第9話 それぞれの決意
「……なあ、千弦。俺が女だったら、きみはあの告白をなかったことにするか? 昨日話してくれたことを、ずっと言わないつもりだったのかな……?」
楓は足元を見つめながら、呟くように、だが強い口調のまま問いかけた。
その想いを悟ってしまった千弦は、星がまたたき始めた夜空を見上げて、夢物語を聞かせるように口を開く。
「男とか女とか、関係ないよ。性別なんて、気にしてらんないもん。恋愛とか、そういうのが全然わかんないアタシには、そんなこと問題じゃない……」
そこまで虚構の言葉を積み重ねて、千弦は自嘲するように笑った。もうあるべき姿なんて必要ないんだよね、と少し泣きそうな表情で楓の顔を真正面から見つめ直す。
「――なんて、立派に言えたらよかったなぁ。ものすごく変なことを言うようだけど、一昨日までの楓にはとても怖くて言えなかった。今の楓はなんというか、すごく話しやすかったんだ。なんでも許してくれる気がしたんだよね」
「つまり、今回話せたのは……ただきっかけがあったからってことかな?」
問い返すと、千弦は黙って首を縦に振る。イエス、だからこそ申し訳ない。
「今まで通りだったら、打ち明けるタイミングがずっと掴めなかったと思う。だから、楓が女のままだったら言えなかったかもしれない。ごめ――」
「いやー、安心した! 今度は隠し事なしの正直な話だね。よかったぁ……っ!」
口にしかけた謝罪の言葉を遮って、楓は上体を後ろに反らせて言葉を続けた。
「そういうもんだよ。人間の心ってのはそう単純じゃない。これというタイプに必ずしも当てはまりはしない。だから、決して謝ることじゃないよ。気にしないでほしい」
目を丸くした千弦だったが、嘘偽り無くスッキリとした笑顔を浮かべる楓を見て、固くなった表情をふっと緩める。二人の間に、わだかまりはもうない。
「うん、人間の心って単純じゃないね。だから、今ならこうも言えるんだ」
同じく背筋を伸ばし、楓の正面に向き合って微笑んだ。ちょうど灯台の光が巡ってきて、二人の上を照らしていく。
「オレは、この告白をなかったことにはしない。ようやく楓に話せて、それを明るく受け入れてくれて、心がスッキリしてるんだ。後悔なんてできるわけがないよ」
「うん」
「答えは出ないままだけど、これだけはわかるよ。オレ自身をまっすぐ見てくれてたのは、いつだって楓なんだってこと。今までもこれからも、ずっと一緒に添い遂げるなら、オレには楓しかいない。そんな気がする」
「ありがとう。一緒にいたいと思ってくれるだけで、俺にとっては大満足だ。それ以上なんてなくてもいい。お腹いっぱいだよ」
もう未練がないとスッキリした顔つきで、楓はベンチから立ち上がる。
「あのさ、千弦。私、元に戻ろうと思うんだ。今日が最高に楽しかったから、このままでもいいかなと少し思っていたんだけど、やっぱり違うかなって感じるんだ」
「違うって?」
「私は、今まで通りの鯉木楓でいたい。男になっても違和感がないくらい、女らしさなんて持ってないけど、女性として生まれて、ありのまま生きてきた。そういう人間として認めてもらって、私という人間がある。これからも、それが続いていってほしい」
「そっか。楓がそう思うなら、それが正解だね」
千弦に見守られながらジェンダーチェンジアプリを起動し、眩しすぎるフラッシュに包まれて、楓は女性の姿へと戻る。
これでいい。これが、楓の出した答えなのだ。
「……ん? え……なっ……なんで、千弦……!?」
その眩しさに閉じた目を開くと、そこには同じく元の姿に戻った千弦がいた。ゆるふわな女の子ではなく、見慣れた男の千弦がそこにいる。
「千弦まで元に戻って……っ。どうして。きみはまだ一日しか……」
「うん、いい。ずっと憧れだったし、今日という日はもう最高だった。けど、もう十分だ。オレも、これ以上はいいかなって思ったんだよね。もう結論は出たことだし!」
「結論?」
「そう。オレ自身、やっぱり男性ってことに違和感がないんだ。だから、オレが憧れているのはきっとね、女性的なカッコよさなんだ。カッコいい女性の――美しさもカッコよさも、どっちも兼ね備えた姿に憧れてる。けど本当は、そこに性別なんて関係なかった」
やや未練を残した表情に感じられたが、その瞳の奥には確かな決意がある。それを感じ取った楓は大きく頷いた。
「……オレもね、相川千弦のままで認められたい。ありのままのオレで、ね!」
「ならよかったよ。もし行きづらい場所があったら、いつでも言って。千弦となら、どこへでも付き合うからさ」
「ありがと。でも、そんな理由じゃ誘わないよ。楓と行きたいと思った場所に誘う!」
「……別に、理由なんてなんでもいいのに」
「そう心配しなくても、楓とならどこ行っても楽しいもんね。だから、どこでも連れてっちゃうよ。覚悟しといて?」
「相変わらずカワイイなぁ、きみは。今日一日で、ちょっとあざとくなったかもね?」
「えっ。あざとい、オレ? きゃー」
「棒読みじゃないか」
千弦はえへへと幸せそうにこぼす。これが二人の正解だ。間違いなんて言わせない。
「あ、そうだ。楓、一緒にネイル塗らない?」
買ったばかりのネイルを手に取って、商品を紹介するように差し出してくる。
男性であっても女性であっても愛しいその笑顔に、楓は微笑みを噴き出した。
「……急だなぁ……ははっ。いいね、ぜひ頼むよ!」
その提案を断る理由は、もちろん持ち合わせていなかった。
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