第6話 本心の告白

「千弦は、その子・・・に告白されたとき、どういう気持ちだった?」


 言葉に詰まって黙り込んだ千弦を気にかけながらも、楓は窺うように尋ねた。絶対に逃さないと言わんばかりの覇気に負け、千弦は思いをそのまま声に乗せる。


「……き、急に怖くなったんだよ。男とか女とか――そもそも恋愛を意識したら、満足していたこれまでの関係が壊れてしまいそうで、怖くなった。だって、オレは男としてのことをきっと果たせないから絶対に失望させる。そんなの嫌だ。でも、無理だった。けど、だからといって、男が相手ならいいかといったら、そんな単純じゃなくて……っ」


 本心を誰かに話すことなど初めてで、千弦は震える声で呟くように吐き出した。混乱しているかのように、呟きは長々と続いていくが次第に聞き取れなくなってくる。


「千弦、落ち着け。俺はちゃんと聞くから。一つずつ、詳しく教えてほしい。対象が問題じゃないなら、なにが……」


 言いながら、楓は引っ掛かりを覚えた千弦の部屋を脳裏に浮かべる。


 贈り物のふりをしたネイル、箱の中にしまいこまれたオシャレなアクセサリー。

 つい先刻の「オレは男としてのことをきっと果たせないから絶対に失望させる」という言葉。そして、「本当にこうだったら、よかったのかなぁ」という呟き。


 楓が考えていた、残る一つの可能性――その予想はおそらく当たっている。


「……きみは、実は女性になりたいのか?」


「……っ! 楓、どうしてそんなこと……」


「あの贈り物のふりをしたネイルたちを、ずっと考えていたんだ。本当はどうしたいのかって。千弦は、あれの全部を自分で使うために買ったんじゃないか? 誰にあげるでもなく、千弦が自分で使いたくて買ったんだろう?」


「……そうだよ。ネイルとかに関しては、紛れもなくそう」


 頂上へと向かっていく観覧車に反し、重々しい空気が二人の間に充満する。

 千弦は今度こそ覚悟を決め、強い眼差しをまっすぐに目前の人物へと向けた。


「でも、正確にはちょっと違うかな。オレは別に、男性が嫌ってことは全然ないんだ。だから、そこまで女性になりたいわけでもない。ただ、俺イコール男として扱われるのは違和感があって、ずっと納得できないでいる感じなんだよ。なんだか、半端だよね」


「……千弦……」


 ――ああ、私の悩みとそっくりじゃないか。


 目を伏せる千弦に、楓は内心で共感していた。今の自分を形作っているものと、よく似ていたからだ。


「それじゃあ、女性の格好に憧れていると?」


「うん。たぶんオレは男でも女でもないような、そんな存在になりたいんだと思う」


「そうか……」


 やはり、楓の悩みとよく似ていた。似て非なるものではあるが、理解できる。


「嫌だろ、こんなの。絶対に求められるオレの姿じゃない。加えて、この中途半端な感じだ。ずっと『なんか違う』って感覚ばかりが眠ってる。もっとハッキリしてれば、楽だったのかな。せめて、自認か恋愛対象だけでも割り切れていたら……」


