第9話
◇◇◇
「
「ああ」
今日は非番だというのに呼び出された。まったくもって最悪な日である。
「くせぇな」
「はいー。それでこれは我々の管轄ではないと判断し、東雲警部をお呼びいたしましたー」
現場となる繁華街から少し離れた位置に存在する橋の下には、ショートヘアーの女性が敬礼して待っていた。彼女の名前は
「そうかよ、仕事が多くて嬉しいこった」
いつも仕事に追われている紅李は皮肉をたっぷりと込めてつぶやいた。
紅李というかわいらしい響きの名前をしているが、見た目は身長百八十センチ後半の、目つきの鋭い大柄の男である。そして重度のヘビースモーカー。
紅李は煙草を吸いたい気持ちを必死に堪えて、ブルーシートで覆われた今回の事件の仏さんの顔を見た。
「これはひでぇな」
「はいー。首ちょんぱ、ってやつですねー。調べた感じ、やはりこの遺体は人ではなかったですー」
ブルーシートの下の遺体は頭部と胴体が完全に切り離されており、虚ろな目をした少女の生首が紅李を見つめていた。遺体の周辺には黒い血がこびりついている。
「化けもんが人間に擬態したか」
「ええ、そうかとー。まったく、化け物は私の捜査の管轄外ですが、人間に擬態できるなんてとんでもないですねー。いちおう聞きますけど、東雲警部はいつも通りの東雲警部ですよね? いつのまにか化け物に変わってたりしないですよねー?」
「うるせぇ、俺はさっさと煙草が吸いてぇんだ。邪魔すんならとっとと警察署に帰れ」
「よかったー。東雲警部は今日もちゃんと東雲警部でしたー」
「うっせぇ」
「はいー。黙りまーす」
紅李が矢来を睨みつけると、矢来はおとなしく一歩下がった。
帰りはしないのか、と思いながらも矢来のことは一度放置して、紅李は遺体の周囲を調べる。
河原の砂利には見慣れた黒い血がこびりつき、橋の壁や天井にまで血飛沫が飛んでいる。被害者が殺された現場はここで間違い無いだろう。
しかし、ここで殺されたとしても被害者は化け物だ。化け物は個体差はあるが、人間より頑丈な者が多いと紅李は職業柄知っていた。
「
「そうか。ならさっさと現場を離れればいいじゃないか」
「東雲警部は今日も冷たいですねー」
紅李の捜査を興味津々に背後から見学していた捜査一課の警部をシッシと追いやり、捜査を続ける。
警察庁特務課。それが東雲紅李の所属している課である。
先程から紅李の周囲をうろちょろとしている矢来は警察庁捜査一課の警部。捜査一課というのは犯罪、主に殺人などを担当する課で、紅李の所属する課とはもちろん業務内容が異なる。
捜査一課は人間間での殺人を担当するのに対して、紅李の所属する特務課は一般的には存在しない課とされており、業務内容は殺人は殺人でも、化け物関連に関するもの。
今回の事件で非番の紅李が呼ばれたのは、被害者が化け物だったからだった。
化け物の遺体の特徴は、人に比べて死臭が恐ろしく臭う。死んだ魚を日差しの下で放置し続け、体が原型を留められなくなるほどの日数を放置したかのようないやな臭いを漂わせる。
そしてわかりやすいのが、遺体から出る血が人間のものよりどす黒いということ。
人の血は、出血した際の鮮血は赤い。そして時間が経つにつれ黒く変色していく。しかし化け物の血は人間とは違い、血そのものが黒いので、遺体は真新しいものでも血だけはすでに黒くなっている。
「化け物の首が飛んじゃって……いったい誰がこんなことをしたんですかねー? 仲間割れとか?」
「まだいたのか」
捜査一課の刑事たちが現場を離れるなか、矢来だけは現場に残っていた。普通の感性をした者なら、こんな厄介な事件には関わりたくないと言ってそそくさと特務課に仕事を任せて逃げ出すのだが、矢来だけはいつも特務課の仕事に関心を寄せていた。
「東雲警部がひとりきりになるのはかわいそうかとー」
「心配ご無用。そんくらい慣れてらぁ」
矢来の形だけの親切に、紅李は呆れ気味にそう返す。
特務課の人数は紅李を含めても十人に満たない。そのため、一人で捜査にあたることは珍しいことではなかった。
「……東雲警部のその瞳には、この現場がどう映っているんでしょうね?」
矢来がジッと見つめたのは紅李の左目。その目の色は一般的な日本人の目の色である黒や茶色とは異なり、海外でも珍しいであろう緑色をしていた。
「どうもなにも、お前には関係ないことだな」
こっちを見るなと言わんばかりに矢来の視線を手で払った紅李は流れゆく川を見つめた。
紅李は七年前にバイクで事故を起こした。その事故で左目をなくし、数週間の間は眼帯をつけて暮らしたものだ。しかしある日、紅李が目を覚ますと左目に違和感を覚え、眼帯を取るとそこには事故によってなくなったはずの眼球が確かに存在したのだ。ただし色を、元の焦茶色から緑色に変えて。
それからというもの、紅李の目には今まで見えなかった世界が映し出されるようになった。
人のように堂々と街を歩く見たことのない生き物。街灯の上から歯軋りしながら行き交う人間を見つめる黒くてらてらとした体をした生き物。
どれも見たことのない生き物で、人に不快感を与える見た目をしているが、個体差があるのか、まったく同じ姿をしている者はいなかった。
そんな化け物が見えるようになった瞳を持った紅李は、課の移動を命じられ、特務課についた。この特務課に所属する人間に共通するのは、化け物が見える目を持っているということ。
紅李のように後天的にその力を持ったものもいるが、先天的、つまり生まれつきそういうものが見える署員もいる。
「私も化け物の姿を見てみたいものですー」
「やめとけ。見ていて楽しいもんではねぇし、気持ち悪いだけだ」
「そうですかー。でも、そう言われるとなおさら気になると言いますかー」
「好奇心は猫をも殺す、だったか? お前もまともな人生を送りたいならこういう事件には関わるな」
「うわー、もしかして東雲警部ってば、私の心配してくれてます? 見た目に反して優しいですねー」
「……」
なにを言ってものらりくらりと気に留めない矢来をまともに相手にしていると疲れる。紅李はため息をつくとこれ以上の口出しはやめにして、自身の仕事に集中することにした。
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