第4話

 いくら透と喧嘩をしたとはいえ、学校をサボるわけにはいかない。和基はいつも通り登校したものの、透と目を合わせることなく自身の席についた。

 担任がやってくるとホームルームが始まり、授業が始まっていく。和基と透が喧嘩しようと変わらない日々は続いていた。


「あれ、お兄ってば最近、透くんの話しないね?」

「喧嘩した」

「えっ、めずらしっ!」


 学校が終わり、帰宅したリビングのソファーで寝転がっていた和基の妹、綾音あやねはガバッと勢いよく体を起こした。

 その手には携帯ゲーム機が握られている。最近ハマっていると話していたゲームでもしていたのだろう。


「そうか?」

「そうだよ。だって私、今までお兄と透くんが喧嘩したところなんて見たことないもん」


 それはそもそもお前の学年が俺たちと違うからだろうが、と言おうとした和基は口を閉じた。

 たしかに綾音の言うとおりである。思い返してみると、和基が透と喧嘩したことなど、今まで一度もなかった。


「お兄たちも喧嘩なんてするんだ……意外」

「俺もそう思うよ。けど、今回の件は絶対透が悪いから」


 和基は学ランの襟をいじりながら不機嫌そうにそう言った。

 いきなり理由も告げずに彼女と別れろと言い出した透が絶対に悪い。和基はあのときの不快な気持ちを思い出して口を尖らせた。


「えー。たしかに透くんって独特な雰囲気あるけど、悪い人には見えないんだよなー。なにより、お兄の友達じゃん?」

「お前、透と会ったことなんて数えるほどしかないだろ」

「ないよ。けどお兄の友達だから悪い人とは思わない。だって透くんの話するときのお兄、すごく楽しそうだもん」


 手にゲーム機を握ったまま、綾音はまっすぐに和基の目を見つめた。

 今年中学二年生になった綾音の忖度のない言葉に、少しだけ和基の怒りも落ち着きを取り戻す。


「……もう一回、透と話してみる」

「そうしなよ」


 和基は綾音のまっすぐで真剣な瞳から視線を逸らして頭をかいた。綾音は少し嬉しそうに頷いた。

 あの件があってから、和基は透と一週間以上、言葉を交わしていなかった。時折、透の方から和基に声をかけようとしていたが、和基は聞こえないふりをして透を遠ざけていたのだ。


 自室に戻り、スマホを取り出すと鞄を床に投げ捨てて、小さい頃に祖父母に買ってもらった勉強机とセットになった椅子にどさりと腰掛ける。

 スマホを持った手が慣れた手付きで開いたのは透とのSNSのトーク画面。

 今なにしてる、この前の話がしたい、などの言葉を打っていくが、すぐに消してしまう。

 なんてメッセージを送ればいいのかわからない。和基は悩みに悩んだ挙句、透に電話することにした。

 着信ボタンを押すとコール音が流れ、三回目のコールで電話が繋がった。


「もしもし?」

「もしもし、俺だけど……その、この前の話がしたくて」


 電話越しの透の声に怒っている様子はない。それに安堵を覚えながら和基は本題に切り込んだ。


「茉優ちゃんと別れろって話。詳しく聞かせてよ。透が茉優ちゃんのこと好きだって言うなら、それも含めて話をしたい」


 冷静に、あのときみたいに声を荒げてしまわないように、感情的にならないように意識して和基は透に放つ言葉を選ぶ。


「いいよ。けど、一つだけ言わせて。俺は茉優さんに好意を抱いているだけではない。わかった?」

「……おう」


 本当か、そう言って油断させて彼女を奪おうとしているんじゃないか、と疑問に思ったがここは透の言葉を信じることにした。

 和基の知っている透はそんな嘘はつかない。これまでの透の性格をひとまず信じようと思ったのだ。


「でも、それならなんで透は俺に茉優ちゃんと別れろって言ったんだよ。茉優ちゃんがいい子じゃなかったって、どういうこと?」


 和基はずっと気になっていたことを問いかけた。

 透が和基に茉優と別れろと言う理由。そしてそれに関係してそうな、茉優はいい子じゃないという言葉の意味。透の説明なしにその言葉の真意は理解できなかった。


「それは、その……茉優さんは和基が思っているような子じゃなかったんだ」


 電話越しに聞こえる透の声は相変わらず気まずそうだ。慎重に言葉を選んでいるのが伝わってくる。


「……まさか、俺以外の男とデートしてるところでも見たのか?」


 和基は息を飲んで問いかけた。

 透が茉優と別れろと言う理由。それが透が茉優を好きになって、現在の彼氏である和基の存在が邪魔になったという考えが違うのであれば、そしてそれが和基に伝えにくいそうな内容なのだとすれば――茉優が浮気しているということになってしまう。


