第4話 鎮西一の策謀
「殿下もついに逝かれたか」
立花宗茂は四天王の一人
この未曾有の危機に際して、実父紹運は僅か七六三人の兵で最前線の岩屋城に籠もり、宗茂が守る立花山城や弟直次がいる宝万山城の盾と成った。結果として、父紹運を含む岩屋城の兵士は全員討死となったが、約半月もの間粘り抜き、島津方にも三千以上の大きな被害を与えた。そこに秀吉の大軍が九州に上陸し、島津はその後の侵攻を諦め撤退を余儀なくされた。このとき宗茂は撤退する島津軍を単独で追撃し、大打撃を与えている。九州に遠征してきた秀吉はこの功を大いに称え、「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一」と評した。
その後の秀吉の九州平定戦でも、宗茂はめざましい働きをあげ、ついに秀吉の直臣大名として柳川八万石を与えられ大友氏から独立した。
「何かと難しい局面となりそうですな」
連貞が目の前に広がる海を見ながらポツリと漏らした。宗茂はそれには応えず、同じく海を見ながら、その遙か東方にある祖国を思った。
「既に撤退に関する和議が始まっております。我らも帰り支度を急がなければ」
「そう簡単にことは運ばないだろう。明軍の
連貞はこの戦で彗星のように出現した敵軍の英雄を思い出したのか、渋い顔で頷いた。
「最西端にある順天城の行長殿は交渉上手ではあるが、前回の侵攻時から恨みも多く買っている。果たしてすんなりと行かせてくれるか難しいところだ」
順天城は明・朝鮮連合軍が組織した四倍の大軍に攻められたが、守将である小西行長の巧みな戦略で大打撃を与えた。それに嫌気が差した連合軍は劉綖が富有、李舜臣と明水軍の将
一ヶ月に及ぶ交渉の末、小西行長は宗茂の予言通り劉綖と和議を締結した。ところが古今島の水軍がこれに反発し、撤退を阻もうと順天沖を海上封鎖した。行長はこの事態を回避するために更に交渉を重ね、明水軍の大将陳璘との和議に成功した。これに対し、どうしても日本軍を徹底的に壊滅したい李舜臣が猛反発し、結局封鎖は解かれないまま今に至っている。
「順天城には行長殿が率いる一万以上の兵がいる。放ってはおけまい」
対馬国主の宗義智は朝鮮との初期外交に失敗し、その責を負うかのごとく文禄の役では一番隊の先導役を担った。このときの一番隊の主将が小西行長で、極寒の冬と兵量不足に悩まされながらも力を合わせて戦ってきた。それだけに行長を救いたいという気持ちは、この軍の中でも人一倍強い。
「しかし、向こうでは大船団が待ち構えているのだろう。無策で突っ込んでいたずらに船を失えば、我らの撤退にも支障が出よう」
行長と同じキリシタンであるはずの寺沢広髙は、終始救援には気が進まない顔をしている。もっとも広髙は、行長ほど強い信仰心を持っているわけではない。キリシタンが多い肥前と筑前に合わせて六万石ほどの領地を有する関係から、洗礼を受けただけの文字通り俄キリシタンであり、秀吉の禁教令が出てからは、同じキリシタンを迫害することもあった。加えてその才は外交における取次役として発揮され、めざましい武功があるわけでもない。この戦でも九州の大名として、しかたなく臨んでいる関係から、あまり積極的に戦いたくないというのが本音だと察せられる。
広髙の言に反発した義智が、反論しようと口を開きかけたとき、宗茂が無駄な議論を避けるかのように口を挟んだ。
「策がないこともない」
その場の一同が一斉に宗茂の方を向いた。
「ここの兵力だけでは、敵の大船団を打ち破って、行長殿を救い出すのは難しいだろう。だから強力な援軍を連れていく」
皆が狐につままれたような顔をした。宗茂ほどの将が強力と言う軍について、さっぱり思いあたらないからだ。日の本から増援が来ると言う話は、誰も聞いてない。
「それはどこの軍じゃ」
