第8話 悪魔

 ぼくは無神論者だ。オカルトにも懐疑的である。


 神も仏も悪魔も幽霊も信じてはいない。だが、悪魔の囁きがあるとすれば、彼女の声をしているのだろう。


 ――わたしがオナニーしているところをみたいか?


 その質問は悪魔の誘惑か、それとも神様の戯言だろうか。


「見たいって言ったら?」


 ぼくは彼女からの質問に対して質問で返す。


「オナニーしている姿を見ることがしれない。それだけよ」


 それだけだろうか? もっと大切ななにを失うことになるのではないだろうか。それに、そんな姿を見てしまったら、ぼくたちの関係はきっと良好とは言えないのではないだろうか?


「君は、ぼくに自慰をする姿を見せるって言っているんだよ。自分で何を言っているか分かっているのか?」


「ええ、分かっているわよ。で、どうなの?」


 これからの部活のことを考えれば、ふたりの健全な関係を鑑みれば、「見たくない」か「そんな姿は見てはいけない」と答えなければいけない。だが、その言葉は嘘だ。真っ赤な嘘である。


 昨日、彼女から話を聞いて、脳内で勝手に妄想しただけで、興奮を抑えることができなかった。もし、この目で彼女のそんなあられもない姿を見れば、ぼくはきっとどうにかなってしまうのだろう。


 ダメだと分かっている。だが、ぼくの知的好奇心は性的欲求は歯止めが効かない。


「見たくないと言ったら噓になる。まあ、なんて言うか、興味はあるというか」


 歯切れ悪く正直に答えた。


「そう、見たいんだ」


「まあ、正直に言えば」


「……」


 彼女はぼくの反応に対してそれ以上のリアクションはなく、再び画用紙へと視線を落として、創作活動を再開する。


 会話に置いてきぼりにされたぼくは、とんだ肩透かしをくらった。ここで話が終われば、「君の自慰をしている姿が見たい」と告白しただけの状況になる。


「――え? それだけ?」


 思わずそんなことを訊いてしまう。


「それだけって? 本当に見せると思ったの? なにか勘違いしている様だけど、別に見たいか訊いただけで、わたしは見せるなんて言ってないわよ」


「いや、まあ、そうだけど」


 落胆する自分と、安堵する自分が心の中でせめぎ合っている。

 

 ――よかったんだ。これでいいんだ。そう自分を言い聞かせるように無理矢理、納得させる。だが、脳裏に彼女が自身の右手で女性器を弄ぶ姿が浮かび、落胆の気持ちを強くさせる。


「でも、よかったわ」


「……よかった?」


「わたしのオナニーしている姿を見たいなんて言う、ケダモノと毎日ふたりっきりで部活をしていることが分かって。明日から身を守れるように催涙スプレーでも持ってこようかしら」


「それを言うなら、そもそも君がぼくに自慰をしたなんて話をするからいけないんだ。そんな話を聞けば誰だって妄想しちゃうだろ」


 自分で言って随分と横暴な意見だとは思う。だが、反論せざる得なかった。


「妄想に使用される分には、まあ勝手にしてって感じだけど、そんな願望を持たれていると思うと、さすがに身の危険を感じるわ」


「願望ではない。見たいか見たくないかの二択で問われたから、見たいと答えたんだ」


 ふと、なんだかとても不平等な取引をしているような気分である。ぼくばかりセンシティブな話を打ち明けて、彼女はただそれを傾聴しているだけ。しまいにはケダモノ扱いだ。


 ――なにか、なにか、反撃する手立てはないだろうか?


 ぼくは今の不平等な状況を打破するために、懸命に模索する。そして、ひとつの妙案が思い付いた。


「どうして、君は自慰をしているところを見たいか、なんて、ぼくに訊いたんだ?」


 ぼくは彼女に問う。



 さあ、反撃の狼煙をあげよう。


 

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