第10話

「凶器は……」

「それなら見つかってますー。この川の下流の方に血の付いた流木が発見されています」

「どこにある?」

「こちらに」


 矢来から袋に入れられた凶器と思われる流木を受け取った。

 直径五センチほどの流木の筋には黒い血が染み付いており、この血の着き方からしてこれが凶器であることに間違いなさそうだ。


「でも珍しいですねー。被害者が化け物ひとりなんてー」

「ああ」


 化け物――そう総称するしかない生き物は、基本的に人を襲う。

 特務課の担当する仕事の被害者のほとんどは人間で、加害者が化け物。ということが多く、たまに化け物同士の共食いがあったりするが、今回のように被害者が化け物で、加害者が人間だというのはとても珍しいことだった。


「この少女の正体が化け物だと知っていて殺したのか、それとも知らずに殺したのか……」


 紅李は顎を撫でながら思考を巡らせる。その隣で矢来が疑問を口にする。


「共食いってやつではないのですかー?」

「違うだろうな。もしこれが化け物同士の共食いだとしたら、凶器があるはずがない」

「あー、そうか。化け物は人を襲うって言うよりは人を食う、でしたねー」


 紅李の言葉に納得したように矢来は頷いた。


「ああ。だから凶器なんて必要ないんだ。好きなだけ食いちぎって、飽きたら食うのをやめる。だから遺体に食われた形跡がないのもおかしいんだよ」

「なるほどー。つまりこの事件の犯人が化け物なら、この被害者の少女の姿をした化け物は食い荒らされてる痕跡が残っているはずだし、化け物には凶暴な牙があるから凶器を使って殺す必要がないと?」

「ああ」


 矢来の言葉に頷く。

 個体差がある化け物だが、そのどれもが人を襲うにあたって、武器を使うという情報はどこからも聞いたことがない。

 化け物は主に食事のために人を襲うので、凶器で殴ったりするよりも、そのままぱっくりと大口を開いて食べてしまうのだ。

 実際に紅李はその現場を目撃したことがある。まだ特務課に移動を命じられる前に、同じ事件を担当していた相方が目の前でパクッと、いとも簡単に食べられてしまったのだ。

 そのことを馬鹿正直に上司に報告したら特務課に移動を命じられた。


「これ、犯人は人間ってことなんですよね?」

「ああ、凶器を使っているしな。ただ、この少女を化け物だと知らずに殺したかどうかまではわからない」

「ほー。じゃあ、とりあえずは付近の監視カメラの確認ですねー」

「なにさらっと捜査に混じろうとしてやがる。お前はもう帰れ」

「そうは言われてもー。気になるじゃないですか、この事件の犯人」

「お前は好奇心が旺盛過ぎんだよ。結果だけ教えてやっから、もう自分の持ち場に帰れ」

「えー、でもー……と言いたいところですがー。これ以上は管轄が異なりますもんねー。おとなしく帰ります。その代わりー、ちゃんと教えてくださいね。この事件の犯人」

「はいはい」


 念押しする矢来にうんざりしながら紅李は頷いた。

 矢来がそこまでして犯人を知りたがる理由。それはおそらくこの手の事件はテレビ報道がされないことが原因だろう。

 国は余計な騒動が起きないように、化け物についてニュースで報道することを良しとしない。というよりも、お偉いさんの中には化け物の存在自体を認めていない者もいる。


「それもしかたがないといえば、しかたがないことなんだがな」


 先程までいた矢来を含め、ほとんどの人間には化け物の姿が見えない。そのため、見えない生き物に注意しましょう、なんて中途半端で混乱を招くようなことを国は軽率に言えないのだ。