小早川
「島津だ」
「島津?」
島津義弘は泗川城の守りについていて、ここにはいない。あちらも敵方の水軍に取り囲まれ、簡単に打って出られる状況ではないはずだ。
「島津義弘の武勇をもってしても、敵の囲みを破ってここに来たときには、兵の損耗は激しかろう。援軍として期待することは難しいと思うが」
大友に加勢して島津と戦い、その強さを十分に知る筑紫広門でも、宗茂の策は可能性が低いと言った。多彩な戦術が可能な陸上戦とは異なり、水上戦の主役は飛び道具なだけに、船数の多さが強さと比例する。明の水軍が加わったことで、敵の船数は味方を上回るからいくら島津が強くても簡単には抜け出せないというのが、広門の主張するところだ。
「島津は強い。それに島津が援軍に駆けつけるのではなく、こちらが島津を助けに行くのだ」
「行長殿ではなく、義弘殿を優先するというのか」
義智がやや不満そうに宗茂の真意を確認した。
「繰り返すが、島津義弘が先頭に立ったときの島津は思いもかけない力を出す。それにわしが援軍に行けば、仮を作りたくない義弘はきっと打って出てくるはずじゃ。そうなれば敵の船団を挟撃することに成り、我らは大した被害もなく精強な島津軍を手中に収めることができる」
「なるほど、無傷の島津軍を加えて行長殿の救援に行くわけだな」
秀包は得心がいったのか、明るい声を出した。
「鬼島津と鎮西一が手を組めば、敵の主力水軍が相手でも勝機があるな」
広門も今度は納得したようだ。
「この場合は手を組むと言うよりは、競い合うというのが正しいがな」
宗茂がいたずらっぽく付け加えた。
「では早速参ろう」
事態が逼迫していると感じる義智が慌てて席を発つ。その勢いにつられて広髙も立ち上がった。
宗茂は立花の陣屋に戻ると、十時連貞と小野鎮幸を呼び出した。
「戦支度じゃ。これから島津を助けに行くぞ」
二人の顔を見るなり、泗川城への援軍を切り出した宗茂に、鎮幸が怪訝そうに聞き返した。
「順天城の行長殿ではなく、島津を助けに行くのですか」
「そうだ。我らが助けに行くことにより、島津を無傷で戦列に加え、共に力を合わせて行長殿救出に向かえる」
「どうにも気が進みませんな」
立花こそ九州一の武門の家という思いが強い鎮幸は、島津と力を合わせて戦うと言うことが、どうにも気に入らないようだ。そんな鎮幸を面白そうに見ながら、宗茂はいたずらでもするかのように言った。
「そんな顔は見せるなよ。義弘には行長殿救援にあたっては、先頭に立って李舜臣とぶつかって貰う。なあに鬼島津の武勇を見せていただきたいと、適当におだてれば助けられた手前、勇んで先陣をきるはずだ。両者が激しくぶつかってる隙に、我らは側面に回って李舜臣の首を獲るのだ」
しゃべりながら、宗茂の顔はどんどん厳しくなっていった。これは本気だと、鎮幸にも伝わり今度は黙って頷いた。
まだ三十を過ぎたばかりのこの若き立花の当主は、行長を助けるだけではなく、朝鮮の英雄李舜臣をの首まで本気で獲るつもりだ。例え行長を首尾良く救えたとして、李舜臣が健在なうちは、再び帰国を妨害してくることは間違いない。帰路の安全を考えるならば、ここで元凶を絶つしかないと、宗茂は考えていた。
それまで黙っていた連貞が口を開いた。
「これは派手な虎狩りと成りそうですな」
「我が軍に立ちはだかった最大の敵を葬れば、冥土に旅立った太閤への良き餞に成るではないか。少し早いが一風変わった趣向の葬儀だと思って、この戦に臨むとしよう」
宗茂が全て言い終わらぬうちに二人の姿が消えた。船戦は準備がかかる。筋金入りの二人の戦人が、戦場に向けて気持ちを切り替えたと分かり、宗茂は満足そうにニヤリと笑った。
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