天使と遭遇(回答①)

 今回のお客様の場合は、依頼人が本人では無くて家族からというケースだ。


 遡ること四十九日前。お客様の甘粕慎二あまかすしんじ様と甘粕絵里あまかすえり様の元へお迎えに向かっていたフタヒロ先輩は、病院の廊下でその息子の怜音れおん君と遭遇した。

 勘の良い怜音君。先輩の存在に気づくと同時に、先輩の目的が自分の両親だと悟った。

 即座に先輩にしがみ付いて、「お願い! 二人を連れていかないで!」と涙ながらに懇願したのだ。


 子ども相手に対価請求というのもどうなのかと、流石にフタヒロ先輩も逡巡したが、続く彼の言葉にやむおえずと判断したらしい。


「僕のせいなんだ。パパとママが事故にあったの。だから……お願いします。妹の凛杏りあんと弟の凛音りおんはまだ小さいから。パパとママが死んじゃったら可哀そう」


「わかった。だが対価が必要だ。お前の大切なものを貰い受けるが構わないか?」


 フタヒロ先輩の言葉に、怜音は深く頷いた。


 という訳で、彼の両親の寿命はあと三十年ほど伸びたのだった。


「三十年も伸ばしてあげたんですか! 太っ腹ですね!」

「だろ。だから今日はたくさん回収しないとな」

「そんな……私じゃ無理です」

「なーに焦ってんだよ。最初からお前に任せるわけねえだろ。俺の後ろでよーっく見ておけ」

「それを先に言ってくださいよ~」

 

 私は一気に心が軽くなった。そっか、最初だから見本を見せてくれるんだわ。良かった。余裕が出て、病院内をきょろきょろしながら歩く。と言っても、実体化していないから、周りからぶつかられないように気を付けて進まないといけないんだけれど、それもフタヒロ先輩の背中に張り付いていたらなんとかなった。


 

 ガラリっと病室を開ける。二人部屋。それもかなり広くて応接セットとかもあって……豪華だな。病院ってこんなに綺麗で居心地良さそうなところなんだ。


 私の勘違いを読み取った先輩、「んなことあるわけないだろう。ここは特別だ」と言ってきた。


 そうか、特別なんだ。


 そう思いながら見回しても、患者らしき姿は見当たらなかった。代わりに、十歳くらいの男の子がちょこんと座っている。ゆるふわウェーブの髪、白くて透ける肌、クルクルと表情豊かな瞳。とても可愛らしい男の子。


「よう、とうちゃんとかあちゃんの具合はどうだ?」


 素早く実体化したフタヒロ先輩。少年を見下ろしながら、ざっくばらんな感じに声を掛けた。


「はい。お陰様で順調です。ありがとうございました」

  

 そう言って礼儀正しく頭を下げた怜音君。


「今ママはリハビリ中。パパは検査に行ってる」と付け加えてきた。


「じゃ、手早く済ませちまおうか」


 その時、フタヒロ先輩の死神用携帯に連絡が入った。「チッ」と舌打ちした先輩、病室の外へと出てしばらく話していたが、戻ってきて私に耳打ちする。


「緊急応援要請だ。この隣の病室にお客様を迎えにいかないといけなくなった。手分けするぞ。こっちは任せた。物をもらうだけで簡単だから」


 え、ええー!

 話が違うじゃ無いですか。見本を見せてくれるんじゃなかったんですか!


 口をパクパクさせるだけで抗議の言葉が出てこない私を放って、「坊、こいつに渡しておいてくれ」と言って右手を挙げると、さっさと出て行ってしまった。


 呆然と見送った私。


 最初に口を開いたのは怜音君のほうだった。足元に転がっている重そうな紙袋を、ずいっと椅子の後ろに移動させると、トコトコと私のところまでやって来た。


「お姉さんも死神なの?」

「うん。今日デビューしたばかりの新人なんだけれどね。カレンです。よろしくね」

「そうなんだ。最初って緊張するよね」

「え、そうね」


 可愛らしい見た目に反して、なんだか場慣れた雰囲気を感じる。


 なんだろう? この妙に落ち着いた感じは。


 微妙な違和感を感じつつも、死神育成校で習ったマニュアルを実践する。相手をリラックスさせるように腰を落とし目線を合わせながら声をかける。


「どうかな。怜音君からは私ってどう見えるのかな?」

「んーっと、紺色のスーツ着ていてOLさんみたい。髪の毛を後ろで一つに結んでいるからきりっとしていてカッコいいよ」


「やだぁ~、もう正直者」


 私の言葉に、微かに眉間に皺が寄ったみたいに見えたけれど……気のせいかな?


