第6話 伏見会議

 慶長三年十二月、既に太郎が大坂城に入城してから一月が経過した。豊臣政権の中心となる京の伏見城では、五奉行を始めとして大勢の人が慌ただしく動き回っている。五奉行筆頭の浅野幸長は特に張り切って、自ら先頭に立って南の大手門から本丸にかけての経路を確認している。

 前田玄以は諸大名が集まる百畳敷きの広間の整備を指揮し、増田長盛と長束正家はどのような質問が来ても対処できるよう、財源、兵糧米、近郊ですぐに集結できる兵力などを確認していた。


「先に動かれましたな」

 他の五奉行たちが忙しくしてるのを横目に、物思いに耽る主人に島左近が話しかけた。石田三成は、「うむ」と一言発しただけで、再び思考の人と成る。その姿はあくまでも物静かで慌てる様子は一切なかったので、左近はひとまず安心した。


 島左近は、最後に使えた大和大納言家が当主秀保の急死で断絶してから、多くの大名家からの仕官の誘いを断り続けていた。それは既によわい四十を超え、豊臣秀吉の手により天下が治まりかけていたこともあるが、何よりも左近がこれはと思う魅力的な主君がいなかったことが大きかった。そのうち声をかける者も少なくなり、大和柳生の里で隠者を決め込み、ひっそりと暮らしていた左近の前に、当時秀吉の若手官僚として日の出の勢いの石田三成が現われた。


 当時三成は豊臣の支配国が急拡大する中で、新たに傘下に加わった大名に対して、行政指示を行う立場にあったが、指示する大名たちが全て戦国を生き抜いた強者つわものばかりの中で、例え行政官であっても軍事上の箔をつける必要に迫られていた。しかし行政官として多忙を極める身であるために、なかなか戦場に立つことも適わない。そんな中で目を付けたのが、武人として名高い島左近であった。

 三成は左近を招聘する条件として、当時の秀吉から与えられた水口四万石の内、なんと二万石を知行として与えると申し出た。一方の左近はこの破格な申し出とは別に、石田三成の武将としての危うさに興味を惹かれた。高い知性とそれを活かす機転を持つ男は、義理と潔癖に縛られ、戦人に必要なずるさやふてぶてしさと無縁な存在だった。それでいて秀吉には絶対の忠誠を誓っているから、多少無理なことも強引に進めなければならない。それなのに、誰に頼ることも阿ることもせずに、豊臣家を一人で背負っていこうとしていた。左近はそんな三成のことを気に入ってしまった。俗っぽい言い方をすれば、惚れてしまったのだ。


「在京の主立った大名たちは全て呼ばれた。内府は今日この場で諸大名に対し、己こそ太閤殿下の後を継ぐ者として振る舞うのだろうな」

 黙っていた三成がいきなり語り始めた。いつものことなので、左近も特に相づちを打つなどの反応はしない。三成はこうやって言葉にすることで、自身の考えを纏めているだけなのだ。

「内府は必ず兵をあげる。兵を向ける先は自連だろう。国境まで兵を進めて、そこで和平交渉をして干戈を交える前に軍を退く。大方そういう思案であろう。それであれば我ら五奉行の提案として、朝鮮に派兵した西国大名は兵役を免除、さらには豊臣家直臣も戦には参加せずと条件をつければ良い。それで内府は軍を起こしても面目を失う」

 三成は自分の内に対策がまとまったのか、やっと周囲に対して注意を払い始めた。すぐ隣に立つ左近に対しても、初めて側にいたことを知ったような顔をした。

「左近か。そろそろ大名たちが来る頃かな」

「三成殿、内府は兵を起こしませぬぞ」

 左近が今聞いた三成の分析に異を述べた。三成は不思議そうな顔で訊いた。


「なぜそう思う」

「兵を起こせば少なくとも、自連国境付近までは兵を進めねばならなくなります。連合軍というのは、とかく統制の取りにくいものです。血の気が多くて功名心の強い、例えば福島正則のような男が率いる軍なら、予期せぬ戦闘が始まりかねません」

「確かに正則はそういう性格だが、これまではそういう命令違反はなかった」

「それは太閤殿下の指揮下だったからです。総大将が内府となれば、手柄をあげるための多少の命令違反はするでしょう。形上は正則殿は内府の配下ではないですから」

「その論でいけば危険なのは、豊臣直臣だけであろう。我らが禁じればさすがに内府が声がけした軍に参加はしまい」

「何を言っておられる。甘すぎます。日の本に泰平が訪れて、自分たちの価値が無くなったと、悔しい思いをしたのが武断派の面々です。その証拠に、朝鮮出兵には嬉々として出向いたではございませんか。誰が大将であっても、戦となれば先陣を目指す。そういう人間ですよ」


 三成は左近の見立てに、驚きながらも感心した。こういう武将の心の内は、三成にはよく理解できない。それが災いして、意図せぬままに武断派の怒りを買ったことが、何度もあることを思い出した。

