第33話 デート

 つばきとの初デート――


 それは、心躍る一日になるはずではなかったのだろうか。どうして、こんなにも気鬱なのだろうか。その答えはすぐに出る。


 昨夜のことだ。人生ではじめての夢精――それは、つばきとの約束を破棄した行為である。決して、唾棄すべき重罪という訳ではないが、きっとつばきは失望するだろう。軽蔑するかもしれない。生理現象だからといって許してくれるかもしれないが。それでも、彼女との約束も守ることができない恋人というのはなんとも情けない話である。


 約束の時間は十一時――現在時刻は十八分前。随分と早く待ち合わせ場所に着いてしまった。そういえば、常々、疑問に思っていたのだが、スマートフォンや携帯電話が普及していない時代は、どうやって待ち合わせをしていたのだろうか? 万が一、急用や予定を忘れていた時にその旨をどうやって伝えていたのだろうか?


 今度、調べてみよう。両親に訊いた方が早いだろうか。それとも、つばきなら知っているかもしれない。


 駅の待合室は休日ということもあって、ベンチは八割近くが満席状態であった。


 人混みは嫌いだ。多分、ずっと嫌いだ。なんとなく息苦しさを感じて、券売機の横に移動することにした。痴漢に関する注意喚起をしているポスターの横の壁に寄り掛かりながら、慌ただしく行き交う人々の移ろいをぼんやりと眺める。


 駅の雑踏は無性にぼくの心情をより一層と不安にさせる。


 休日だというのに、誰もがつまらなそうな顔をしている様に思うのは、ぼくの精神状況の影響であろうか。そして、日曜日だからなのか、多くの人で構内は溢れていた。


 だからだろう。その小さな身体に気が付くのに、随分と時間が掛かったことは。


 先に見つけたのはつばきだった。そして、肩を叩かれるまで存在に気付かなかった。びっくりした顔を見て、つばきは嬉しそうに笑っていた。その顔に思わず釣られ、ぼくの顔を綻んでいた。


 自然と人混みへの嫌悪の気持ちも、夢精したことへの不安な気持ちを和らいでいく。都合のいい自己解釈に過ぎないのだが。


 そういえば、制服ではない彼女を見るのははじめてかもしれない。いや、はじめてのことだろう。異性のファッションに関する見識を持ち合わせていないぼくには、彼女がお洒落なのかはわからない。だが、グレーのアウターにエクリュのワンピースは華奢なつばきには少し背伸びした印象を抱く。それでも、よく似合っていると思うのはぼくの想い人だからだろうか。


「なにか言うことある?」


 つばきは会って早々にそう訊いてくる。


 ある。ぼくはつばきに夢精したことを伝えなければならない。だが、人が多いこの場所でそんな話をする訳にはいかないだろう。それに、昨日夢精をしたことに会ったばかりで気が付くのだろうか。答えは否だと思う。


 だから、他になにかつばきに対して言わないといけないことがある。だが、それがなにかがわからない。


「なんだろう?」


 ぼくは訊き返す。


「はじめてわたしの私服をみた感想くらいは言って欲しいのだけど」


「よく似合っているよ」


 馬子にも衣裳という言葉が思い付いたが、それは心の奥底に仕舞い込んだ。


「そう。よかった」


 つばきは淡々と呟く。それでも、その頬には少しだけ紅がさしていた。


 ぼくのために、今日、着る服を悩んだのだろうか。そう考えると申し訳なくもあり、嬉しくもあった。









 蛇足

 もうひと作品を書き始めました。お手隙の際にそちらもご一読頂ければ幸いです。




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