ストーク
アレックスはその日から、ダックスバックでは食事を持ち帰ることに決めた。
『鯨』を駆除する代わりに『ゴミ捨て場』でのあらゆる支払いを免除されている魔法使いたちと違って、ただのゴミ拾いであるアレックスには手痛い出費だったが、そんなことよりも「魔法使いの秘密」を探ることのほうがずっと大事だ。
もっとも、そうしたところでアレックスに伊緒楽が捕まえられるかと言われれば、そんなわけはなかった。まず一息に移動できる距離がまったく違うのだから、追いかけていることが分かればすぐに撒かれてしまう。
伊緒楽が食事を摂るいつもの場所を割り出せればとも思ったが、それは追いかける以上に難しい。そもそも、毎回同じところで食べているという確証もないのである。
そういうわけで、すでに二週間ほどをアレックスはただただ伊緒楽に逃げられて過ごしていた。追いかけられることに慣れてきたのか飽きてきたのか、もう声をかけるどころかめったに視線も合わせてくれない。
「チキンとレタスのパニーニにポテト、……あとスプライト。
「何だアレックス、お前、まだ諦めてなかったのか?」
「ずいぶん金持ちになったもんだな!」
「魔法使いのことなんかほっときゃいいのに」
店の常連が、笑いながら声をかけてくるのを睨みつけてから、アレックスはポケットからコインを取り出してばらばらとカウンターに置くと、渋い顔をした。
ゴミ拾いの仕事は、アレックスのような子供にもできる仕事ではあるけれど、稼げる量は大したことはない。もちろん、金になる珍しいものを見つけられれば一気に金が手に入ることもあるし、コインそのものを見つけられればそれだけ収入になる。
ただ、大人が組んで数人で行動したほうがずっと儲かるはずだ。重いものを運搬できるし、何より大人たちの中には壊れた機械を修理できる技術を持ったものもいる。アレックスには、そんな技術も知識もない。この調子だと、そのうち一日ごとに食事を抜かなければならなくなるかもしれない。
伊緒楽は常連とは言え、毎日ダックスバックに来るわけではないから、いない日が分かればその時は店内で食べるのだが。
「はい、まいど」
「……あれっ」
ディブロが紙袋(何も書かれていない)を置いて、代わりにカウンターに置かれたコインを何枚か拾い上げる。その量は、壁にかかったホワイトボードに書かれた今日の持ち帰りの値段よりも明らかに少ない。
「今日も伊緒楽を追いかけるんだろ」
「そうだけど」
声をひそめて話しかけてくるディブロに、アレックスはつられて小声で返しながら、店内を見回した。自分だけこっそりと値引きされているのを周りの常連に知られたら、なにを言われるか分からない。
「まあ、伊緒楽のことをお前に話したのは俺だからな、これぐらいの協力はするさ」
「ディブロ……」
「で、どうなんだ。いけそうなのか?」
「それは、まあ」
促され、カウンターに残ったコインを集めてポケットに入れながら、アレックスは言葉を濁す。
それで、おおむねのところを察したのだろう。ディブロは快活に笑った。
「もし分かったら教えてくれよ。その代金と思ってくれ」
「……うん」
背後から、扉の開く音。
振り返ると目が合う。いつもと変わりない、そばかすに大きい眼鏡、白衣にジーンズ、それからブーツ。
挑むような気持ちでアレックスが道を譲ると、伊緒楽は俯いて笑った。
「……頑張るよな、実際」
また別の日。
体力を使い果たし、紙袋を抱えてへたり込んだアレックスの頭上から、伊緒楽の声が降りかかってくる。いつもはさっさと逃げるくせに、今日はずいぶん珍しい。
ゴミの山の上に倒れたまま視線だけ持ち上げると、空に棒が浮かんでいるかのように、伊緒楽が見えない何かに足を引っかけてぶら下がっているのが見えた。
「ディブロにいくらもらったんだ?」
「もらってない! あっ、いや」
紙袋代をまけてもらっていることを思い出して、アレックスは目を泳がせる。
伊緒楽は鼻で笑うと、くるりと回って堆積するゴミの上に着地した。ディブロが同じロットの紙袋をいくつか見つけたのか、彼女もアレックスと同じ紙袋を抱えている。
「だいいち、だ」
伊緒楽と一緒に逆さまになっていたのに、指先でつまみ上げられた紙袋は中身のドリンクがこぼれたりソースが染み出したりしている様子はなかった。アレックスの持っている方は少し怪しい。
「追いついたって、私が目の前で食べてみせなきゃ意味ないだろ。
その辺どうよ、無理矢理私に食わせるのか?」
「それは」
「何も考えてなかったな、まったく」
「まずは、追いついてから考えようと思ったんだよ……その鼻で笑うのやめてよ!」
「さて……」
肩をすくめて、伊緒楽はなおも笑い声を漏らす。アレックスは拳を握って唸った。ひとしきり唸ってから、ため息をつく。
「……別に、頼まれたり、金をもらったからってやってるわけじゃない」
「じゃ、何だ?」
眼鏡の向こうから、すがめられた伊緒楽の視線が刺さった。その存外の冷たさに気圧されながらも、アレックスは身を起こす。
「い、伊緒楽みたいになりたいからだよ」
笑われるか、馬鹿にされるか、呆れられるか、そのどれかの反応を予想して身構える。
だが、伊緒楽は黙ったままだった。息苦しく喘いで、アレックスは地べたに尻をつけると、抱えていた紙袋を開く。
「つまり、伊緒楽のことは何でも知りたくて……だから、今日は、海老とアボカドのやつと、飲み物はコーラで、ほら、当たってただろ?……あー」
さんざん走り回って一回転んだせいで、やはりコーラは溢れてパニーニやポテトがびしゃびしゃになっていた。奇跡的にまだ紙袋は破けていないが、時間の問題そうだ。
「……」
伊緒楽はこちらからわずかに視線を逸らして、アレックスより少し手前の地面へ目を落としていた。ダックスバックでアレックスが睨みつけた時のようだったが、今は笑みはない。
気持ち悪がられる、ということもあるかも。アレックスもまた目を泳がせる。
「いや、その……別に、こういうふうに真似していれば『魔法使い』になれるとか、そういうことを考えてるわけじゃなくてさ。ただ……」
「もういい」
こちらの言葉を遮って、つっぱねるようにそう言うと、伊緒楽は踵を返した。
そう思った時には、白衣を翻して宙を舞い、その姿は一足飛びに遠くへ飛んでいる。
「そんなくだらないこと、やめちまえよ。
もう、あんな店行かねえからな!」
声はやはり、遠く離れているにも関わらずすぐ耳元で聞こえて、そして途切れた。
追いかけて、自分の何が悪かったのかを聞かなければ、と立ち上がる頃には、その姿をとっくに見失っている。
アレックスはもはや、呆然とその場に立ち尽くすことしかできない。
紙袋が限界を迎え、中身がすべてゴミの上にぶちまけられた。
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