第6話 独白

 ボーとする。考えがまとまらないのは、一気に押し寄せてきた疲労感が原因であろう。いつもそうだ。自慰をした後はやり切った達成感と共に、何だか頭が茫然としてしまう。


 ――精通をした。


 それはまごう事なき事実であり、不変的な真実であろう。


 それは確かに大きな成長であり、身体の変化である。


 だが、思春期の女子に起きる変化である生理それと比べれば、男に起きる変化である精通これは然してたいして変化とは言い難いいだろう。


 それでも、彼女の言葉でいう、おとなにどうやらぼくも追い付いたようだ。


 彼女を想い自慰をした事への罪悪感が、沸々と湧き上がってくる。彼女を妄想して自慰に耽ったことは幾度かある。だが、当然ながらそのことを彼女に伝えたことはない。しかし、今日、彼女から自身のことを妄想して自慰をしてもいいと承諾を得ている。いや、そう推奨されたのかもしれない。


 だからこそ、妙に彼女に対して申し訳ない気持になる。


 そういえば、彼女はなにを見て、なにを聞いて、なにを想って、自慰をしたのだろうか。今は女性向けのAⅤもあるらしい。好きなイケメン俳優やアイドルとの肉体関係を妄想したのかもしれない。


 だが、ぼくはそんなことを訊くことは、当然できない。しかし、もしもぼくが彼女を想い自慰をしたように、彼女もぼくのことを想って自慰をしていたのなら――


 ――ポタ、ポタ……


 シャワーヘッドから水が垂れる音で我に返る。足元に広がった精液が不快に思い、ぼくは蛇口を捻る。シャワーからは勢いよく水を放出して、精液を排水溝へと流していく。


 それは、ぼくの汚れた私欲も一緒に流してくれているように感じる。




 ――ぼくは彼女のことが好きだった。


 それもまた、まごう事なき事実であり、不変的な真実であろう。



※ 



 彼女に会うことが気まずく感じる今日も、ぼくは美術室で彼女を待っている。いつものように画用紙を用意して、昨日描いていたアニメーションのキャラクターの模写の続きから書き始める。


 どちらが先に部活に来るかは日によって違う。今日はたまたまぼくのクラスのホームルームが先に終わっただけだ。


 ぼくが画用紙と向かい合ってから十分ほど経って、美術室の扉が開く音に思わず視線を入り口に送ってしまう。


 ――そこには、いつもと変わらぬ制服に身を包み、通学鞄を背負い、スクールバックを左手に持った彼女がいた。いつもと変わらない彼女が。


 ぼくは再び視線を画用紙へと移す。やはり、今日は彼女の顔をまじまじと直視することができない。彼女はそれを知らないだろう。いつもと変わらずに柔らかな笑みを浮かべながら、いつもと同じ第一声を放つ。


「お疲れ、今日は早かったね」


 いつもと変わらぬ挨拶だが、その声に心がざわつく。


「あ、ああ、お疲れ」


 ぼくは画用紙へ視線を落としたまま答える。


 そんなことを気にせず、彼女はぼくの対面に座り、いそいそとぼくと同じように画用紙とペンを用意している。


 どれほどの時間、沈黙が美術室に流れていたのだろう。たぶん、一分くらいだったと思う。だが、妙な緊張感からもっと長い時間に感じるのは、ぼくの自責の念が影響しているのだろう。


 沈黙を破り口を開いたのは、やはり彼女だった。


「精通したでしょ?」


 彼女は知っていて当然のようにそう言った。そう、本当に、それが憶測ではなく、真実であると信じて疑わないような口ぶりであった。


「――あ、ああ」


 どうして昨日、精通すると分かったのだろうか。

 どうして、今日、ぼくの顔を見ただけで精通したことが分かるのだろうか。


 それが不思議で仕方がなかった。


「わたしのことを妄想してしたの?」


 答えに逡巡する。


 妄想とはいえ、性的対象に、精力の処理に、異性から対象とされたら人は嫌悪感を抱くだろう。正直に答えれば、ぼくのことを不快に思うだろう。気持ち悪いと思われるだろう。嫌われるかもしれない。


 だが、彼女から飛ばされる真っ直ぐな視線は、ぼくが嘘を吐くことを許さなかった。


「――う、うん」


「で、どうだった?」


 彼女はぼくが性処理に利用されたことに対して、不快感も、憤りも、不信感も、嫌悪感も見せることなく、いつもと変わらぬ穏やかな口調で、平然とした微笑を浮かべながらそう訊いてきた。


「どうって?」


「精通した感想だよ」


「いや別に……精通したなってくらい。特に心情の変化とかはないかな」


「そんなものなの? おとなになることへの焦りとか憤りとかないの?」


 彼女は怪訝な表情を浮かべながらそう問く。


 大きな心境の変化があった彼女と比べれば、確かに淡白な答えであろう。だが、それがぼくの心からの本心でもあった。




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