第34話

 しかし化け物が常時見える透は、和基が気が付かないようなところでたくさんの苦労をしてきたのだろう。もちろん和基に揶揄う気があったわけではないが、それでも透の目のことを甘く見ていたことを今更ながらに気がついて申し訳なさが襲ってきたのだ。


「いいよ、謝らなくて。だって……そんなこと、気がついてたから」

「えっ?」


 想定外の返事に和基はぽかんと口を開く。


「ばか、俺が気付いてないとでも思ってたの? 和基が本当は俺の話を信じていないことはずっと前から気がついていたよ。けど、それでもよかったんだ」

「よかったって……」

「和基がいてくれるなら、俺はそれだけでよかった」


 そう言って透は柔らかく笑った。和基もつられて頬を緩ませた。


「……いや、俺以外の友達も作ろうな?」

「いいよ、俺には和基がいてくれたらそれで」

「いやいや、俺しか話し相手いないと寂しいだろ」

「寂しくないよ」


 透はムッと口を尖らせた。


「ねぇ、和基。俺は化け物が見える目を持ったままでいい。生きている限り他の人とは違う世界が見えていてもいい。だからさ、俺とずっと友達でいてよ。和基が友達でいてくれる限り、俺はどれだけ世界に醜い化け物が蔓延っていようと、それでかまわないから」

「……ああ、わかった」


 透のまっすぐな目を見て、和基は頷いた。本当は、そんな目なんてない方が幸せに生きれただろうに、とかいろいろと言いたいことはあったが、すべて飲み込んだ。


「約束、してね。俺たちはずっと友達だって」

「ああ、約束する」


 いつぶりだろうか、和基は小指を透の小指と絡ませて約束した。なんとも子供じみた約束。しかし、それを破る気はなかった。

 化け物は校舎に入るのを諦めたのか、外は本来の静けさを取り戻していた。


「そろそろ出れそうかな?」

「かもな」


 和基たちが立ち上がったとき、ドンと大きな音が鳴り、建物が激しく揺れた。


「なんだ⁉︎」

「わかんない!」


 壁に手をつき、転ばないように衝撃に耐えた。そして和基が顔を上げると――


「透!」

「わっ!」


 和基は透の手を引いて踊り場から一階へと駆け降りる。

 和基が顔を上げた二階には、たくさんの触手がうじゃうじゃと透のことを探していた。おそらく全身は入らないので触手を伸ばして窓から校舎の中を探っているのだろう。


「やばいやばい、どうしよう!」

「ちょっと待って」


 焦る和基に、透はスマホを取り出しどこかへ電話をかけ始めた。


「もしもし、はい俺です! うちの学校に化け物が出ました! 率直に言って助けてください!」


 透はそれだけ言うと電話を切る。片手でなにかしながら走れるほど透は運動が得意ではない。


「誰に電話したんだ?」

「東雲さん。学生証を渡したときに念のためって連絡先を教えてくれたんだ」


 走りながら透に尋ねると、透はそう答えた。

 たしかに東雲ならなんとかしてくれるかもしれない。実際に文化祭では襲いかかってきた化け物を退治してくれたのだ。

 和基たちは窓を開けると体育館に逃げ込んだ。幸いなことに化け物は和基たちが校舎外に出たことに気がついておらず、いまだに校舎内を探しているようだ。


「とりあえず扉に鍵をして……」

「いや、鍵は開けておこう。開いてたはずの鍵が閉まってたらすぐにここにいるってバレちまう。そうなりゃ、扉は無理矢理壊されて体育館はあいつのせいでまた修復工事されちまうだろ」

「今それ気にしてる場合?」


 体育館の鍵を閉めようとした透を止めると、少し呆れた声が返ってきた。しかし鍵を閉めようが閉めまいが、化け物はあの巨体を使って突進するなりしてここに入ってくるだろう。ならば鍵などあってないようなものだ。


「バスケ部にとっては大問題だっての。それより東雲さんがくるまでどうやって化け物の動きを封じられるか考えないと」

「時間を稼ぐくらいならできるかも」

「ほんとか⁉︎」

「うん。ほら、これ」


 透は懐からなにかを取り出した。


「えっ? なにこれ、彫刻刀?」

「そうだよ」


 透の手に握られているのはどこからどう見ても彫刻刀だった。

 当たり前のように頷く透に和基は大声を上げた。


「なんでそんな物騒なもん持ってんだよ!」

「いや、だって電話で呼び出してきた相手が化け物だってことは声を聞いてわかったし、それならなにか武器になるものを持っていこうと思って、家を出るときに中学生時代に授業で使ってたやつを持ってきたんだ」