「カレンお姉さんも優しい死神さんで良かった~」


 次の瞬間には安堵と感謝に満ちた邪気の無い笑顔を見せてくれた。


 そうだよね。こんな小さな子が一人で死神と対峙するなんて、本当はきっと怖くて仕方なかったんだろうな。えらいな。がんばってるな。


 私はそう思い至って、笑顔を絶やさないようにしようと肝に命じる。

 

「パパとママ、もうすぐ退院できるって。そうしたら凛杏も凛音も喜ぶ。それが凄く嬉しいんだ」

「怜音君は妹弟きょうだい思いなんだね」

「うん。二人とも大好き。スッゴクかわいいんだよ。凛音は三歳で甘えん坊だから、パパとママがいないと寝られなかったんだ。でも、今は僕の手を握って一緒に寝られるようになったんだよ。凛杏は今回のことで、ちょっとお姉さんになったよ。僕の手伝いとかいっぱいしてくれて。だから凄く励まされたんだ」

「そうだったんだ。みんながんばったね」


 キラキラとした瞳で弟と妹のことを語る怜音君は、本当に優しいお兄さんだな。


「パパとママがこんなことになったのは僕のせいなんだ」

「そんなわけないでしょう。煽り運転した後ろの車のせいだからね。自分を責めることなんて無いわ」

「でも……」

 

 急速に曇ってしまった瞳を見て、私の中の何かが猛烈に揺さぶられた。


「怖かったね。もう大丈夫だよ」

「……ありがとう。でも、僕を庇ってパパとママは痛い思いをいっぱいしたし、凛杏と凛音は寂しい思いとか悲しい思いをしたし……僕どうやって償ったらいいのかわからないんだ」


 小さくそう呟くと、大粒の涙をポロポロと零し始めた。

 白い肌を流れ落ちる透明な雫。


 なんて綺麗なんだろう……


「償いなんて……そんなの気にしなくていいんだよ。パパもママも凛杏ちゃんも凛音君も怜音君のこと大好きだからね」


「やっぱりカレンお姉さんって優しいね。ありがとう」

「もう、嬉しいこと言ってくれるわね」


 もう、この子いい子! 可愛いし!


 あまりの健気さにメロメロになってきた。


 どうしよう。こんな無垢な子から対価を貰おうなんて、間違っている気がする。


 そう思った時、意を決したように怜音君が真っ直ぐに見つめてきた。


「大切なモノを対価として払わないといけないってことは知っているんだけれど……僕の大切なモノって、パパとママと凛杏と凛音だから……それはどうしてもあげられないんだ。だからお金がいいのかなって思ったんだけど……僕まだ十歳だから自由になるお金とか無くて」


 そうだよね。当たり前だよ。


「だから、僕の命をあげます。それで赦してください。ママとパパが元気になったら、もう僕が居なくても凛杏も凛音も大丈夫だと思うから」


「な、なにをいきなり言い出すの! そんな必要は無いから!」

「でも、僕あげられる物何もないから」


 必死の様相でそう言う怜音君に見つめられたら、もう対価なんてもらえないって思った。


 フタヒロ先輩、ごめんなさい!

 

「わかった! じゃあ、その上に着ている服頂戴!」

「え!」


 心底驚いたようで、真ん丸の目になった怜音君。自分の上着に目をやった。

 なんの変哲もなさそうな黒のパーカー。


「これでいいの? 本当にこれでいいの?」

「ええ、それでいいわ。寒くなっちゃうけれど、それくらいは我慢しなさいよね」

「うん。わかった。ありがとう。お姉さん、やっぱり凄くいい人だよ」


 広がる天使の微笑。


 ああー、もう、食べたくなっちゃうくらい可愛い。


 幼気な少年を一人守れた満足感で、私の心は晴れやかだった———


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