這い上がろうとする前に、下から聞こえた声にぴたりと動きを止める。

 それは、不意に聞こえた鋭い息遣いに驚いたばかりではない。


「問題ない。ゴミが落ちてきただけだ」

「ったく、嫌になるな。どこもかしこもゴミだらけだ」


 最初の声も、うんざりと応じる声も、どちらも聞き覚えのある声だった。


「もう少しの辛抱さ……それで、結局アレックスの方はダメだったんだな?」

「最初から期待はしてねえよ。

 ほだされて、弱点でも分からねえかと思ったが、店に来なくなっちまった。警戒されたのかもしれん」


 ディブロだ。

 ぎくり、と心臓が跳ね上がる。どうしてディブロたちが自分の話を?

 いや、違う。これはたぶん、アレックスの話ではない。


「どうせ、次の『鯨』が来れば全部仕舞いだよ」

「通用するのか?」

「魔法使いったって、別に万能でも無敵でもない。横からミサイルで吹っ飛ばされれば、さすがにひとたまりもねえさ」


 ディブロの言葉に、何人かの笑い声が続く。

 頭が真っ白になっていた。


(なんで?)


 伊緒楽は、魔法使いは『中庭』の英雄だ。

 かれらがいるから『鯨』に怯える必要のない生活が手に入った。だから『中庭』の人々はみんな魔法使いに感謝していて、ダックスバックでも伊緒楽は代金を支払う必要がない。そのはずだった。

 気がつけば、アレックスは腕を引き抜いて、穴を滑り落ちている。


「アレックス!?」


 見つかるかもしれないだの、見つかったらどうなるだの、そもそも下に落ちたら怪我をするかもしれないだの、考えることもできなかった。

 地下にはちょっとした空間ができていた。自然にできたものなのか、意図的に広げられたものなのかは分からない。アレックスが滑り落ちた場所とは反対側、壁際に、彼らが言っていた『ミサイル』らしきものが置かれているのが見える。


「お前、どこから聞いてた!」

「なんで!」


 背後から取り押さえられ、地面に組み伏せられながら、アレックスは声を張り上げる。


「なんで伊緒楽を殺すんだよ! 魔法使いがいなかったら、『鯨』のせいでたくさん人が死ぬんだぞ!」

「いいんだよ、それで」


 大きなため息交じりにディブロが言った。


「低い『鯨』が無事に『中庭』を通り抜けてくれなきゃ、俺たちは困るんだ。

 高空を通る個体には、今のところ届かないからな」

「魔法使いが『中庭』の例外であるように、『鯨』もまた例外だ。

 奴らだけが、この立方体を通り抜け、外に出ることができる。

 俺たちは『鯨』に乗って、このゴミまみれの世界から抜け出す。そういう計画なんだよ」


 ディブロたちの話は、アレックスにはひとつも理解できなかった。

 言っていることは分かる。だが、受け入れられるわけはない。伊緒楽を殺して、そのあと『ゴミ捨て場』の住人たちが何人死んでも、だれが死んでも構わない。そう言っているのだ。


「伊緒楽を殺したって、ほかの魔法使いが……」

「この辺りを受け持っているのはあの女だけだ。ちょっとでも隙があればそれでいい。

 ……なあ、アレックス」


 眼前に屈みこみ、ディブロが猫なで声を出す。


「お前は、『ゴミ捨て場』生まれだから分からないかもしれねえがな。

 こんな場所に、あんな化け物と死ぬまで生き続けるなんて、俺たちには堪えられねえのよ。

 お前も、俺たちと一緒に来れば分かる。

 ゴミまみれの地面を歩く必要も、流れ着くものの中から食えるものをより分ける必要も、魔法使いの顔色を伺う必要もない。俺たちと一緒に『鯨』に乗りゃあ……」

「いやだ!」

「なら、仕方ねえな」


 頭に押し当てられたものがなんなのかぐらい、アレックスにも分かる。


(なんて驚くぐらいお約束で、陳腐なやり取りだろう)


 そうどこか遠くで思っても、全身をビリビリと痺れが走り抜け、身体が強張る。

 死ぬ。

 頭の中にその言葉だけが浮かんで、アレックスはぎゅっと目を閉じた。

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