第7話 歪められた脚本

 百畳敷きの広間には五十人を超える大名が集まっていた。五大老、五奉行はもちろん、武断派の福島、浅野、細川、黒田、東国からは佐竹義宜、真田昌幸、伊達政宗、最上義光、南部信直、西国からは長宗我部元親、蜂須賀家政、九州の島津義弘、鍋島直茂、立花宗茂などの顔も見えた。どの顔を見ても、さすが戦国の世を生き抜いてきただけに、一筋縄ではいかない面構えをしている。だが、その中でも他を圧倒する存在感を示したのは、この会の招聘者である徳川家康だった。


 家康が切り出した議案に対し、最初に口火を切ったのは、なんと豊臣直参の福島正則だった。

「太閤殿下亡き今、秀頼様とお袋様に近づく輩は、天下に野心ありと疑われても仕方なきこと。ここは自連に対して速やかに兵を起こし、豊家の威勢を示すべきである」

 三成は正則の言を聞いて、なんと楽観的なと腹が立った。戦を始める前提として、敵と味方の戦力さを客観的に分析する必要があるのに、今の言には、そのかけらも含まれていないからだ。それでも気を取り直して、他の大名がどう出るか見守った。


「今の福島殿の意見に賛成する。しかし、太閤殿下すら手を焼いた自連に威勢を示すのであれば、総大将には内府殿に成っていただくほかあるまい」

 黒田長政は智勇揃った良将だが、今のような覇者に阿る発言をよくする。誰が聞いてもそれは分かるのだが、話す時点が良くて不思議と皆が賛同する。今回も正則が根拠なく出兵を言い立てのに対し、家康という現時点での最高戦力を引き合いに出して、皆の心に芽生えた不安を吹き飛ばした。


 この組み合わせは絶大な効果を示した。居並ぶ大名たちも口々に自連への出兵に賛意を示す。この場の空気がほぼ出兵に傾きかけたとき、一人の男が立ち上がって異を唱えた。

「さて、兵を動かすと成るとその先には戦があるわけだが、この中には自連の兵器力を知る者はいないのかな。我々が現在主力にしている合金製の矢一つとっても、自連から買うより他に調達手段はない。侵掠戦に限って言えば、何十万という大軍をもってしても、自連の領土を寸分も侵すことはできないと思うが」

 反論したのは真田昌幸だった。真田は信濃の小国ながら、かって昌幸は徳川の大軍を僅かな手勢で撃退した過去を持つ。その実績をもって当代一の用兵巧者として、世間に広くその名を知らしめていた。その昌幸が勝てないと述べると、正則の勇ましい言動に色めいた者たちは、たちまち無言になった。


 更に昌幸の言を肯定する者も現われた。

「ところで自連は本当に天下を狙って、真野太郎を大坂城に送り込んだのか。俺にはどうもそういう風には思えんのだが。もし誤解で攻め込んだりしたら、例え内府が大将となっても、士気が上がった相手に手痛い反撃を食らうぞ」

 首を捻りながらそう言ったのは、朝鮮から帰国したばかりの立花宗茂だった。宗茂も知勇兼備の良将であるが、長政との違いは強者に阿る感情が全くない点だ。別の見方をすれば場の空気を読まないことも多いのだが、この場合は見事に嵌まった。


「うむ。こちらで勝手に言いがかりを付けて攻め入った場合、とんでんなか反撃を食らうことを、わしは朝鮮で知った。ましてや自連は強国と聞く。各々方も己ん首をかくっつもりで臨まれるがよかろう」

 続いて同じく朝鮮帰りの島津義弘が、犬猿の仲である宗茂の言葉に賛同するように言った。精強な兵で知られる島津の猛将の言葉に、好戦派は誰もが何も言えなくなってしまった。


 シーンと静まりかえった広間の空気を切り裂くように、かん高い声が響く。

「いずれにしても、疑惑を齎した元凶には、早く姿を消してもらった方が良かろう。この中から代表を選んで大坂城に行ってもらい、真野太郎に退去を促してはどうか」

 声の主は目立ちたがり屋の伊達政宗だった。発した言葉の裏側に、自分で良ければ使者に立つぞという思いが透けて見える。政宗の伯父にあたる最上義光が、また始まったとばかりに、しらけた風の表情を見せた。


「ふむ、それではわしが皆を代表して大坂まで参ろうかの」

 それまで無言のまま目を閉じて皆の意見を聞いていた家康が、カッと目を開いたと思うと、まるで物見遊山にでも行くかのように代表に名乗りをあげた。その堂々とした態度は、他の者の反論を許さない貫禄を示した。


「そうだ。内府殿にお任せすれば問題あるまい」

 浅野長政の息子幸長が、真っ先に賛意を示すと、誰もが口々に家康に任そうと言い始めたが、武断派の者だけは鋭い目つきで三成を見た。こういう場面で家康に反論し、使者の任に就こうとするのは、三成をおいて他にいないと警戒したからだ。

