第4話 自由への備え

 自連が秀頼支持だと知らしめる形で真野太郎が大阪城に入った。それは徳川家だけではなく、豊臣政権内部にも激震を走らせた。

 慶長三年(一五九八年)十一月、小西行長が朝鮮に出兵した日本軍の殿として帰国し、この戦の総括をするために、行長と五奉行が伏見城に集まった。この中に行長と共に征朝軍の先鋒として働いた加藤清正はいない。秀吉亡き今、石田三成たちに報告義務はないと考えたのか、政情不安を理由に肥後に帰国してしまったからだ。しかしその行為を咎める余裕は五奉行たちにはなかった。今彼らが直面している最も大きな課題は、淀殿秀頼親子と自連が結びつくことで、不安定ながら握っている政治の実権を、奪われないようにすることだった。


「まさか真野太郎を大阪城に送り込むとは、自連に対しどういう考えかすぐにも問いただす必要があるのではないか」

 行長の報告が終了後、太郎の大阪城入りに関して最初に口火を切ったのは増田長盛だった。長盛は秀吉が長浜城主時代からの家臣で、主立った戦には全て参加している。主に外交相手との取次を担当し、上杉、長宗我部、里見などの諸大名を受け持った。また普請でも非凡な才能を発揮し、伏見城の建設や京の三条大橋と五条大橋の改修などに携わってきた。


「愚かな。正面から使者を送って問いただしても、真野太郎の個人的な交流として片付けられ、真意など分かるはずがない」

 浅野長政は鼻で笑いながら長盛の言を否定した。対する長盛は頭から否定されて、苦い表情で長政を睨み付けた。長政は行政手腕だけでなく、秀吉の正室北政所の縁者であることから、形の上では五奉行の筆頭に位置づけられている。家康との関係も良好で、五大老の力を押さえ込もうとする他の四奉行とは対照的に、協調路線を進めようと腐心していた。


「しかし長政殿、他にいい方法がない以上、正攻法でつついて反応を見るのも良いかと思いますが。分析力さえ有れば、何もしないよりは成果があるかと」

 長政の言の否定とならないように、言い回しに気をつけながら、長束正家は長益の案に賛意を示した。正家は算術の技に優れ、豊臣家の金庫番として五奉行の地位に就いたが、元々は丹羽家の家老で、主家の没落の後に秀吉の家臣となった苦労人だ。丹羽家が秀吉にあらぬ嫌疑をかけられ、取り潰しの危機に陥った際は、主家の存続のために尽力した誠実な一面も持つ。


「このまま静観してはどうか。秀頼様が力をつける分には、自連が後ろ盾になることは悪くないと思うが」

 織田信長の家臣の頃から京の行政官を務めている前田玄以は、五人の中では一番穏健派だ。五奉行として政治の実権を握ることに拘りはなく、豊臣家が存続するなら家康が実権を握ることも良しとした。


「石田殿はどう思われる」

 議論が始まってからずっと黙っている三成に、長盛が詰め寄る。

「自連が天下に興味があるとも思えぬが、それを疑わせる行動を太郎がとるのも不可解だ。私が太郎に直接会っても良いが、もうしばらくは全ての動きを見極める意味でも、静観が正解だと思う。しかし気になるのは内府の動き」

 自連がもし政権奪取に動くとすれば、地勢的な位置づけから徳川は関東に孤立しかねない。自連の意図が見えないうちに下手な動きをするよりは、家康がどうするか見てからでも遅くないと、三成は思った。

「もし、内府が自連に簒奪の意思ありとして、兵を挙げたら貴殿たちはどうされる」

 三成の舌鋒は仲間たちに向けられた。長政がすぐさま答える。


「五大老の一人である家康殿が自連を討つと申されるなら、豊臣は総力をあげてお味方するしかあるまい」

「いや、それは止めるべきだ。国内で戦を起こしては、我々は無能だと後世に笑われかねない」

 四人の意見は食い違った。長政は家康につくべきと主張し、玄以は止めるべきだと反対する。正家はどちらにもつかず静観をするべきと説き、長盛もそれに応じて消極的関与を訴えた。

 どうにも収集がつかない中、じっと聞いていた行長が口を挟む。

「正則や清正は内府に従うであろうな」

 行長の正面に座る玄以が、目を見開いて行長を見る。長盛と正家も首を曲げて行長の顔を凝視する。三成は静かに目を閉じた。一瞬訪れた静寂を破るように、長政がゆったりした口調で話し始めた。


「家康殿に従うのは正則や清正だけではあるまい。加藤嘉明、黒田長政、それに我が子幸長も家康殿に従って自連を攻めるだろう。わしが家康殿に従うべきと言ったのは、武断派の面々を止めることはできないと悟ったからだ」

「なぜだ。自連は秀頼殿についておるのだぞ。幼き頃から太閤殿下に引き立てられた者たちが、なぜ内府に力を貸す。そんなことをすれば戦に勝った暁には、内府の力が増すのみではないか」