「見えないなら、一生そのままでいいのにな」


 紅李は遺体に向かって吐き捨てるようにつぶやいた。

 化け物はどういう原理かわからないが、紅李や特務課の人間のような限られたごく僅かな人間にしかその存在を見つけることができない。

 しかし、そんな化け物が普通の人間にも見えるときがある。それは化け物が死んだとき。なぜかはわからないが、化け物は死ぬとその姿をしっかりとこの世界に現すのだ。

 おかげで特務課というものが創設され、化け物関連の事件、事故はすべて紅李たちの担当となっている。人間界で事件が起きた以上、後処理をしないといけないからだ。


「はぁ」


 事件が起きたことによって規制線の向こうにはマスコミを含めた野次馬ができていた。規制線が張られた橋の上からではこの現場を直視することはできないだろうが、念のため早めに化け物の遺体を回収しておくべきだろう。

 紅李は深いため息をついて携帯電話を手に取った。


「もしもし? 調子はどう?」

「非番の日に駆り出されて最高の気分だよ」


 電話をかけた相手、特務課のトップに紅李は皮肉をたっぷりと込めた言い方で返事をした。


「そう、元気そうでよかった。で、要件は? きみも知っている通り、特務課の人間は暇じゃないんだ」

「ああ、非番の人間を呼び出すくらいなんだからそうだろうな。それくらい俺もわかっているさ。あんたもどうせなにかの事件の処理に追われてるんだろう?」

「ははは、正解だ。ということで要件は? もったいぶらずに早く言ってくれ」

「べつにもったいぶってない。死体を回収しろ、とあの変態に伝えろ」

「はいはい、了解了解。でもそのくらい僕を通さずに自分で電話すればいいのに」


 特務課課長の言葉に紅李は口籠った。


「あいつはその……なんというか、苦手だ」

「わかるわかる。あの人、頭おかしいからね! いつも二言目には化け物が見えるその眼球を研究したい、とか言い出すから!」

「ああ、だからそいつに化け物の死体をやるから拾いに来いって伝えてくれ」

「しかたがないなぁ。じゃあ彼に電話するから切るよ?」

「ああ」


 ぷつり、と通話が切れる。向こうも本当に忙しいらしい。

 それもそうだ。日本中の化け物が関連する事件をたった十人未満の特務課の人間がすべて片付けなければいけないのだから。


「はぁ……さっさと煙草が吸いてぇ」


 紅李はブルーシートで隠された遺体を眺めながら、遺体を回収にくる変態研究者の到着を待った。

 普通の事件ならこの少女の遺体は鑑識が回収し、必要に応じて司法解剖などが行われる。しかしこの少女は人間ではない。その時点で鑑識はこの遺体を回収することなく、撤収していった。

 その場合、化け物の遺体を回収するのは先程の電話で話題になった変態研究者。彼は紅李のように化け物の姿が見える目を持っている、ことはなく、普通の化け物が見えない側の人間だ。しかし化け物の生態に異常に興味を示し、特務課に自分を売り込んできた変態だ。

 すぐに化け物の見える紅李たちの目に興味を持って、少しだけでいいから細胞をくれないかい、と息を荒げながら近寄ってくるのでできることなら顔を合わせたくないし、電話もかけたくない。

 しかし遺体が回収されるまで放置、というわけにはいかないので紅李は煙草を吸いたいのを我慢して、おとなしく変態研究者の到着を待った。しばらくすると、白いバンが事件現場に到着した。


「ああ、マイフィアンセ!」

「うるせぇ。さっさとしろ」


 開口一番にとち狂った発言をする変態の尻を蹴り上げ、遺体の回収をさせる。もちろん野次馬たちにその姿を見られないように厳重に注意しながらだ。


「特務課の仕事は大変ですねぇ。世の中に化け物がいることを悟られないようにしなければいけないなんて」

「ああ、本当にな」


 この世界に化け物がいると知っている人間は特務課の人間と、化け物が見える目を持った人間、そして矢来やこの変態などの、限られた人間だけだ。

 警官のなかには特務課という組織があるというふんわりとした情報だけを知っているものもいるが、ほとんどの警察は化け物どころか特務課の存在自体を知らないだろう。

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