第7話

「……ねぇ」

「うん? どうしたの、和基くん?」

「違う、よね。茉優ちゃんは人間だよね?」

「……」

「茉優ちゃんが化け物、なんて、そんなはずないよね」


 そうだよ、なに失礼なこと言ってるの。和基はそう叱られたかった。違うと笑い飛ばして欲しかった。

 もしこんなことを聞いたら茉優に嫌われるかもしれない。けれど、茉優の口から違うと直接言って欲しくて和基は縋るように茉優に問いかけた。


「和基くん」


 茉優は和基を見てにっこりと笑う。

 和基が一目惚れした、あの笑顔だった。はずなのに。


「なんでわかったの?」


 そう言った茉優の口が大きく開く。ぼこぼこと音をたてて顔が肥大化し、口は張り裂け、立ち上がった茉優――だったものの身長は和基をゆうに越していた。


「……え?」


 和基の口から素っ頓狂な声が漏れた。

 化け物の見た目はクリーチャーのような見た目をしている。いつかの透の言葉を思い出した。


 茉優の姿をしていた化け物は全身が不健康な灰色をしており、表面は水に濡れたかのようにテカテカして、肩幅の広さに比べて腕が細い。頭部が大きく、足元にいくにつれて小さくなって、全体的に逆三角形の形をしていた。


「……は?」


 和基の口からは困惑の声しか出てこない。

 化け物。それはどこからどう見ても人ではなかった。


「かぁずうきぃくぁん」


 不愉快な、壊れた機械音声のような不気味な声。ケタケタと笑った化け物は和基の名を呼びながら一歩、和基に歩み寄った。


「あ……」


 和基は驚愕のあまり、腰が抜けてしまっている。足に力が入らなくて立ち上がれず、体を引きするようにして化け物から距離を取ろうと後ずさった。


「かぁずぅきぁくあ」

「あ、ああ……あああああああ!」


 目の前に現れた化け物は、正体に気づいた自分を殺そうとしている。それを肌で感じてしまった和基は喉が張り裂けんばかりの大声を出した。


「たっ、たす、たすけっ」


 匍匐ほふく前進ぜんしんのような体勢で和基は化け物から逃げようと這いずった。しかし簡単に足を掴まれ、逆さ吊りの体勢で持ち上げられる。


「あー」


 細長い腕で和基を持ち上げた化け物は和基を自身の顔の上まで持ってくると、口をパカリと大きく開いた。


「あ……」


 食べられる。髪の毛から足の先まで、そのまま一口で丸呑みにされる。

 和基は絶望して抵抗することすらできなかった。


「ごめんな……透」


 死を覚悟した和基の口から出たとっさに言葉は命乞いでも、理不尽な死に対する怒りでもなく、友人への謝罪の言葉だった。

 和基の頭に思い返すのは走馬灯ではなく、まだ化け物ではなかった頃の茉優の笑顔と、喧嘩してしまった友人の顔。

 あの子は化け物だから別れた方がいいと助言をくれた友人を信じていれば、こんなことにはならなかった。

 和基の心の中は、これから化け物に食い殺される恐怖より、一方的に友人を叱りつけて喧嘩してしまったことへの後悔と罪悪感であふれていた。


「……ごめん」


 力なくつぶやく和基の足を掴んでいる化け物は手を離し――


「ギャァッ!」


 甲高い悲鳴を上げ、がくん、と膝をついた化け物は和基を放り投げた。


「うっ!」


 投げ飛ばされ、橋の壁に背中をぶつけた和基は小さくうめき声をあげる。痛みを堪えながら化け物に視線を向けると、そこには膝をついてうずくまる化け物と、その背後に直径五センチほどの流木を握った透の姿があった。


「とお、る?」

「和基、大丈夫?」

「あ、ああ?」


 いったいなにが起きたのか理解できずに、和基は困惑した。

 先程まで和基を食べようとしていた化け物は頭部から黒い血のようなものを流して苦しんでいる。


「かぁう……こぉの!」


 細長い腕を大きく広げ、化け物は透に襲いかかった。しかし透は冷静に、化け物の腕の隙間を抜けるとその体を駆け上がり、頭部を流木で力いっぱい殴りつけた。


「ギャア! アア、アアア!」


 肥大化した頭部は化け物の弱点だったのか、悲鳴をあげて暴れ回る。背の高い化け物が橋に頭をぶつけてパラパラと橋から小石が落ちていた。


「こぉぉのぉころおすおおおお」


 大きな目を血張らせながら、化け物は透を握り潰そうと手を伸ばす。しかし体の大きな化け物は橋の下という高さ上限がある場所では器用に動けないようで隙が多く、透はその隙を抜けて細長い足を蹴り飛ばすと、化け物は簡単にバランスを崩して膝を折った。

 再度立ち上がろうとする化け物の背後に透が周り、流木を振り上げた。


「助けて」


 背中を橋に預けた和基に、茉優が助けを求めて手を伸ばした。先程まで化け物の姿をしていたのに、一瞬で茉優の姿に戻ったのだ。


「あ……」


 かわいい彼女の懇願に、和基の思考が止まる。


「うざいな」


 しかし、和基が次に口を開くより先に、目の前で茉優の首が吹き飛んだ。


「あっ……ま、茉優ちゃん」

「だから、そいつは茉優さんじゃないって言ってるだろ」


 呆れた様子の透は、胴体と離れ離れになった茉優の頭を踏みつけた。


「や、やめてくれ! 茉優ちゃんを踏むなよ!」


 和基は痛む体を無理やり動かし、茉優の生首を透の足元から奪い取る。和基の腕の中で、茉優の首が動く気配はない。


「そいつは茉優さんの姿をしているだけで、本物ではないよ。茉優さんに擬態した、ただの化け物の死骸だ」

「そ、んな」


 和基は膝の上に乗せた茉優の生首を見つめる。首から下はないものの、やはり茉優と同じ顔をしていた。


「な、んで……どう、して」


 目の前にある、茉優の首は化け物の擬態した姿。では、本物の茉優はどこにいるのだろうか。そんな疑問が和基の中で生まれた。


「本物の茉優さんはたぶん、もう死んでるよ。こいつはきっと、自分が食った相手に擬態できる能力を持ってたんだ」

「うそ、だろ……なぁ、嘘だって、言ってくれよ!」


 和基は透に向かって叫んだ。これは嘘だと、悪い夢だと言って欲しかった。


 橋の下は、無惨な姿になっている。橋の壁、天井、河原の石。四方八方に化け物の黒い血がこびりつき、腐った生魚のような悪臭が立ち込めていた。


「和基」


 凄惨な現場で、透は汚れや臭いを気にすることなく和基に近づいた。


「残念だけど、これは嘘じゃないし、夢でもないよ」


 現実を受け止められなくて瞳を揺らす和基の目をしっかり見て、透はそう言った。


「帰ろうよ」


 化け物を殴って血のこびりついた流木を川へ投げ捨てた透は和基に手を差し出した。


「あ……でも、茉優、ちゃん」

「茉優さんはもうこの世にいない。諦めて」

「そん、な……」


 透に手を引かれて、和基は力なく立ち上がった。透にほとんど引きずられるようにして、橋の下を離れる。


「茉優、ちゃん」


 和基の初めての彼女は、いとも簡単に消えてしまった。

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