 たしかに和基たちの中学校では図工の時間に彫刻刀を使う授業があったのでマイ彫刻刀があってもおかしくない、というか和基も持っているが、そんなもの机の奥にしまって存在を忘れ去っていた。


「えぇ、これでどうすんの?」

「やっぱり目があるってことは、目潰しが効くと思うんだ。さっきも校舎の中を触手で手探りに探してたみたいだし、やっぱり目が見えないと不便なんだと思うんだよね」

「こんなちっこいのであのでかい化け物の目を狙うのか? 的が大きい分、当たりやすいとは思うけど、顔が俺たちの身長よりはるかに上にあるんだぞ?」

「うん。頑張る」

「頑張るって……透は運動苦手なくせに」

「和基のためならなんだってできるよ」

「本当にやりそうなのが怖いところだな……ほら、それ貸せ」

「え?」


 和基が手を差し出すと透はきょとんとした。


「絶対透より俺が狙った方が成功率上がる」

「でもそんなことしたら和基は」

「化け物殺しは法では裁かれない、だったか。大丈夫だよ」


 戸惑う透を安心させるように和基は東雲の言っていた言葉を言った。


「……でも」

「これは俺のせいだからさ。責任ぐらい取らせてくれよ」

「……わかった」


 透はおそらくいろいろと言いたいことがあったのだろう、複雑そうに顔を歪めたが、和基の目を見ると言葉をすべて飲み込んだのか素直に頷いた。


「透は隠れてろ」

「でも」

「あいつの狙いは透だ。もし俺が捕まったとしても、また人質にされるくらいで殺されはしないだろ。だから、大丈夫だよ」

「わかった。和基を信じる」

「おう、任せとけ!」


 透は体育館のトイレに隠れた。そして体育館の中に残るは和基だけになった。

 しばらくすると校舎内を探し回っていた化け物が体育館に戻ってくる。

 にゅん、と大きな体を滑り込ませるようにして体育館内に入ってきた化け物は和基を見つけるとにたりと口角を上げた。


「かぁずき」

「おう」

「とおおおおおおおおお」

「わかってる、透に会いたいんだろ?」

「めぇぇぇ」

「おう、悪いけど、透の目をやることはできないんだわ。だからさ」


 和基は化け物に向かって走り出す。


「お前の潰れた目で勘弁してくれや!」


 利き手である右手にしっかりと彫刻刀を握りしめた和基は化け物に向かって振りかざす。しかしいとも簡単に化け物はその攻撃を避けた。


「もちろん予測済み!」


 この化け物には、誰かを呼び出すために人質を取ろうとするような知力がある。だからそんな知力のある化け物に馬鹿正直にまっすぐ向かったところで、勝てないことくらい和基も理解していた。

 だから、今の動きはフェイント。

 和基は化け物の体の一部を踏んづけると力いっぱい飛んだ。そして壁に取り付けられたバスケットゴールの縁を掴みダンクシュートを決めるかのように、ボールをゴールに叩きつけるように右手に握りしめた彫刻刀を化け物の左目に突き刺した。


「んぎぁぁぁぁぁぁぁ!」

「もう、一丁!」


 とっさに抵抗しようとする化け物の触手が和基の体を捕らえるよりはやく、左目に突き刺した彫刻刀を抜き取り右目に突き刺した。


「んがぁぁぁぁ! がっ、がずぎぎぎぎぎ」

「ぐうっ!」


 自身の体の上に乗っている和基を化け物は振り払った。和基は勢いのまま壁に叩きつけられ、背中を強打した。


「っ、いってぇ」


 背中をさすりながら和基は化け物を見た。右目に彫刻刀が刺さったままの化け物は痛いだろう、悲鳴を上げながら暴れ回っている。


「和基! 今のうちに!」

「ああ!」


 目を潰されて透を狙うどころではなくなってしまった化け物の横を通り抜け、和基は透と一緒に外に出た。

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