第8話 性別のちがい
すっかり日も暮れ、辺りは色とりどりの淡い光に包まれる。
「怒涛の一日の最後が、江ノ島とはね……。ロマンティックがすぎるよ、楓」
「いいじゃないか、静かで」
「まあねぇ。はぁ、さすがに疲れたぁー」
展望台ではない高台に登り、眺めのいいベンチに並んで腰掛けていた。大きなイベントは行なわれていないため、湘南の絶景は二人の独占状態である。
「千弦、今日はどうだった?」
「まず、びっくりした。そんで、とっても楽しかった! ありがと!」
「こちらこそ。楽しそうな千弦が見られてよかったよ」
デパートではいろいろな化粧品を試させてもらい、オススメも教わった。高校生の懐事情では限度があったものの、これからは取ったメモを参考にできるとあって、千弦は大いに浮かれていた。
「それでね。やっぱり俺は、千弦が千弦であることを望むよ。最初は戸惑っていたようだけど、今日のきみはとても輝いていたと思う。俺も嬉しくなったほどにね」
「今も絶賛戸惑ってるけどね?」
「あはは。そんな千弦もかわいいよ」
「ありがと。そう言ってくれる楓はかっこいいよ、ふふっ……。あーあ、また増えちゃった。ま、いっか。ちょうど欲しかった色だし」
紫色のネイルを月明かりに照らしながら、千弦は満足げに笑った。それから、お試しで塗ってもらった左指のネイルを見つめて、また嬉しそうに微笑む。
「なら、たくさん使わないとだね」
「うん、これからはたくさん使うよ。仕舞ってあったやつも全部」
「それがいい。よければ、これも使ってほしいな」
頬の緩みが止まらない千弦に、楓は包装された小さな箱を差し出した。包みに印刷されたロゴを見て、千弦はすぐに反応する。
小袋から取り出した口紅を見つめ、千弦は自分の唇に手を伸ばした。
「これって、最初に行ったとこの……もしかして、もらっていいの? オレが?」
「今日の性別逆転デートに付き合ってくれたお礼としてね」
「わあ、イケメン紳士がいる〜っ!」
「ははっ、ありがとう」
柔らかい笑みを見せながら、楓はふとデパートでのことを思い出す。
商品のバーコードを読み取った後、レジで真っ先に訊ねられた、何気ない「プレゼント用ですか?」の一言――あのときはまさにそうであったけれど、これこそが千弦の気持ちを縛る杭になっていたのではないか、と感じられたのだ。
自分用として、引け目を感じながら購入する中、その一言はきっと想像以上にキツい。
ひょっとすると、千弦の「贈り物のふりをしたネイルやアクセサリー」はそれが原因で生まれているのかもしれなかった。
「嬉しいなぁ~。本当にサンキュー、楓っ!」
元々女性の楓でも、全く化粧をしないからと咄嗟に同じ返事をしてしまう気がする。だから、引け目を感じている千弦は尚更だろう。隣で幸せそうに笑っている女の子の姿を見ていると、気持ちに影がかかりそうになる。とても、もどかしい。
今いるのは、変えられないはずの現実とそれを超えてしまった理想の狭間だ。一歩でも下がれば、そこには底なしの暗闇があるようで恐ろしい。いつか、叶わないなにかに絶望して、ついぞ真っ逆さまに落ちてしまいそうだった。
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