第33話

「くそっ、テメェふざけんな!」


 和基は柔らかい触手を叩く。しかし化け物がダメージを受けている様子はない。

 化け物は和基の攻撃など気がついていないかのように、透が来るのをにたにたと裂けんばかりに口角を上げて待ち望んでいる。


 和基は逃げ出そうと抵抗するが、化け物は透の言葉を理解しているのか先程のように動き回る和基に攻撃をしてくる様子はない。

 和基が化け物の腕の中から抜け出せないまま時間だけが無情にも経っていった。


「和基!」


 和基が自身の浅はかな行動に後悔の念を抱いていると、勢いよく体育館の扉が開かれる。透が息も絶え絶えに走り込んできたのだ。


「どどどおおおおおおるる!」


 透の姿を確認して化け物は歓喜の声を上げた。化け物が発した低く太い大声で体育館内の照明が揺れる。


「和基……」


 透は和基がたいした怪我を負っていないのを確認してほっと息を吐いた。


「透……ごめん」


 和基は下唇を噛みながら謝ることしかできなかった。透の目が治せる。化け物の狙い通り、その言葉を少しでも信じてここに来てしまった和基のせいで透は化け物の言いなりになってしまうのだろう。

 自分のせいだ、和基はそう思うと悔しくてたまらなかった。


「とおるぅ目ぇめめめめめ」

「目? 俺の目が欲しいのか? いいよ、こんなもんくれてやる。その代わり和基を返して」

「め、めめめめめめめめめ!」


 一大事であるというのにあっさりとそう言葉を返す透に、化け物の口が大きく開いて興奮気味に言葉を発する。

 化け物の二つある目は血走り、透を見つめている。

 もう化け物は透にしか興味をなくしていた。だから――


「うおらっ!」

「ががずぎぃ!」


 拘束する力の緩まった触手から滑るように抜けだし、地面に着地すると和基は迷わず透の手を取って体育館の外に飛び出した。


「和基!」

「悪い! 俺のせいだ!」

「それはいいよ! そんなことより怪我は⁉︎」

「あんくらい問題ないっての!」


 残念ながら靴を履く余裕はなかった。なので和基は靴下のまま小石の落ちている外を走らなければならなかった。しかしそれを気にしている場合ではない。背後からはあの化け物が追ってきていた。


「和基、あそこ! 窓開いてる!」

「入るぞ!」


 体育館から校舎の方へ走っていると、校舎の窓が一つだけ空いていることに気がついた透が指さした。二人は急いでそこから中に入る。透は窓の鍵を閉めた。

 教室の鍵はどこも締め切られていて入れそうにない。しかし建物の中に入れたことで化け物は中に入ってこれなくなったらしく、窓の前で右往左往している。


「窓を割って入ってくるかも。今のうちに逃げよう」

「ああ」


 透と小声でやりとりし、階段の方へ向かうことにした。化け物の視界から外れたタイミングで和基たちは階段を駆け上がった。


「あいつは知力が他の化け物より高いみたいだから、たぶん俺たちが逃げるために昇降口の方へ向かうことくらいわかるだろうね。だから」

「逆手を取って校舎の中に留まることにしたのか」

「うん」


 透は頷いた。

 おそらく普通なら校外に助けを求めるために、外に出ようとして昇降口に向かってしまうだろう。しかし透の発案でこの危険な場所に残ろうということになったのだ。


「悪い、化け物の罠にかかって透を巻き込んじまった」

「べつにいいよ。というかあの化け物は俺が狙いだったみたいだし、和基はなにも悪くないよ。俺のことで話がある、とでも言われたんでしょ?」

「まぁ、うん。そんな感じ。よくわかったな」

「そりゃあ、何年和基の友達やってると思ってるの?」

「はは、それはそうか」


 一階と二階の間にある踊り場。そこで一息ついて、和基は改めて透に謝罪する。しかし透はそれを気にしている様子はなかった。

 こんな状況だというのに、透がそばにいるというだけで安心して和基は笑顔を見せた。


「でも、化け物って人型以外もいるんだな。東雲さんの話だと化け物はみんな四肢があって人間に近い姿をしているって言ってたのに」


 化け物関連の事件・事故を捜査しているという特務課に所属する東雲は化け物は人型をしていると、文化祭の日に和基にそう言っていた。しかし先程の化け物は目と口は存在したものの、手足はなく、代わりに触手のようなものが生えた生き物だった。


