第10話 終戦そして帰国

 李莞は伯父が殺された怒りが急速に冷めていくのを感じていた。船首を破壊した敵の武勇の凄まじさを見て、仇を獲る上で何よりも必要なのは、怒りに任せた武勇ではなく、李舜臣に教え込まれた知略と、それを間違いなく行使できる冷静な思考であることに気づいたからだ。

「いいか、敵船の装甲は弱い。火矢を使って船を沈めることを第一とせよ。一点に留まるな。一定の距離をとりながら囲むように展開しろ」

 この艦隊に乗船する兵士は、皆李舜臣に一から海戦をたたき込まれている。今このときの李莞の指揮は、彼らに李舜臣の姿を思い起こさせた。荒ぶる感情を抑え、教え込まれた技術を冷静に駆使する。皆が心を一つにすることで、朝鮮水軍の船団は一匹の蛇のように滑らかな動きで水上を走り、立花軍を包囲しようとした。

 方や立花軍も負けてはいない。朝鮮水軍ほど滑らかに動けないが、強力な矢を適所に打込みながら、敵船の艦隊運動に乱れを起こそうとする。両軍はそれぞれの特徴を活かしながら、互角の攻防を繰り広げるが、やや船数に勝る朝鮮軍が押し気味に進め、立花軍の中に火矢によって沈没する船が出始めていた。


「もらった」

 李莞は立花軍に勝利する確信を得て、思わず大きな声で叫んだ。敵軍の殿を務める宗茂の旗艦に、止めを刺す船を選ぼうとしたとき、伝令が飛び込んできた。

「島津軍追撃中の李彦良将軍が、敵の矢を受けて討死しました」

 報告を受けて、李莞が左の戦場を見ると、囲みを抜けた島津軍に対し、あろうことか明の船団は追撃を諦めて退こうとしていた。今や朝鮮水軍のみが執拗に追い続けている。その追い方も猛追と言えば聞こえがいいが、荒ぶった感情に任せた直線的なもので、朝鮮水軍得意の滑らかな艦隊運動は影を潜めていた。

 李莞は迷った。このまま手を緩めずに絞り上げれば、立花軍に大打撃を与えることが可能だ。しかしその間に左の戦場の朝鮮水軍が、深追いしすぎて全滅するかもしれない。それを止めることができるのは自分だけだ。振り返って西の空を見ると、太陽が後僅かで沈みそうな位置にあった。日没まで残された時間は四半刻か。暗く成れば自分が行っても、無茶な追撃を止めることは難しくなる。判断するのは今しかなかった。


「私はこれから二十隻を率いて、左の戦場に向かう。残った船はこのまま包囲を続け、日没に成ったら軍を退け。いいか絶対に深追いは禁止だ」

 ここで李莞は立花隊の殲滅を断念した。日本軍を打ち破って得る名声よりも、尊敬する伯父が丹精込めて育てた水軍の保全を選んだのだ。李莞の頭の中には、救国の英雄とされた伯父が、つまらない讒言で一兵卒に落とされた姿が浮かんでいた。戦功や名誉など、この国では何の役にも立ちはしない。大事なのは祖国を守り抜く気持ちを、共に持ち続ける仲間の命だ。それは、偉大なる伯父からの最後の教えだった。



 暗い露梁海峡を抜けて巨済島に着いたのは、日没後二刻の時が経った後だった。日没と同時に朝鮮水軍は退き始め、宗茂も囲みから逃れて帰路につくことができた。途中で同じく追撃から逃れた島津軍と合流した。島津義弘の旗艦は、敵の猛攻で微妙に船体を傾けた危うい航行を続けていたが、それでも旗艦を退かないところは、義弘らしいと言えた。


 伏兵の押さえに残した小野鎮幸も、期待した役目を果たし、無事に本隊に合流を果たした。敵は日没と共に再び南海島に去って行ったということだった。

 最後尾を守り抜いた小早川秀包も、ほとんど戦闘していない寺沢広髙と共に、露梁海峡の中域で、宗茂たちが戻って来るのを待っていた。

 宗茂は行長救出作戦で、主立った将の犠牲がなかったことに安堵した。実際、今回の戦は厳しかった。まともな軍船を保有しているのは、宗義智と小早川秀包ぐらいで、後は輸送船をかき集めて軍船に仕立てた臨時水軍である上、相手は明、朝鮮の精鋭部隊だ。多くの船が沈められた中で、将の犠牲が皆無だったことは奇跡に近い。