「しかし、前線で小競り合いが生じたとしても、翌日に内府が収めれば良いだけではないか」

「甘いですな。自連の武力、特に射撃力は恐るべき威力と精度を誇ります。下手に仕掛ければ、運が悪ければ大名の一人や二人は死にます。そうなると内府も矛を収められなくなるでしょう」

「それほどなのか」

「はい。内府は隣国だけに、そうした自連の強さをよく知っています」


 三成は再びため息をついた。政治の場に長くいすぎて、兵器技術の進歩にまったく追いついていないことを自覚したからだ。自連の驚異的な工業力を思えば、兵器技術が格段の進歩をしていたとしても不思議ではなかった。

「ではなぜ内府は諸大名を召集したのだ」

 このとき三成は自身が立てた仮定が全て崩れたことで、少し狼狽していた。声の調子が先ほどよりきつくなっている。それを見て左近は、少し声を低くして言った。

「おそらく、諸大名の前で自身が大坂城に乗り込むことを宣言するためでしょう。淀殿の魔の前で真野太郎の退去を約束させれば、豊臣家に最も影響力を持つ者として周囲に認めさせることができます」

「うぐ。では代わってわしが行くべきか」

「おやめなさい。豊臣直臣の者が行ったとしても、淀殿を止めることはできますまい。残念ですが、織田信長の盟友だった内府の言葉だからこそ、効果があるのです」


 左近は役者の差だと言っているのだ。三成は無力感に駆られて、ガクッと肩を落とした。ところが左近は薄らと笑みを浮かべている。不審に思って三成は問い詰めた。

「何を笑っておる。一大事ではないか」

「いや、申し訳ありません。不謹慎でしたな。私はあの自連が天下に対して野心を抱くとは、どうしても思えないんです。その気があれば、太閤殿下が天下を取るのも難しかったと思ってます」

「うむ。それはわしの見立てと同じじゃ。だから太郎の大坂城への逗留は、何か淀殿が仕掛けたと推測しておる」

「となれば、多少天下はざわつきましたが、真野勝悟が大坂城に赴いて、息子を連れ帰ればすむ話じゃないですか。なぜしないんですか? 神の目と呼ばれる男ですよ」

「あっ」


 三成は三度意表を突かれ、今までにはない大声で叫んでしまった。真野勝悟本人が大坂城に乗り込むことは、三成も考えてみた。そのときは、現在の混乱した状況では、暗殺の危険があるから行かないのだとばかり思っていた。しかし、よく考えて見ればあの真野勝悟がそんなことで、行動を左右されるはずはない。自ら足を運ばないのは別の理由があるからだ。


 左近は続けた。

「三成殿は真野太郎を良く知っていると聞いています」

「うむ、わしは何度か駿府に行ったことがあって、太郎が幼き頃から知っておる」

「私は本人に会ったことはないんですがね。真野勝悟が何もしないのは、息子の器量を冷静に測って、大丈夫だと信頼してるからではないですかね。いい成長の機会ぐらいに思っているのかもしれない」

「なるほど、大器の片鱗は昔からあったな。だが、自分が大坂城にいることで、天下が乱れると言われれば、さすがに退去するのではないか」

「そこなんですよ。自連って国は自由を侵されることを最も嫌う国なんでしょう。自連の民は幼いときから学校に通って、その精神をたたき込まれると聞いています。真野勝悟の息子ならば、そこは絶対に譲らないんじゃないかと思うんですが」

「そうか。内府に言われて退去するなど、太郎は承服しないかもしれないな」

「そうなんですよ。実際にどうなるかは分かりませんが、下手すると内府は、とんだ赤っ恥をかかされる目もあるってことです」


 最後は博打だと左近は言ったが、三成はこの男を招聘して良かったと、称賛するような表情を見せた。そこへ増田長盛が急ぎ足で近づいてくる。

「正則が来た。奴が一番乗りだ」

 三成は「承知した」と叫んで、長盛と共に広間に急ぐ。こんなに早く来たと言うことは、左近の見立て通り大方が予想している出兵を思って、先陣のつもりできたのだろう。まったく直臣のくせにと、心の中で舌打ちした。


 広間に入ると正則の他にも、浅野行長、細川忠興、黒田長政など、肥後に戻った加藤清正を除く武断派の面々が既に来ていた。三成の顔を見ると、憎しみが籠もった目で睨み付けてくる。

 その後も続々と大名が集まって来た。そしていよいよ招聘された八割が揃ったところで、家康が現われた。さすがに当代一の戦人と称されるだけあって、他を圧倒する貫禄を見せている。家康はこの会の発起人として、大名たちの集団と向かい合うように座った。三成たち五奉行も集団とは離れ、家康の斜め後ろに腰を下ろした。


 全ての大名が揃ったところで、家康が大音声を上げた。

「ご一同、本日はこの家康の呼びかけに応じて集まっていただき、たいへん感謝しておる。皆と話したいことはただ一つ、自由連合の真野太郎が大坂城に入城した件じゃ」

 家康がそう告げると、広間はシーンと静まりかえった。いよいよ、家康の出した結論が話される。皆、固唾を飲んで次の言葉を待った。

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