「俺も人型以外の化け物は初めて見たよ。大体の化け物は頭があって、目と足、腕が二つ。そして口があるから、いちおう人型に近いといえば近いんだけどね。あいつは全然違った」

「ああ。スライムみたいに変幻自在で触手が生えてくるし、無理矢理例えるとタコに似てるけど、そう言ったらタコ好きの人に怒られそうだ」

「やめて、俺もうタコ食えなくなっちゃう」


 海鮮系の食材が好きな透は顔を歪めた。

 しかしあの化け物を和基の知っている生き物で例えるなら、タコが一番近かったのだからしかたがない。


「はぁ、茉優ちゃんに初まり文化祭、そして今度は体育館で化け物と出会うとは。透はあんなのと向き合って、よく冷静でいられるな」

「うーん、そうだな。たしかに今まで化け物と接点がなかった和基からしたら驚くものなんだろうけど、ずっと化け物が見えてた俺からしたらそこまでではないんだよね」

「そっか、そうだったな。透には普段からああいうやつらが見えているのか」

「うん、さすがに今回の化け物レベルのものは見たことないけどね」


 和基が透を見ると、透は困ったように笑った。


「ねぇ、和基。化け物はすぐそこ、俺たちの日常の中に潜んでいるんだ」

「そうだな、中には擬態できるやつもいるみたいだし」

「うん。あいつらは急に現れたんじゃない。きっと、ずっと昔から俺たち人類のすぐ隣を歩いていたんだよ」

「……そっか」


 和基たちが産まれるよりももっと前から、化け物たちはこの世にいたのだ。ただ、一部の人間しかその存在に気が付かなかっただけで。


「たとえば、和基が道に困っている老人を見つけたとする。きっと和基なら場所を案内してあげるだろうね。そしてそれは和基、そして周囲の人からは迷子のご老人と道案内してあげる優しい青年に見えるだろうけど、俺には違って見える。道に迷った化け物と、それを案内する心優しい和基」


 急に例え話を始めた透は一度深く息を吸って、吐いた。


「和基たちが人間だと思って接している相手の中には化け物が紛れ込んでいるんだよ。茉優さんのときみたいにね」

「……ごめんな」

「え? どうして和基が謝るの?」


 透の淡々と続く言葉に、思わず和基は謝罪の言葉を投げかけた。


「だってさ、俺みたいなやつは相手が化け物だろうとみんな等しく人間に見えてるわけじゃん。けど、透はその正体が化け物だって見破ってる。それでもこいつの正体は化け物だ、なんて言えば小学のときみたいに透は孤立する。気味が悪いって言われてひとりぼっちになっちまう」


 和基は俯いて言葉を続ける。


「――俺たちが、透の話を信じないから」


 和基はべつに、透のという言葉を信じていないわけではなかった。しかし、心から信じていたわけでもなかったのだ。

 変なことを言う面白いやつ。当時小学生だった和基が透に声をかけた理由はその程度のものだった。


「俺は透の話を疑っていない顔をしながらも、透の話を本当は心からは信じていなかったんだよ」

「……」

「ごめんな」


 黙り込む透に、再度謝罪の言葉を投げかける。

 和基にとって透は、面白いことを言う人間だった。だから友達になった。

 化け物が見える、その言葉が本当であろうとも嘘であろうとも正直なところ、和基はどっちだってよかったのだ。

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