「いや、いやいや、それはないだろ。透は嘘つかないって知ってるけどさ、なんかの勘違いだって。ほら、実は弟だった、みたいな? 茉優ちゃんがそんな、浮気なんてするはずないし」


 和基は怒りではなく焦りに似た感情を抱いて、自分自身に言い聞かせるように早口で捲し立てる。


「透はいいやつだと思うよ、本当に。けど、それと同じくらい茉優ちゃんもいい子なんだよ。優しいし、気が効くし、なにより笑顔がかわいいんだよ」

「和基」


 独り言葉を続ける和基に透が声をかける。しかし和基の一度開いた口が閉じることはない。


「そんな茉優ちゃんが浮気? するわけないだろ。透の見間違え。なにかの勘違いだから」

「和基」

「茉優ちゃんはそんな子じゃない」

「知ってる。和基、それくらい俺だって知ってるよ」


 優しい声色で宥めるように、透は和基の言葉に同意を示した。しかし、それならば。


「じゃあ、なんで、透はなんで茉優ちゃんと別れろって言うんだよ」

「それは……それは」


 途端に透は言葉に行き詰まった。なんて返事をすればいいのか、考えあぐねているようだ。


「なんでいつもそこでだんまり決め込むんだよ! 教えてくれよ! なんでなんだよ!」

「そ、れは――茉優さんが化け物だからだよ」


 冷静に話をしようと決めていたはずが、少々感情的になり始めた和基とは違い、透は冷静に静かにそう告げた。


「……は?」


 透の言葉に、和基の口から気の抜けた声が漏れる。


「だから、あの子は化け物なんだよ。だから俺は和基に別れた方がいいって忠告したんだ」


 困惑する和基にもう一度透がしっかりとした口調で説明する。しかし和基は納得ができなかった。


「なに……言ってんの? 茉優ちゃんが化け物だなんて、今まで一回も言ってこなかったじゃん」


 透は和基の彼女である茉優と話をしたことがある。たった数回ではあるが、それでも和基を含めた三人で会話をしたのだ。

 もちろん、そのときに透が茉優のことを化け物だと言ったことは一度もなかった。


「それは……昔は化け物じゃなかったから。覚えてる? 和基が俺をバスケ部の練習に見学に誘った日、喧嘩したあの日のこと。俺もびっくりしたんだ。昨日まではたしかに人間だったはずの茉優さんが、急に化け物になってた」

「急に、って。そんな、意味わかんないって。俺、今日も茉優ちゃんと話たよ? いつもとなにも変わらなかった」

「見た目は同じだよ。けど、中身は化け物だ」


 困惑する和基に、透は言葉を選びながら冷静に返す。

 友人からもたらされた衝撃の告白に和基の頭はこんがらがっていた。


「……ごめん、ちょっと考える時間が欲しい」

「わかった……おやすみ」

「うん、おやすみ」


 通話が切れると、和基は背もたれに体を預けた。体に力が入らない。

 化け物。透にしか見えないという、クリーチャーのような姿をした生き物。和基が付き合っている茉優はその化け物らしい。しかも元々は人間で、最近になって急に化け物になった、と。


「そんなはずない、よな……」


 和基は天井を見上げながら力なくつぶやいた。

 べつに透の話を全否定するつもりはない。けれど、先程の話は信じられない、と言うよりも信じたくないものだった。


「明日、どんな顔で会えばいいんだよ……」


 明日は茉優とデートする予定の日だった。

 透は嘘をつかない。けれど今回ばかりは嘘であって欲しい。和基には茉優が人間にしか見えなかった。きっと、きっとこれは和基が透の話を無視したから怖がらせようとついた嘘だ。そうに決まっている。そうであってくれ。

 和基はほとんど祈るようにしてそう思った。


「お兄、ご飯だよーって大丈夫⁉︎」


 ノックもなしに部屋に入ってきた綾音はぐったりと椅子にもたれかかる和基の姿を見て心配そうに駆け寄った。

 ノックくらいしろ、いつもならそう叱っているが、あいにくと今の和基にはそんな元気は残っていなかった。

 本当のことなど言えるはずもなく、心配そうな綾音に大丈夫だと嘘をついて食卓に着く。母が作った夕食のカレーは、ほとんど味がしなかった。

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