第19話 理性とは

「わたしがマッドサイエンティストですって? 本当に失礼な物言いね」


 つばきは不貞腐れた様に、頬を膨らませながらそう言う。


 が、ぼくのそんな表現は極めて適切であると、断言することができるであろう。


「だってそうだろ。君はぼくから人類の持つ唯一と言ってもいい力を取り上げるつもりなのだから。それを狂気と言わずして、なんと言えばいい?」


「別に強制はしないわよ。協力してくれないかって、相談をしているだけよ」


「そもそも、どうしてぼくなんだ?」


「他にこんなことを頼める人がいないし、それに、女より男の方が性力で理性を失いやすいのよ。きっと――」


「どうして男の方が理性を失いやすいと思うんだ?」


「本には男が理性を失くして襲うって書かれていたのだもん。それに、世間一般では男の方が性力が強いって言われているでしょ。きっと、体内に取り込む欲求より、体外に排出したい欲求の方が人って強いのよ。生殖において、オスは出す側、メスは入れる側でしょ」


 その表現は少々生々しいが、明確で分かりやすくもあった。


 だが、つばきとぼくのどちらが性力が強いかは議論の余地がありそうだが……さすがにそれを口にはできない。


「仮にぼくが理性を失ったら、君の身に危険が及ぶと思うけど?」


「別にそれは大丈夫でしょ」


「……大丈夫?」


「だって恋人同士なんだもん」


 恋人同士だから、その身体をけがされることも、その身をおかされることも、許容ができるということだろうか? 本当につばきの倫理観や貞操観念、恋愛観には理解が及ばない。いや、随分とぼくとの価値観が違うのだろう。


 この手の話では、ふつうは女子が慎重になって、男子が積極的になるものではないだろうか?


「一応聞くけど、どうやってぼくから理性を失わせるつもりかい?」


「人が理性を失う時ってどういう時だと思う?」


 つばきはぼくの疑問に対して疑問文で応対する。コミュニケーションとしては、回りくどくて褒められた行為ではないが、つばきは答えをはっきりと言わないことが稀にある。


 その理由をぼくは知らない――――


「君の言葉でいえば、本能に忠実になった時ではないか?」


「そう、例えば三大欲求がの一つである食欲が、極限の時ってどういう時だと思う?」


「……極限まで空腹の時」


 そう答えながら、ぼくは随分と嫌な予感がしていた。


「そうね。限界まで食事を摂取せずに飢餓状態の時でしょうね。そして、睡眠欲求は幾日も寝ていない様な状態。要するに欲求は幾日も満たされずに我慢されている様な状況ね」


 ここまで聞けば三大欲求の最後の一つである、性力を極限にする方法は明白であろう。


 だが、ぼくはつばきに訊く。訊かざるを得なかった。


「――性力を極限まで高める方法って?」


「もちろん他の欲求と同じよ。我慢すること。限界までね――」


 つばきは満面の破顔を見せる。その顔には依然として幼さが残っている印象を抱く。それ故に悪意のない無邪気な狂気がぼくを壊そうとしているのではないだろうかと、疑念と畏怖の感情を増長させる。


 屈託のない笑顔を見せるつばきとは対照的に、ぼくの背筋には一筋の冷たい汗が伝う。



 美術室に壁に掛かった白と黒を基調とした、シンプルなデザインをした掛け時計は、そろそろ十七時になろうとしている。カチカチと秒針を刻む音だけが、ぼくの気持ちを焦らせるように刻々と時の流れを知らせる。




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