「そんなことないよ、嫌じゃない」


「あるさ。楓だって見ただろ? 部屋にはネイルやアクセサリーがいっぱい眠ってる。やってみたくて、でも怖くて、そんなことわかってるのにほしい。どうかしてるよ、オレ」


 楓が首を横に振っても、千弦はまるで見ていない。


「千弦はどうもしていない。世の中では、だんだんと受け入れられてるじゃないか」


「どこか遠くで受け入れられていたとしても、身近はわからないだろ……っ!」


 俯いてしまった千弦を前にして、楓はふと考える。


 もし、自分が「男らしさ」に執着していたらどうだったろうか。


 きっと、今よりももっと「女らしさ」を極力削ろうとしたはずだ。ひらひらしたものを排除して、かわいいものが理解できないふりをして、どんどん尖って、やがて廃れていく。


 おそらくそんな風に、性別ばかりが気になってしかたがなかっただろう。妥協して納得できる形を見つけられたのは、こだわってしまう楓には救いだった。


「――いいや。俺も似たようなものだよ。こんな喋り方してるのも、ずっとこの髪の長さでいるのも、俺にとっての足掻きの形なんだ」


「似たようなもの、か……でも、いいじゃないか。女性はズボンを履いたって、髪を短くしたって、気持ち悪がられることなんてないんだしさ」


「…………確かにな」


「あっ、ごめん――……って、あれ、オレなんでそんなことを……?」


 千弦は口が滑ったことに焦る一方で、奇妙な感触に背筋が凍りつく感覚を味わった。あの正体不明の違和感が、なぜか確信できる。どうしてなのか、わからないから恐ろしい。

 対し、楓は男女で異なる印象の差に深い息をついていた。そもそも向けられる視線の次元が違うことを考えていなかったのだ。スカートを履きたい、髪を長くしたい――そんな些細とも言えてしまうことでさえ、千弦は苦しめられてきたのかと思うと悔しくなる。


「いいよ、俺は。千弦が千弦ならそれでいい。なんだっていい。ただ純粋に、きみがほしいんだ。こんな気持ち悪い俺じゃ、ダメかな?」


「か、楓が気持ち悪いだなんて、オレが思うわけないだろ」


「それは俺も同じだよ。千弦のことを気持ち悪いなんて思うわけない。確かに、千弦の本当の願いは今まで知らなかったし、驚いた。けれど、幻滅してないのがその証拠だよ。全部を丸ごと含めての千弦だろう。俺はやっぱり千弦がいい」


 多くのことを悩む中で一つだけ、楓は確実なものを見つけた。

 いつだって満足させてくれるものは、紛れもなく千弦との時間なのだ。間違いない。


 ――どんな形でもいい。私が千弦の一番で居続けたい。それ以上のものはいらない。


 千弦が相手だからこそ抱けた恋心だった。これ以外の恋など存在してたまるものか。


「俺は千弦に恋している。この気持ちは揺るがない」


「けど、応えられないんだよ。恋とか愛とか、そういう感情や欲求を抱いたことが一切ない。興味が全くないというわけじゃないんだけど、わからないんだ……ごめん……」


 再び口ごもる千弦を見ながら、楓は深呼吸をして覚悟を決める。


 ――同じようで本質の違う問題だけれど。この手が届く場所で千弦が苦しんでいるのなら、私が力にならなくてどうするんだ。


 観覧車が頂上に着くのを見計らい、楓は頭を抱える千弦の隣に座り直す。この夕陽を背にして行なうのが愛の告白だったら、どんなにロマンティックだろうと思いながら。


「千弦。俺が実は女だって言ったら、どうする? もし、性別を変えられるアプリがあったとしたら、きみはどうするかな?」


「……はい? いや、ちょっとなに言ってるか、わからないんだけど……」


「これを見てほしい」


 案の定困惑する千弦に、楓は自分のスマホで例のアプリ画面を開いて見せた。


「ん? これって、あの『性別を変換できるジェンダーチェンジアプリ』だよな。これが一体……? てか、なんだよこのカウントダウン。あと一日以上って……」


「この姿でいられる期限だよ。最大で二日間、性別を逆転できるらしいんだ」


「は……?」


「俺はもともと女なんだ。けれど昨夜、一人でこれを使ったら、今朝こうなっていた。女の私が、男になっていたんだよ。なぜか周りの認識も変わっていて、いやー驚いたなぁ」


「軽いなぁ……っ! いやいや、そんなバカなーと言いたいけど……ううん、気持ち悪いくらいに納得してるオレがいる。んあー、なんだろなぁ。なーんか今日の楓、変だと思っていたんだよ。そういうことかぁ。あぁ〜……」


 ずっと抱いていた違和感の正体を知り、千弦はスッキリとした顔をする。もちろん簡単に理解できるようなものではないのだが、完全に理解したような心地になっていた。


「これ、千弦もやってみないか?」


「……ふぇ? え、えぇ……いやー……それもどうかなぁー……」


「と思いつつ、めちゃくちゃ迷っているじゃないか。でも、それが千弦の気持ちなんだな?」


「……そうかもね」


「性別の違いだけで見える景色が変わることを、俺は現在進行形で実感している。もちろん強制はしないが、もしその気になったら、そのときは――」


 性別が逆だったらどうか、それを試してみてほしい。その気持ちはオレンジ色の影に隠し、決断は千弦に委ねてみることにした。

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