 巨済島について下船した後、宗茂は激しい睡魔に襲われて、二刻ほど熟睡した。他の将兵も無事を喜び合うような元気はなく、同じように眠りについたようだ。

 目が覚めるとまだ辺りは暗かったが、猛烈に腹が空いていたので、守備兵に頼んで兵糧食をむさぼり食った。干飯が喉を通るたびに、生きて帰ったことを実感した。李莞の攻撃は死を覚悟するほど、無駄のない的確な動きだった。李舜臣を運良く射殺できたから良かったが、李莞の実力が朝鮮水軍の実力とすれば、水軍の力は相手が大きく上回っていると実感した。もし、李舜臣が讒言によって兵卒に落とされていなかったら、日本軍はこの戦で朝鮮の地を踏むことさえ、容易ではなかったと思い知らされた。戦国の世で言えば、暗君に仕えたばかりに、名将が力を発揮できない典型的な例だと思った。


 空腹が治まると再び眠気が襲ってきたので、我慢しないで横になった。慣れない水戦で激しく戦ったせいか、体力はいちじるしく落ちていた。横になるとすぐに、実際にはだいぶ時間は経っていたが、宗茂の感覚的には寝入ったばかりのときに、連貞が叫びながら駆け込んできた。

「殿、小西殿が帰ってきました。皆無事のようです」


 小西行長は、封鎖が解けると、そのまま南方に脱出し、南海島の南岸を大きく迂回して、巨済島を目指したのだと言う。宗茂や義弘の顔を見ると、何度もお礼を繰り返した。救援に向かった他の者も、行長が無事に帰還したことを喜んだ。中でも親友の宗義智は顔を合わせると、互いに抱き合い、涙を流しながらお互いの無事を喜び合った。


 全員が揃ったところで、すぐに軍議となった。結局明と朝鮮軍が攻めて来る前に、ここ巨済島を捨て、多くの日本軍が集結している釜山に行くことになった。すぐに帰国しないのは、前の戦で被った船の損傷が大きく、全員を乗せて長い航海をするのは、難しいと判断したからだ。


 釜山に向けて、みなが巨済島を引き払う準備をしている中で、宗茂は一人で港近くの丘に腰掛けて海を見ていた。そこに、義兄弟の小早川秀包がやって来て、無言で宗茂の隣に座る。二人はしばらく無言のまま海を見ていた。

 先に口を開いたのは秀包だった。

「なあ、日の本はどうなってるんだろうな」

「落ち着いてないのは確かだな」

「治部が忙しくしてる様子が目に浮かぶ」

「あいつはいつも忙しくしてるだろう」

 治部とは石田三成のことだ。官位の治部少輔から、いないところで治部と呼んでいる。二人は武断派ではあるが、加藤清正や福島正則ほどは三成を嫌っていない。忙しくしてると茶化してはいるが、政務に対する生真面目さをむしろ好意的に捉えていた。


「ところで宗茂殿は、次の権力者は誰だと思う」

 秀包は少し真面目な口調で、宗茂に訊いてきた。

「家康じゃないか」

「それでは豊臣の諸将が納得しまい」

「するさ。この戦で武断派の三成を中心にした政権執行部への不満は、ピークに達した。家康への警戒など二の次になっている。分かっている者もいるが、この出陣で家康に対抗するような金がなくなった」

「戦に成るかな」

「分からん。戦への扉を開く鍵は、意外と第三者である自連が握ってるかもしれないな」

 この言葉を最後に二人は再び無言になった。


 宗茂は、生涯最後に成るかもしれない朝鮮の地を目に焼き付けながら、侵攻に失敗して良かったと思った。例え力で一時の支配を得ても、長くは続かない。この国の政府軍は弱かったが、最後は民が立ち上がった。李舜臣は民を代表したからこそ、強かったように思える。その意味では、自連のやり方が一番正しいように思えた。今は形だけだが、あの国は民に政治を託そうとしている。

 海辺に一羽のカモメが降り立ってきた。水の中にくちばしを突っ込み餌を探している。その姿はいかにも自由気ままに見えた。人は長く生きていくうちに、たくさんの人と知り合い、責任とかしがらみとかが鬱陶しいぐらい増えていく。カモメのような何にも縛られない生き方が、少しだけ羨ましくなった。

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