 しかし、三成は沈黙を守る。少しでも反対すればすぐさま噛みついてやろうと、待ち構えていた諸将はあてが外れて、困惑した表情に変わったが、それならば家康の支持に加わろうと三成から視線を外した。その一部始終を心配そうに見ていた大谷吉継は、ほっとして表情を緩めた。


「みな反対はないようだな。ではわしがこの場に集まった者の代表として、大坂城に乗り込むとする」

 最後を締めた家康の声は、先ほどとは打って変わって力強かった。誰もが、これでこの問題は解決すると、ほっとした表情に変わった。皆泰平に慣れて、本音では戦を嫌っていたのだ。

 家康は、他の五大老の顔を一瞥する。気になっていた前田利家は、身体の調子が悪いのは本当らしく、自分が代表に成るとは言わなかった。毛利輝元は相変わらず何を考えているか分からない表情で、この場では空気と化していた。細かい駆け引きが苦手な上杉景勝は、終始無言でいる。秀吉の縁者と成る宇喜多秀家は、最初から心配そうに周りを窺っていたが、家康が代表に成ることには特に異存は示さなかった。


 続いて視線は三成に移った。

 この企みの脚本を描いた本多正信は、三成の反対を予期して、秘かに武断派に対して三成が何か発言すれば、即座に封殺するように種を蒔いてあった。ところが三成が沈黙したため、その準備は無駄に終わった。武断派の諸将も息巻いていただけに、肩透かしを食らったような顔をした。

 全てが思惑通り運んだにも関わらず、その一点をもって、家康の心に小さな不安が芽生え始めていた。それは戦国武将として、これまで幾多の難関をくぐり抜けることで育てた、危険察知能力の発動だった。



 真野太郎の大坂入りに対策するために、本多正信は京から江戸に向かった。皮肉なことに、今は友野家の運営する大坂と江戸を結ぶ定期便を使えば、京から江戸まで僅か二日の行程で行き来できる。恐るべき蒸気船の力だった。

 江戸に着くなり正信は、徳川経済の全てを管理する大久保慎と面会した。自連のことを聞くなら、駿府で育った慎が最も適している。その場で慎は放っておけば良いと言った。むしろ何かすれば損するばかりで、得することは何もない。戦など仕掛けたからには、僅かな戦闘であっても、大名の一人や二人は死ぬことになると予言した。

 しかし、正信はこの天下取りに大きく近づく好機を逃したくなかった。せっかく敵が失策を犯したのだ。今つけ込まなければ、次はこちらが相当無理することに成る。

 慎は正信の思いを汲んで、自説を曲げていろいろ考えてくれたようだ。その結果生まれたのが、家康の大坂城訪問であった。ここでも慎は注文をつける。この訪問の目的は、太郎を納得させて大坂城から退去させることにある。そのためにはくれぐれも太郎に対し、威圧的な態度で接さぬようにと注文した。


 正信は慎と共に練り上げた計画を土産に帰京した。すぐさま家康と今回の対処方法について協議に入る。ここで正信は非情に徹することができなかった。本来家康は利を説けば途方もない忍耐ができる男だ。慎の注文を素直に伝えれば、不本意であっても異を唱えることはない。ところが正信は家康に向かって、淀殿と太郎に対し圧倒的な貫禄で、威圧するように指示してしまった。

 正信にとって家康は主であると同時に、かけがえのない友であった。自分の信念から一時は徳川家を去ったにも関わらず、快く許して重用してくれた恩もある。振り返ってみれば、これまで家康の前には、今川義元、織田信長、豊臣秀吉と常に強大で忍従を強いる相手が立ち塞がっていた。ようやく天下に家康よりも強い相手がいなくなったのだ。まだ家康に我慢しろと正信は言えなかった。


 家康は正信から威圧を指示されたとき、僅かではあるが違和感を感じた。これまで被ってきた律儀者の仮面を、ここで取り去ってもいいものか迷いが生じたからだ。だが相手は戦場に立ったこともない女子と、まだ二五才の経験の少ない若造だ。いくら真野勝悟の息子といえども、自分が貫禄負けするなど露ほども考えなかった。

 さらに真野太郎は、武田の血を正統に受け継ぐ者だった。家康の半生は信玄、勝頼の二代に亘って武田の脅威に常に晒されてきた。いつ攻め滅ぼされるか分からない不安と戦いながら、必死で耐え続けてここまで来た。あの当時の不安を思えば、小牧長久手で秀吉の大軍と対峙したことなど、軽いものだと思えた。太郎を圧倒できれば、武田によって植え付けられた劣等感を晴らすことができ、天下人に雄飛する良いきっかけと成るような気がした。


 家康は胸に芽生えた不安を、再び振り払った。その場の者に高らかに閉会を宣言する。

 五奉行は家康と近い浅野長政と、今回は無言を貫いた石田三成を除いて、明らかに悔しそうな表情に変わっていた。自分たちこそ、豊臣政権を担う者と培った誇りが、家康の手に委ねたことによって抹殺されてしまったのだ。それは敵わぬ相手として家康の存在を三人の心の奥底に刻み込んだ。以降、この三人は反発しながらも、どこかで家康を屈服すべき相手として捉えるようになる。


 運命の伏見会議はこうして幕を閉じた

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