「内府は戦はせぬ。小田原、甲府、岡崎の三方から自連領に向かって押し寄せるが、国境で軍を止める。しばらく対陣したら、自連に天下簒奪の意思はないと公言して講和する」

 家康の勝利を心配する正家に、三成は戦はないと断言した。

「分からぬ。それでは莫大な戦費が消えるだけでは無いか」

 計算に長けた正家には、示威行動にかかる正確な費用を瞬時にはじいたのだろう。

「戦費の問題ではない。これによって内府の得るものは大きい。少なくとも軍を統べる者として天下に認知される。そして武断派の諸将はこれ以降内府の下風に立つ者となる」

 淡々とした口調の裏で、悔しさが三成の顔に滲み出ていた。



 三十枚の畳が敷き詰められた空間に、びっしりと帳簿が置かれた事務机がロの字型に並べられ、三十人の男女が机の周りに置かれた座布団の上に座って、必死に調べ物をしている。その真ん中に一人の男が立ち上がって、指示を飛ばしていた。

「領内の食糧自給能力はどれだけある」

「今は七割程度ですが、政庁の倉を開けば全領民に対し三年は配給可能です」

「軍の兵糧は?」

「十万の兵に対し一年間食わせるだけの蓄えはあります」

「商い取引率は?」

「南蛮取引が四割、明、呂宋、シャムなどが合わせて四割なので、国内は二割程度です」

 真ん中に立つ男は土屋長安だった。駿府に戻った長安は、すぐに官吏を呼び集め、国内経済の状況について確認を始めたのだ。

 長安は太郎の大阪城入りの報復として、国内取引の全面停止を危惧している。しかし自連の商取引は完全に国外に集中していた。気になるのは食糧不足であるが、それも当面は問題なさそうだ。時間をかけて国外からの調達経路を確保すれば良いだろう。


 ひとまず安心したところに、勝悟と氏真が現われた。

「太郎がえらく苦労をかけているようで、申し訳ない」

 勝悟は長安と向き合うなり、深々と頭を下げて我が子の不明を詫びた。その姿を見て、何も言えない長安に代わって、氏真が答えた。

「まあ良いではないか。自由こそ我が自連の国是だ」

 氏真の言葉に長安が苦笑いする。

「いや責任を果たした上での自由だ。太郎は職責を放り出して好き勝手に行動したのだ。とても支持できることではない」

「お主にしては柔らかさの足りない言葉だな。人とはそういう者であろう。第一、お主が作った学校で育った結果だ。否定しては教育制度が悪いことになるぞ」

 おそらくここに来るまでに何度もやり合ったのだろう。二人とも考えることなくポンポンと言葉が出てくる。


「いや、国はなんとかなる。なんとかするのがわしの仕事だ。それよりも気になるのは太郎の将来だ。このつまづきは、未来の代表に向けて大きな障害になる」

 長安は実の親の勝悟以上に、本気で太郎のことを心配していた。それを見て、勝悟はますます情けない顔に成る。

「重ねてすまぬ。悩みのつきない長安殿に、心配してもらうのは心苦しい。太郎は坊ちゃん育ちだから、親の立場から言えば今度のことはいい経験だと思う。それに太郎が代表を目指す必要はない。道はいくつもあるのだから」

「まあ、何をするのも自由ということだ。いい国ではないか」

 父義元の急死により、無理矢理戦国大名の座につかされた氏真は、羨ましそうな表情を見せた。

 忙しそうに働いていた官吏たちも、今は手を止めて三人の会話に聞き耳を立てている。みな自連の建国の精神に共感して働いている者ばかりだ。この国難を前にして、見方を変えれば呑気に自由について話し合ってる姿を見て、その場にいる全員がこの国で働けることを誇りに思った。


「長安殿、他国との取引を気にしているのなら、その心配はないぞ。今や我が国の合金製の矢がなければ、どこの国も戦に勝てぬ。戦と商いは別次元にあるのだ」

 突然の勝悟の言葉に、さすがの長安もかっと目を開いて叫んだ。

「軍事品の取引を停止せぬのか?」

 当然そうするものだと思っていた長安は、さすがに驚いてしまったようだ。

「なぜ停止する。戦と商いは別物だろう」

「自国の生産物が国を守る兵を傷つけるのだぞ」

「そうなると、商いの自由が保障されなくなる。それこそ建国の志に反してしまうではないか。こういう国だから、高い税を払ってでも商人が集まってくるのではないか」


 ついに長安は口を半開きにして、呆れたように勝悟を見た。その顔を氏真が面白そうに見ている。だが勝悟は大真面目だ。

「そう心配するな。合金製の矢が敵の手に有っても、我が国の防衛にいささかの支障もない。侵掠戦ならともかく、防衛戦ならば我が国の備えは完璧だ。お主が気に病むことは、何一つない。第一、軍からそういう要請はあったのか」

 勝悟に問われて長安はブルブルと首を振る。経済に関しては天才的な長安も、軍事に関してはほぼ素人だ。神の目と謳われる天才軍師に反論できるわけがない。

 氏真がポンと長安の肩を叩く。

「自由を守るためには力が必要だが、力を保つために自由を踏みにじらない。そういう綺麗事を本気でやり遂げようとする。愉快ではないか」

 満面の笑顔で楽しそうに語る氏真を見て、長安だけでなくその場の全員も思わず顔が綻んでいた。

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