第8話

 和基が数日の間、茉優だと思って話していた相手は、今日のデートしていた相手は、茉優ではなかった。そもそも人間ではなかった。

 いろんなショックが同時に襲いかかって、和基の瞳から輝きが失せていく。


「んー? お兄、もう帰ってきたのーって、お兄⁉︎」


 和基を引きずった透が、和基宅のドアを開けると綾音が飛び寄ってきた。それもそうだろう。和基と透の服は、化け物の血によって真っ黒に変色していたのだから。


「ごめんなさい、お風呂借りてもいいですか?」

「と、透くん。それはもちろんいいけど、これは……その、なにがあったの?」

「ちょっと、色々あったんです。ふざけてたら泥だらけになってしまって」

「ええ……でもお兄の様子が変……いや、とりあえず、お兄の部屋から着替え持ってくるね! お兄もそれでいいよね?」

「……ああ」


 綾音の提案に力なく頷いた和基を、透は風呂場に放り込んだ。和基が体に染み付いた化け物の血を洗い流していると、頬に水分が伝う。それが涙なのかシャワーなのか、今の和基には見分けることはできなかった。


 透と和基がシャワーで血を洗い流すと、脱衣所に二着分の着替えが置いてあった。綾音が用意したものだろう。それに袖を通すと和基と透は、リビングで心配そうにこちらを見つめる綾音を他所に、和基の部屋に入った。

 透はベッドの縁に腰を下ろし、和基は椅子に力なく寄りかかっている。


「和基」


 静寂を破ったのは、風呂場に入ってから一言も言葉を発さなかった透だった。


「ショックを受けてると思う。けど、どれだけ残酷でも、これは現実なんだ」

「……ああ」


 シャワーを浴びているうちに、多少は思考が回るようになった和基は小さく頷いた。


「茉優さんはもういない」

「ああ」

「茉優さんを殺したのは和基じゃない」

「……ああ」

「茉優さんが化け物になったのは、和基のせいじゃない。和基に責任は一切ない」

「…………ああ」


 和基はくしゃりと髪を巻き込みながら頭を抱えた。

 透は本当に、よく気がつく男だと思う。和基がシャワーを浴びている間、もし自分があのときこうしていれば、あのとき化け物かと問いかけなかったら、と自身の責を問い詰めていたのに気がついていたのだろう。


「なんでこうなったんだろうな」

「和基は悪くないよ。もちろん、茉優さんも」


 手で覆われた和基の頬に涙が伝う。

 懊悩する和基に声をかける透の声色は優しかった。


「もし、誰が悪いかと決めないといけないのなら、それは間違いなく俺だよ。化け物を見分けられる目を持っていたくせに、こんな事態に、和基をこんな気持ちにさせた俺が悪い」

「それは違うだろ」


 困った顔で自分が悪いと言った透の言葉を、和基は即答で否定する。

 透は和基が化け物に食べられそうになったとき、助けてくれた。茉優が化け物になってしまったと、気を遣いながらも和基に報告してくれた。それなのに、今回の件を透の責任だと押し付けるつもりは和基にはなかった。


「和基……和基は本当に優しいね。俺を恨めばいいのに、そうしないなんて」


 透は眉を顰めて、そして困った笑顔を浮かべてそう言った。


「いや、普通に考えて透は悪くないだろ。浅はかな行動に出た俺が悪いんだ」

「いや、和基は悪くないよ」


 俺が、いや俺が。と互いに責任を負おうと言い合った。このままではずっと平行線だ。


「……じゃあ、まぁ。二人とも悪いってことで」

「二人とも悪くない、って言わないのが和基らしいな」


 なんとか自身が納得できる及第点を見つけた和基の言葉に透は微笑んだ。

 透と互いに責任を奪い合っていたうちに、和基はだいぶ冷静を取り戻せた。

 力なく寄りかかっていた椅子にしっかりと座り直して口を開く。


「でも、茉優ちゃんはどうなるんだろう? というか、あの橋の下にある茉優ちゃんの姿をした化け物の死体ってどうなんの?」

「えっ、さぁ……どうなるんだろう。俺も早く和基を家に送り届けないと、としか考えてなかったから……」


 二人は互いの目を見つめ合い、首を傾げる。

 あの化け物の死体はどうなるのだろうか。化け物は最後に姿を、恐ろしい姿から茉優の姿に変えた。おそらく茉優の姿だと情が湧いて殴りづらいとでも思ったのだろう。


「一度、橋の下の様子を見に行ってくるよ」

「俺も行く」


 透が立ち上がった、そのとき。


「お兄、お兄、お兄! やばいって!」

「うおっ! こら、綾音、ノックくらいしろよ」

「あっ、ごめん! それより早く、こっちきて! 透くんも!」


 綾音は和基の手を引っ張ると一階のリビングまで連れて行き、テレビを指さした。


「これ、繁華街の近くだよね?」


 綾音が指さした六十五インチの大型テレビに映し出されているのはニュース速報だった。内容は――


「若者に人気の繁華街近くの河原で女性の遺体が発見された……」


 茉優のことだ、と一瞬で理解できた。


「やばい、怖いんだけど! お兄と透くんは大丈夫? 今日どこかに出かけてたみたいだけど、この近くとか通ってない?」


 純粋に心配そうな目で見てくる綾音を、和基は心配させまいと笑って頷いた。


「ああ、こっちの方には遊びに行ってない。な、透?」

「あ、ああ、うん。そうだね」


 ニュースを見て怖がる綾音を他所に、和基たちはもう一度部屋に戻った。


「化け物の死骸は悪臭がすごかったからね。たぶん誰かが臭いに気づいて通報したんだ」

「やっぱりそう、だよな……どうしよう。あいつは茉優ちゃんの姿をした化け物だけど、殺したのは透じゃないか。このままじゃあ、透が捕まってしまうだろ?」

「そう……だね。そうなっちゃうのかな」


 和基の疑問に透は思考を巡らせた結果、困り顔で頷いた。

 もし、化け物が最後まで化け物の姿を保っていたら、不審な生き物の死体が見つかったという事件になっていただろう。しかし化け物は最後の最期にその姿を茉優へと変えた。彼女の正体が化け物だと知っている透と和基以外にはあの橋の下は殺人現場にしか見えないだろう。つまり、茉優を殺害したとして透が逮捕されてしまう可能性が高い。


「お、俺、透は悪くないって知ってるから!」

「うん。でも、あの場には証拠なんて残ってないだろうし、きっと大丈夫だよ。それに、和基ならもし俺が捕まっても刑務所まで会いに来てくれるよね」

「おう、当たり前だろって、なに捕まる前提で話してるんだよ。お前は悪くないって!」


 力なく笑う透に和基は大声でそう話しかける。口では証拠がないから捕まらないなどと言っているが、最悪の場合を想定しているようだ。

 和基は考える。どうしたら友人を無実にできるか。どうしたら友人を救えるか。とくに賢くない頭で必死に考えるがなにもいい案が思いつかない。


「和基……ちょっと散歩しよっか」

「え?」

「俺のせいで思い詰めてるみたいだから。気分転換にって思ってさ」

「そう、だな。べつにお前のせいではないけど、ちょっと外の空気を吸うか」


 透の提案で和基は外に出た。とくに目的地があるわけではなく、ただ家の周辺を二人で散歩することにした。

 和基宅は繁華街からそう遠くない場所に位置しているため、繁華街のある方面はマスコミか野次馬か、それともその両方で人集りができているのがここまで伝わってきた。

 和基は足を止めると、突然変わってしまった世界観の中で大きく息を吸った。

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