第37話 上映

 ※


 映画館で観る映画は好きだ。スクリーンに映し出される大迫力映像美に、家では再現が不可能だと思われる壮大な音響――


 そんな、非日常的的な空間に誰もが没入し、物語の主人公に感情移入をさせてしまう。それが映画館の醍醐味であろう。


 だが、今日のぼくはそんな映画館を堪能せずにいた。やはりと言うべきだろう。それとも、今の状況は当然というべきなのだろうか。


 映画はちっとも頭に入って来ない。難解なストーリーに数々の造語と複雑な展開、異端神学とキリスト教の相違と宗教用語に関するペタンドリー、多くの登場人物の出現により、理解は困難を深めていく。そして、ぼくはとうとう、字幕を追いかけるのを諦めた。


 別に映画が難解であることだけが問題ではない。もっと本質的な部分で今のぼくと映画は相性が最悪だったのだろう。


 ――そもそも、今のぼくの心中は映画なんかを見る気分ではなかった。


 そして、気が付いた時には目の前のストーリーではなく、物思いにふけている。すべてはつばきの手のひらの上で踊らされ、いいように操られているのではないだろうかという疑念さえも浮かんで来る。つばきの性的好奇心のスケープゴートなのではないだろうか。


 スクリーンに向かって礼儀正しく整列しているチェアは随分と柔らかく心地よかった。すべての体重を預け、重く、深く腰掛けている。それは、誰かに後ろから抱きしめられているような感覚に陥るほど、


 スクリーンの明かりだけがぼくたちを照らす。


 どうやら映画は佳境を迎えようとしている様だ。挿入歌がより一層と盛大に流れ始める。


 ようやく、長くつまらない物語は終わりを迎えようとしている。


 ※


 映画館を出た時に訪れる妙な解放感と満足感はテレビやスマートフォンで視聴するそれとは段違いで異なっている。


 そう思っているのはぼくだけだろうか。


 このセンチメンタルと感動と達成感が混ざり合った、悲しいような、寂しいような、複雑な感情に名前はあるのだろうか。一冊の本を読み終えた時も同様の感傷に浸る時がある。いつまでもこの作品の中にいたいと切望する。そして、残酷な現実だけが心を蝕むように


 だから、ぼくは本を最後まで読み終えない時がある。そうすれば、終わることなく、いつまでも物語の中にいられるのだから。


 だが、今日に関してはそんな感傷はまったくない。晴れ晴れとした空を見上げて、その眩しさに目を細める。


「――どうだった?」


 俺は隣で両手を空へと広げ、背伸びをしながら背筋を伸ばすつばきに問い掛ける。見たばかりの映画の感想をすぐに求めるのは、映画通の人にするのは避けられる行為であろうか。だが、つばきはそんなこだわりはないだろう。


 それに、折角一緒に映画を観たのだから、感想くらいは共有したいのは当然ではないだろうか。


「う、うーん」


 と、答えに困ったように苦笑を浮かべながら頬をポリポリと掻く。


 それだけで、どんな感想を抱いたのかはわかる。別にぼくに遠慮をする必要はないし、この映画の製作に携わっているような関係者だって当然ながら、こんな場所にはいないだろう。だから、つばきが口にしたい言葉を遠慮する必要はない気がする。


 はじめてできた彼女と最初に行ったデートは失敗だったのではないだろうか。少なくとも、この映画を観たことは有意義な時間であったとは言い難い。


 それでも、隣につばきがいるだけで、こんな経験さえも楽しいと思えてしまう。そんな感情はぼくの感情はエゴだろうか。

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